- 2017-3-30
- Artist (画家について), Impression (絵画展の感想)
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![「ピカソとシャガール」 …ポーラ美術館より](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2017/03/picasso.chagall2017pola0.jpg)
ピカソとシャガールって仲が良かったの!?
20世紀を代表する”ピカソ”と”シャガール”。
共に強い個性を持ちながら、
でも同時代を生きただけに歴史の悲劇に翻弄された2人。
果たして2人の関係性はどうだったのだろうか??
記念展「ピカソとシャガール:愛と平和の讃歌」
これは以前箱根のポーラ美術館で開催した企画展でした。
ここではピカソとシャガールの作品から、
そして興味深いポイントとして
”2人の関係性を示すエピソード”まで取り挙げられていました。
その企画展の様子を交えながら、
2人の関係性について触れていきたいと思います。
・・・
ピカソと言えばキュビズムの創始者と言われているけれど、
実は生涯を通して作風がコロコロと変化してるのです。
それだけにピカソを一言で表現するのも難しいわけですが、
あえて言うとすれば”天才”となるのだろうか??
これまでピカソの作品は見てきましたが、
でもなかなか理解できないでいるのも、
そんなピカソの多彩さ故なのかもしれないですね。
対してシャガールについては個人的に好きな画家に一人で、
特に”愛”の感じる作品は不思議な魅力を感じるのです。
さてそんな愛の画家”シャガール”ですが、
実はピカソから多少なり影響を受けたと言われているのです。
でも影響は受けたとは言っても、
シャガールは独自の絵画観にキュビズムを付け加えた感じ。
同時代を生きていたとは言っても、
絵画観に関しては独自の個性があったわけです。
・パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)…1881年~1973年 ピカソは多作な画家と言われています。 また作風もキュビスム、新古典主義。
・マルク・シャガール(Marc Chagall)…1887年~1985年 1941年に第二次世界大戦勃発のため、アメリカへ亡命。 戦後シャガールはパリに戻りフランス国籍を取得。 |
そんな個性の強いピカソとシャガールですが、
気になる”2人の関係”はどうだったのだろう??
イラストでは”非常に仲が良さそうに見える2人”ですが…
でも実はこんなエピソードが紹介されていたのです。
それは
1951年のある昼食会での事だったそうです。
・・・
この日2人は初めて対面しピカソがシャガールに対して
「マルク(マルク・シャガール)遠いアメリカであまりに居心地が良かったろうから、開放の後でもフランスにもどって戻ってこれないだろう。
また祖国ロシアについても、そこに行っても為すべきことはないだろうから…」と皮肉って言ったといいます。この悪い冗談が発端となって、2人は友情を深めるどころか深い溝を作る結果をなったのです。
表面的には仲の良いふりをしながら、
でも心の底では互いを軽蔑しライバル視するという状態だったと言います。(シャガールのパートナー、ヴァージニア・ハガードの証言より)
※シャガールは戦争でアメリカに亡命中、最愛のベラを失くしてしまった。
その翌年に知り合ったのこのヴァージニア・ハガードという女性でした。
一見仲が良さそうにみえて、
実はそうではなかった…
個性が強い2人だけに、
当然と言えば当然だったのかもしれませんね。
でも互いをライバル視していた事は、
晩年の2人にとっては良い距離感だったようです。
作風も違えば個性も違う…
でも同時代を生きていた事もあって、
同じようなテーマで作品を描いていた点では同じでした。
実は共に戦争など悲劇の時代を生きていたので、
2人共”戦争”をテーマにした作品を描いています。
今回の記念展で観れたピカソの代表作
「ゲルニカ」(1937年)は特に衝撃的だったのです。
↑これは参考として載せてみました。
このポーラ美術館で展示していたのは、タペストリーと呼ばれるもの。
実際は壁画の作品ですが大きさはほぼ同じくらい。
※タペストリーとは壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種。
この「ゲルニカ」はスペインのゲルニカが
ドイツ軍のコンドル軍団によって無差別爆撃を受けた悲劇を描いた作品。
現在は”反戦”のシンボルとも言われています。
![絵を見て感動!](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2016/08/odorokip11.png)
さすがにこの作品は衝撃的でしたね!!
写実的だとまずこういった悲劇の出来事は描きにくいけれど、
ここまで単純化された形だからこそ描けるのかもしれませんね。
でも不思議な事に
心に突き刺さるインパクトはあるのです。
約1600人を超える犠牲者を出したこの爆撃は、
ピカソにとっても大きなショックだった様です。
現在この「ゲルニカ」は”反戦”のシンボルにもなっていますが、
それほどまでにメッセージ性の強い作品だと思うのです。
実際爆撃の起こったゲルニカでは
ピカソの「ゲルニカ」があちこちで飾られていると言われています。
各家庭でも複製画が飾っていたりするほど。
その出来事に直面していない私でさえ
このピカソの絵は凄いインパクトがあります。
子供を失い泣き叫ぶ表情や逃げる様子…
簡略化されて描かれているだけに、
想像を膨らまされるのかもしれないですね。
それほどまで衝撃的だった「ゲルニカ」ですが、
実はシャガールも「平和」という作品を制作しています。
これは十字架のキリストを中心に平和を望む人類が群衆として描かれた作品で、
全体的に青い色で構成されているのが特徴。
宗教や国境を越えた普遍的な平和への願いを込めていると言われています。
シャガールは戦争によって亡命していて、
シャガールなりの戦争に対する強い想いがあったと思うのです。
ピカソもシャガールも少なからず戦争による被害を受け、
そして作品を通して戦争や差別を描いたわけです。
同時代を生きていた人間として、
画家として出来る事を共にやっていたのかもしれませんね。
・・・
このポーラ美術館で開催した
「ピカソとシャガール:愛と平和の讃歌」
2人のエピソードも興味深かったけれど、
共に描いたメッセージ性の強い作品は印象的でしたね!
今回の企画展から
より魅力が増してきてしまうのでした。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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