- 2023-10-28
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先日の「ゴッホ展」で、イサーク・イスラエルスの作品が展示されていました。
作品名は「『ひまわり』の横で本を読む女性」で、俗にゴッホの『ひまわり』をオマージュした作品です。
私は観た瞬間妙に嬉しくなってしまいましたね。
”オオッ!!この画家を持ってきたか!”と。
日本ではあまり知られていないかもしれないけれど、私が思うにゴッホを語る上では外せない画家だと思っています。直接”名画”を展示されるよりも、画中画という形で、名画を見せられた方がより説得力も大きくなるというもの。
これも美術に擦れてきた証拠でしょうか。
【 目次 】 ・大塚国際美術館で見かけた、「ひまわり」オマージュ作品 |
今回『ひまわり』をオマージュした画家で知られる”イサーク・イスラエルス”について話していこうと思います。
大塚国際美術館で見かけた、「ひまわり」オマージュ作品
徳島にある大塚国際美術館に行った事はありますか??
ココにはゴッホの描いた『ひまわり』シリーズと、それに関する作品が展示されている部屋があります。
現在ではどれも高値が付いている作品ですから、いくら陶板レプリカとはいえ、こうやってすべての『ひまわり』が一堂に集結するとさすがに圧巻です。
そして、その中に一つ気になる作品があったのです。今回紹介する画家”イサーク・イスラエスル”の作品でした。
・70.5×50.5cm、カンヴァスに油彩、ファン・ゴッホ美術館所蔵(アムステルダム)
ゴッホの『ひまわり』を見ている、一人の女性の後ろ姿を描いた作品です。
さて、この絵を観た瞬間”ある違和感”を感じる人も多いと思います。
現在の僕らの常識では絶対にありえない!!ゴッホの絵の前でタバコ??が描かれているからです。
描かれたのは1920年ですから、ゴッホが亡くなって30年後の事。まだまだゴッホの評価がそこまで高くはない時期です。だからと言って、名画の前でタバコなんて…。今の感覚からしたら、絶対にありえないですよね。
・92.1×73cm、カンヴァスに油彩、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
ちなみに、上の「『ひまわり』の前に立つ女」に描かれている『ひまわり』は、現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている作品。つまり画中画の作品は本物の『ひまわり』なわけです。
実は調べていくと、ゴッホの弟テオの妻ヨーから借りたものだそうです。イサークとヨーは友人関係にあったそうで、それが可能だったわけですね。
一枚の絵から、直接的ではないにしろゴッホとの繋がりがあった。そして当時の『ひまわり』の評価が、そこまで高くなかったのも分かる。一枚の作品をちょっと深堀していくだけで、関係性や評価など様々なモノが見えてくる。これも絵画のオモシロさだと思っています。
それにしても、本物の名画『ひまわり』を借りられるって…。想像しただけでも羨ましいですよね。
イサーク・イスラエルスは、どんな画家なのだろう?
ここから、画家の詳細について話していこうと思います。
というわけで、手持ちの辞書で調べてみたのですが…。
??
