2021年「ゴッホ展」 行く前に見てほしい映画『ゴッホとヘレーネの森』

Smiling looking At Paintings

 

ドキュメンタリーや映像作品など
大小含めるとゴッホの映画はかなりの数になるわけですが、
中にはゴッホのコレクター(収集家)に焦点を当てた映画もあります。

 

 
ゴッホとヘレーネの森
クレラー・ミュラー美術館の至宝

これは2019年に公開されたドキュメンタリー映画。
ゴッホのコレクター”ヘレーネ”にスポットを当てた内容で、
そして後半はゴッホの半生や作品について触れられています。

 

考え…・思い…
2021年は「ゴッホ展(クレラー=ミュラー美術館所蔵)」が開催します。

この映画の中に登場する”ヘレーネ”という収集家は
実はクレラー=ミュラー美術館のコレクションの基礎を築いた人です。

私の持論ですが絵画はその画家や背景が分かってくると、
より深く作品を味わえると思っています。

そんなわけでぜひ「ゴッホ展」に行く前に、
映画「ゴッホとヘレーネの森」を見てほしいと思ったわけです。

 

今回は映画の内容にちょっと触れながら、
そして個人的なレビューを交えながら話していこうと思います。

【今回の目次】

ヘレーネ・クレラー・ミュラーとはどんな人物?

映画『ゴッホとヘレーネの森』から見るゴッホの作品
 …ゴッホの生い立ちと映画に登場するゴッホの作品について見ていきます。

 

 

ヘレーネ・クレラー・ミュラーってどんな人物??

クレラー=ミュラー美術館

ゴッホのコレクターに迫ったドキュメンタリー映画も珍しいと思います。

ほとんどがゴッホの生い立ちや作品に焦点を当てた映画ばかりなので、
そういう意味ではある意味斬新と言えば斬新でしょうね!

さてこのヘレーネという人物は
クレラー=ミュラー美術館のコレクションの基礎を築いた人。

このクレラー=ミュラー美術館という名は、
そんなコレクションの所有者の名から来ているわけですね。

 

ヘレーネ・クレラー・ミュラー(1869年~1939年)は
オランダでも有数の資産家だったアントン・クレラー・ミュラーの妻。

彼女は36歳の時にゴッホの作品と出会って、
そしてゴッホの作品を中心に収集し始めたと言われています。

ちなみにゴッホが亡くなったのは1890年。
このヘレーネがゴッホの作品に出会ったのが1905年頃なので、
もちろんヘレーネとゴッホの間に直接的接点はなかったわけです。

とはいえこのヘレーネがゴッホについてかなり研究していた事は確かで、
ゴッホの作品や生き方、
もちろん考え方も相当研究していたと言われています。

そして終いには自身がゴッホの生き方と重ね合わせるほどで、
そういう意味ではゴッホのために人生を捧げたと言っても過言ではないのです。

例えばゴッホは手紙をよく書く事で知られていますが、
このヘレーネも膨大な数の手紙を書いていました。
これもゴッホの生き方に影響された結果とも言われています。

もちろん収集したコレクションからも
ゴッホを相当理解していたのが分かると言われています。

 

「暖炉のそばに座って、煙草をふかしているシーナ」(1882年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「暖炉のそばに座って、煙草をふかしているシーナ」(1882年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・45.5×47cm、デッサン、クレラー・ミュラー美術館所蔵

ゴッホと言えば色彩豊かな油絵が注目されがちですが、
実は白黒を中心とした素描もかなりの腕前だったと言われています。

専門家が”素描自体が十分な作品として成りえる!”と評するほど!

本来素描は下絵や練習としての位置づけが主なのですが、
そんな下絵の素描がれっきとした作品になるのも凄いですね。

このヘレーネは1,000点を超える素描を所有していたそうで、
コレクションの内容からもゴッホの事を理解していたのが伺えますね。
※参考)⇒ハーグ時代に描いたファン・ゴッホの素描

 

そしてヘレーネにまつわるこのエピソードも印象的で、

ヘレーネは亡くなる時もゴッホに包まれていた!

