小林古径の作品を見ながら、道成寺に伝わる「安珍清姫」伝説を解説!

梵鐘

 

小林古径の代表作に清姫という、計8面から成る連作があります。

 

先日山種美術館で開催した「小林古径と速水御舟」展でも展示されましたが、実は8面すべてが一堂に公開されたのは約5年ぶり!この流れでいくと、今度観れるのは5年後になるかもしれない!?そう思うと、観れた事自体が貴重だったと言うわけです。人との出会いは一期一会が大事なのと同じで、作品も一期一会が大事!だと思っています。せっかく観に行くなら、存分に堪能しないともったいないですしね。

というわけで、これから連作「清姫」を見に行く人も参考になるよう、”安珍・清姫伝説について解説していこうと思います。

 

 

「安珍・清姫」伝説って、結構有名!?

「日高川」(1898年)豊原周延(ちかのぶ)

「日高川」(1898年)豊原周延(ちかのぶ)

 

安珍・清姫」は、紀伊国の道成寺(現在の和歌山県)にまつわる伝説です。

地域にまつわる伝説とはいえ、実は物語としては結構知られていたりします。というのも僕らが子供の頃に見ていた「まんが日本昔ばなし」でも扱われていたくらいですから。それから能楽や歌舞伎の演目にもなっているそうで、知っている人は馴染みのある物語でもあると思います。私は歌舞伎についてはよく知らない人間なので、演目になっている事自体知らなかったわけですが…。

裏を返せば、それだけ有名な伝説なら知っておかないと!というわで、私なりに解説していこうと思ったわけです。そんな私も多少知っているくらいの人間なので、今回イイ意味で深掘りして調べるきっかけにもなったわけで…。こういうきっかけって本当に大事ですよね。

 

 

 

古径の「清姫」を見ながら、「安珍・清姫」伝説を解説!

何が凄いの!?

さて「安珍・清姫伝説を一言で表すなら、清姫の悲しい恋の物語です。でも伝説というだけあって、もちろん普通では考えられない様な話になっています。

今回お話しするストーリーは、いくつかの資料などを参考に私なりにまとめてみました。実はちょっと私の解釈も交えています。というのも、「清姫」伝説は、様々な書物や文学作品に物語化されていて、違った解釈がされているから。実際古径も連作「清姫」を描く際、独自の解釈をしていますしね。

 

~ ”安珍・清姫伝説 ~ 

時は延長6年(929年)、時代で言えば平安時代になります。

奥州から一人の若い修行僧が、熊野詣に向かうためやって来ました。僧”安珍”は参拝の途中だっため、一晩宿を貸してほしいと求めてきました。真砂庄司の娘”清姫”は”安珍”に一目惚れし、宿を貸してあげる事にしたのです。

 

「寝所(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「寝所(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×83.7cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

その夜、清姫の恋の炎は消える事はなく、夜這いをかけてしまいます。しかし安珍は僧という身のため困惑。そこで仕方なく熊野からの帰りに立ち寄ると口約束だけして、去ってしまったのでした。

 

「熊野(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「熊野(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×107.4cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

これは安珍の目指す場所「熊野」が描かれています。

 

「清姫(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「清姫(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×104.9cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

しかし約束の日になっても安珍はやって来ません。安珍は参拝後、他の道を通り帰ってしまったというのです。騙されたと知った清姫は、疾風の如く追いかけます。

「川岸(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「川岸(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.5×160.4cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

安珍は必死の思いで日高川に到着し、船で川を渡ります。そして船頭に、後から来る清姫は乗せないように頼むのでした。

 

「日高川(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「日高川(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×130.4cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

日高川に着いた清姫は、手を伸ばし追いかけます。清姫は服を脱ぎ捨て大蛇へと姿を変え、日高川を渡るのでした。

 

「鐘巻(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「鐘巻(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×142.4cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

安珍は道成寺に逃げ込みます。そして梵鐘(ぼんしょう)を下してもらい、その中に身を隠します。大蛇と化した清姫は、安珍をどうしても許すことが出来ませんでした。終いには鐘に巻き付き、火炎で安珍を焼き殺してしまいます。話によると、その後清姫は入水自殺したとか…。

 

「入相桜(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

「入相桜(連作「清姫」より)」(1930年/昭和5年)小林古径

・48.9×112.6cm(8面の内の1面)、紙本・彩色、山種美術館所蔵

小林古径は「入相桜」を描く事で、清姫と安珍が供養された事を表現したかったのでしょうか。ちなみに僧侶の唱える法華経によって、2人は成仏したと言われています。

 

「清姫」伝説は様々な書物等で物語化されています。そのためストーリーにはそれぞれ違いがあったりします。古径は連作「清姫」を描くに当たり、こんな言葉を残しています。

 

 

私の「清姫」は文学のどの物語にも拠ったわけではなく、更に過去の絵画のどれに範を求めたという訳ではありません。唯(ただ)漫然道成寺の伝説を意識裡(いしきり)に浮べながら絵画化したものであって、謂(い)わば私の出鱈目に過ぎないのです。

出典元:「私の院展制作」『文芸時報』145号(昭和5年9月)

 

様々に物語化されているからこそ、ストーリーもそれぞれ違う。だから、解釈も画家によって様々あってもイイのでしょうね。

ちなみに私の解釈になりますが、古径は最後に「入相桜」を描く事で、安珍と清姫が安らかに成仏してほしい!そんな願いを込めたかったのかもしれないですね。

さて、あなたは連作「清姫」を観て、どう解釈しますか??それぞれ色々な解釈があるからこそ、絵画は面白いと思っています。正解はないですからね!

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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