載っていませんでした。
世間的には、あまり知られていない画家の様です。事実、日本でもなかなかイサークの作品を見れる機会はないですしね。
私の中ではゴッホを語る上では、外せない画家の一人だと思っているだけに、辞書に載せないなんて実に勿体ない。こう思うのは私だけでしょうか。
・33.5×24cm、板に油彩、ドルトレヒト美術館所蔵
”イサーク・イスラエルス(Isaac Israels)”
1865年ー1934年、オランダ出身でハーグ派、もしくは印象派を代表する画家の一人。
国籍はゴッホと同じですが、時代的にはちょっと後に生れた画家です。(以下イサークで呼ばせてもらいます。)
実はイサークの父親の方が、一般的には知られていたりします。父親の名前は”ヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israels)”で、ハーグ派を代表する画家。これまで日本でも、何度か作品が披露された事がありましたしね。
そんな環境で生まれたイサークですから、若いうちから父親に絵の手ほどきを受けていた。もちろん並行して、オランダのデン・ハーグにある美術学校で専門的に絵の勉強もしていました。イサークは早くして、最高な環境で絵の道を志す事ができたわけですね。
・160×300cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵
「オランダのミレー」と呼ばれた父”ヨゼフ”からは「良い画家になるだろう」と言われていたそうですし、それなりの才能に恵まれていたって事でしょう。
↑の「植民地兵の移動」を見ても分かる通り、画力の高さは分かるかと思います。1883年といえば、イサークが20歳頃の作品。ただ画風的には印象派とはちょっと違いますよね。父ヨゼフは写実主義でしたし、美術学校(アカデミー)では当然アカデミックな画風を学んでいただろうから。
51×70cm、カンヴァスに油彩、アムステルダム国立美術館所蔵
イサークの詳しい詳細は分からない部分もありますが、調べた感じだと1890年辺りから画風も変化してきたようです。印象派の画家たちとの出会いが大きかった様です。
・33×46cm、カンヴァスに油彩、アムステルダム国立美術館所蔵
33.5×46cm、カンヴァスに油彩、ユトレヒト中央美術館所蔵
そして調べていくと、風景画よりも肖像画や人物画を多く制作していた様です。
印象派チックな筆の筆触で描かれた2人の女性。大胆なタッチで描かれているとはいえ、しっかりと人物の特徴や雰囲気は表現されている感じですね。元々専門的に絵を学んでいたのが土台にあるって事でしょう。
1914年頃~といえば、歴史的に第一次世界大戦がありました。イサークも時代の流れに少なからず翻弄された様です。戦争中は各地を転々として、絵を描いていた様です。
・52×72cm、カンヴァスに油彩、個人蔵
1928年(63歳の頃)に、イサークはアムステルダムオリンピックのアートコンペで金賞を受賞しています。受賞作品は「De rode Ruiter(The Red Rider)」。イサークが亡くなったのは1934年ですから、ほぼ晩年に近い。もし戦争という出来事が無ければ、ちょっとはイサークの画家人生も変わっていたかもしれませんね。
・50.5×60.5cm、カンヴァスに油彩、ユトレヒト中央美術館所蔵
実はイサーク・イスラエルスについて調べていたら、ある気になる作品を発見してしまいました。
イサークは画中画も結構多く描いていますが、上の「寝ている女性」の左奥にもある絵画が描かれているのが分かります。作風が印象派ですから、ハッキリと描かれてはいませんが、雰囲気としてはゴッホの「黄色い家」に似ている感じが…。
さて、実際はどの絵を描いたものなのだろう?
少なからずゴッホとの繋がりもある画家ですから、私の仮説もあながち間違っていないかもしれませんね。
私がゴッホを語る上で外せない画家!と言う理由…
”イサーク・イスラエルス”は、ゴッホを語る上で外せない画家!だと思っています。
それは描かれた画中画から、ゴッホの影響力や当時の評価が垣間見れるから。
当時はまだゴッホの評価はそこまで高くなかった。そんな時代にゴッホに対して、少なからずオマージュ(経緯や尊敬の意味)をしたいたわけですから。しかも描いた作品も1枚や2枚という訳ではなく、複数枚制作しています。
その後ゴッホの評価はうなぎ上りに上昇していくわけですね。
・70×55cm、カンヴァスに油彩、フンダーティ美術館所蔵
日本ではあまり知られていない様ですが、私が思うに近い将来イサークの名が売れる!とも思っています。
ゴッホは生前中ほとんど作品が売れなかったけれど、現在では超が付くほどの高値になっている。つくづく”評価”って水物だな~と思うからです。印象派も、最初はボロクソの評価を受けていましたからね。
少なくともこの機会に、ゴッホの『ひまわり』をオマージュした画家でもいいので、”イサーク・イスラエルス”を知ってもらえたら嬉しいですね。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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