- 2020-5-23
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普通の画家では決して描けないだろう
パオロ・ウッチェッロの”聖ゲオルギウス”
ルネサンス期に描かれた絵画の中でも、
このウッチェッロの作品は他とは一線を画しているのです。
パオロ・ウッチェロ「聖ゲオルギウスと竜」(1470年頃)
・55.6×74.2cm、カンヴァスに油彩、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
このパオロ・ウッチェッロは数学者としても有名で、
絵画に数学的、科学的なアプローチを融合させたといいます。
例えば遠近法へのこだわりもその一つ!
地面の描き方はその遠近法が表れていると思います。
おそらく当時のルネサンスで
ここまで遠近法にこだわった画家もいなかったと思います。
※パオロ・ウッチェッロ(Paolo Uccello)
ルネサンス期に活躍したイタリア出身の画家。1397年~1475年
パオロ・ウッチェロ「聖ゲオルギウスと竜」(1458‐1460年頃)
ウッチェロは同テーマで他にも描いています。
先ほどといい、この作品といい実に不思議!
地面など遠近法で描いているにも関わらず、
なぜか人物は立体的でなく平面的に描かれていない。
どちらかと言えばコミカルな感じがあって、
縦に引き伸ばされたフォルムと細部までの描写は圧巻!!
装飾的ともいえると思いますが、
この独特さはパオロ・ウッチェッロにしか描けないと思います。
遠近法や正確ともいえる精密な描写から
ウッチェッロの性格や思考が垣間見れる感じがしませんか!?
絵画に数学的、科学的なアプローチを融合!
こう言われるのも分かると思いますね。
ルネサンス期でこういった作品を描いた画家って…
おそらくほとんどいなかっただろうと思います。
もちろん当時としては時代の先を走っていたわけで、
なかなか受け入れられなかったとも言われているのです。
でも今の時代だからこそ、
ウッチェッロの絵は評価される様になったのかもしれませんね。
伝説”聖ゲオルギウスのドラゴン退治”
聖ゲオルギウスのドラゴン退治の物語は、
キリスト教の伝説でも特に有名な話です。
この”ゲオルギウスと竜”は
多くが画家が描いているテーマでもあるのです。
ゲオルギウス(Georgios)は
各言語によって様々な呼び名があるのです。
イタリア語ではジョルジョ(Giorgio)
英語ではジョージ(George)
フランス語でジョルジュ
ロシア語でゲオルギー
リトアニア語でユルギスなど
このゲオルギウスはキリスト教では聖人とされていて、
西方(ローマカトリック教会)では十四救難聖人の一人に数えられています。
もちろんこのゲオルギウスも殉教者で、
当時の帝(ディオクレティアヌス)はキリスト教への警戒心からか、
303年ローマ全土に対してキリスト教徒への抑圧を行ったのです。
キリスト教徒への強制改宗、
そして聖職者の逮捕や投獄など…
このゲオルギウスもキリスト教徒という理由で逮捕されます。
そして棄教を迫られますが棄教せず、最後は殉教したのでした。
ー 聖ゲオルギウスの伝説 ー
カッパドキアのラシア付近で、
毒をふりまき人に噛みつく竜がいました。人々はこの竜の災厄から逃れるため、
毎日2匹の羊を生贄としてささげていたのです。しかし羊もいなくなってしまい、
ついには人間を生贄としてささげる事になってしまった。そしてこの生贄に選ばれたのが
偶然にも当時の王の娘だったのです。ある時そこにゲオルギオスが通りかかります。
そしてゲオルギオスは竜の話しを聞き
「もし私が竜を退治する事が出来たなら、キリスト教徒になる事を約束してほしい!」と。王はこの約束を受け入れ、
ゲオルギウスは竜退治に出かけたのです。・・・
ゲオルギオスは竜と対峙します。
そして竜が毒を吐こうとした瞬間…
ゲオルギウスはその竜の口に槍を突き刺したのです。それからゲオルギオスは姫の帯を借り、
竜の首にくくり付けて村まで連れ帰ったのでした。
この聖ゲオルギウスの伝説はヨーロッパ中で有名。
例えばイングランドの国旗は
この聖ゲオルギオスの伝説からきているといいます。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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