つまりヘレーネが亡くなり葬式の時も
自身の棺の周りにゴッホの作品を飾っていたと言います。
これもゴッホの亡くなった時のお葬式を真似ての事かもしれませんね。

とにかくゴッホが世界的に評価される前から、
このヘレーネはゴッホを理解し評価していた事は確かの様です。

現在のゴッホ人気の立役者にもなっていると思うと、
このヘレーネの貢献度は相当なものだろうと思うのです。

 

考え…・思い…
さてさて個人的に思う事ですが
ゴッホの人生ってそこまで幸福だったかというと
実はそうではないと思っています。

作品がなかなか評価されなかったり、
それに精神的に病んでいた時期もかなりありましたしね…。

そんなわけでそんなゴッホと生き方を重ね合わせるって…

果たしてヘレーネの人生って幸せだったのだろうか??
思うにヘレーネはゴッホに恋していたのかもしれませんね!!

 

 

映画「ゴッホとヘレーネの森」から見るゴッホの作品

Sunflower Painting

映画『ゴッホとヘレーネの森』の後半は
主にゴッホの生い立ちや作品についてが綴られています。

ゴッホの事をある程度知っている人なら今さらと思う事かもしれないけど、
所々ゴッホの対して違った解釈もあったりと、
意外と観ていて新たな発見も多数あったのです。

さてよく知られている事ですが、
ゴッホの画家としての出発は彼が27歳(1880年)の時。
画家としてのスタートはかなり遅かったわけです。

ゴッホは37歳という若さで亡くなっているので、
画家としての人生で言えば約10年ほどになるわけです。

 

10年という時間が短いと言えば短いかもしれないけれど、
でも密度で言えばかなり濃かった事は確か。

現在の高いゴッホの評価を考えると、
この10年という時間は相当濃かったんだろうと思います。

さて映画を見ていて思う事ですが、
ゴッホは当初”素描”を中心に描いていました。

先ほどもちょっと触れましたが、
当時素描というと作品の下絵としての位置づけが強かったそうです。
もちろん画力を鍛えるための練習でもあったそうです。

思うにゴッホの画家としての基礎はこの頃に作られたのかもしれませんね。

 

「ジャガイモを食べる人々」(1885年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「ジャガイモを食べる人々」(1885年)フィンセント・ファン・ゴッホ

ファン・ゴッホ作ジャガイモを食べる人々(1885年)
・72.0×93.0cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

これは1885年に描いた農夫をテーマにした集大成の作品。

薄暗い家の中の静寂さと静けさ…
そして貧しさが滲み出た武骨な感じ!?

でもなぜだろう???

どことなく温かさも感じられませんか!?
家族の温か味というか、団らんというか…

ゴッホは農民たちに対して
”敬意”の様な感情を込めていたのかもしれませんね。

この頃までゴッホは白黒を中心とした薄暗い作品を数多く描いていました。
これはもちろんハーグ派からの影響もあるだろうけど、
ゴッホは農民の貧しさやリアルな生活観を描きたかったようです。

 

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1886年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1886年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・38.5×46cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

そして程なくしてゴッホの作品に大きな変化が表れます。
これまで以上に色彩に明るさが出てきたのです。

きっかけは弟テオがパリに呼んだの始まりだったそうですが、
ゴッホはこの年1886年の2月末にフランスのパリ(モンマルトル)に移住。
そしてここで「印象派展」と出会ったと言います。

モネやピサロ、ルノワールといった印象派の画家に影響を受けたそうですが、
これがゴッホにとっての大きな転機となった様です。

ちなみに映画の中ではこんな風に語られています。

ゴッホはこの2年間のパリで脱皮した。

ゴッホはパリにいた2年間で様々なもの盗んだ。

ピサロから、モネから
そしてルノワールから盗み…
(ここで言う盗むは悪い意味ではなく、会得したという良い意味で使われています。)

そしてゴッホは必要なものを盗み画風を確立していった。
ここでゴッホは本当の意味で”ファン・ゴッホ”になったと。

 

もちろんこの移住した街モンマルトルの街並みも
ゴッホにとってはかなり居心地が良かった様です。

パリでの生活が苦しくともフランスの空気で気分が良くなる!
…こういったゴッホの気持ちが手紙にも書かれていたのです。

 

「サント=マリーの眺め」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「サント=マリーの眺め」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・64×53cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

そして1888年の2月頃
ゴッホはプロバンス地方のアルルに引っ越します。

ちなみにこの年6月にゴッホはベルナールにこんな手紙を書いています。

太陽の熱を浴び僕はセミの様に大喜びだ!。

25歳の時にここへ来ればよかった…35歳の時ではなく…

この頃のゴッホは憑りつかれたかの様に絵を描いたそうです。

 

さてゴッホが亡くなったのは1890年。
1888年からの2年間で一体ゴッホにどんな変化があったのか??

それはゴッホの作品からも垣間見れると思います。

 

「プロヴァンスの干し草の山」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「プロヴァンスの干し草の山」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・73×92.5cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

筆のタッチとはなんとおもしろいものなのか!

この頃のゴッホは無我夢中でカンヴァスを埋めていった様です。

 

「日没の柳」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「日没の柳」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・31.5×34.5cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

空の色が太陽と同じ黄色になり、そして木が青くなった。

明るい色彩と強いコントラストが特徴的!だと思いませんか?

ゴッホ独自の画風が確立していったと思える作品ですね。

 

「種まく人」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「種まく人」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・64×80.5cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

彫刻的なスタイルによって豊かになっていく絵の表情!!

つまり”厚塗り(インパスト)”と呼ばれる描き方が強くなってきます。

見る人の視覚に訴える様な厚く塗るタッチ。

力強い描き方はゴッホの気持ちそのものだったのかも!?

 

そしてゴッホにとっての運命の出来事が起こります。
このアルルでゴーギャンとの共同生活が破綻するのです。
(たった2か月という短い共同生活でした。)

そしてゴッホは自ら耳を切るという行為に及んだんです。

この事件が起こったのは1888年12月の事。

つまりゴッホが亡くなる約1年半前だったわけですね。

 

「渓谷」(1889年12月)フィンセント・ファン・ゴッホ

「渓谷」(1889年12月)フィンセント・ファン・ゴッホ

・72×92cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

ゴッホは度重なる発作によって
アンピーユ山脈のふもとサン=レミにある療養所サン=ポール=ド=モーゾールに入院します。

この入院中のゴッホは外出自体が禁止されていたそうです。
でも病室からも絵はよく描いていたといいます。

ちなみにこの頃からゴッホの作品が抽象的になっていきます。
物事を現実から捉えるのでなく想像から捉える様になった!…と。

これは病室から絵を描いていたのが背景にある様です。

 

「悲しむ老人(永遠の門)」(1890年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「悲しむ老人(永遠の門)」(1890年)フィンセント・ファン・ゴッホ

・81×65cm、カンヴァスに油彩、クレラー・ミュラー美術館所蔵

そしてより誇張しくいく人物の形や絵具のタッチ。

これはゴッホの精神疾患による影響というよりも、
画家としての模索によるものだったのかもしれない。

実際ゴッホは弟のテオに手紙でこう書いています。

僕は猛烈に絵を描く。制作の機会は二度とない。
病気で絵を描く機会が失われるかもしれない。

ゴッホ自身自分の死を考えながらも、
でも画家としての高みは追求していった感じがしますね。

そしてゴッホはサン・レミにある療養所を退院し、
1890年の5月にパリから30キロ北に行った村
オーヴェル=シュル=オワーズ”へ移るのでした。

 

ゴッホはこの地にあるラヴー旅館に滞在し、
亡くなるまでの約10週間を夢中になって絵を描きまくります。

この頃になると以前の様な激しいうねりと言ったタッチが身を潜め、
ゴッホの筆のタッチも落ち着きを見せ始めたと言われています。

まるで絵自体がゴッホの死の準備を始めている様な…

そして最終的にゴッホはこのオーヴェル=シュル=オワーズで、
自殺という形で自分の生涯に終止符を打ったのです。

 

考え…・思い…
さて今回紹介した作品のどれほどが
実際の「ゴッホ展」で展示されるかは分かりませんが、
今から楽しみで仕方がありませんね!!

特にゴッホの作品は本物でこそ味わえる部分も多いので、
それは「クレラー・ミュラー美術館のゴッホ展」で堪能したいと思います。

 

ぜひ映画「ゴッホとヘレーネの森」を見てから、
ゴッホ展でゴッホの魅力を味わってみてはいかがでしょう!?

 

ゴッホ展:響きあう 魂ヘレーネとフィンセント

・東京開催:2021年9月18日(土)~12月12日(日)、東京都美術館にて
・福岡開催:2021年12月23日(木)~2022年2月13日(日)、福岡市美術館にて
・名古屋開催:2022年2月23日(水)~4月10日(日)、名古屋市美術館にて

※「ゴッホ展」についてより詳しくは
「ゴッホ展(クレラー=ミュラー美術館所蔵)」の開催概要と見所

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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