![風景を描く](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/haagse_art01.jpg)
風景画を見ていくと
地名と深い関りがある事がよくあります。
例えば今回話をする”ハーグ派”もその1つ!
”ハーグ派”と聞いてもピンとこない人もいるでしょうが、
実はあの有名なファン・ゴッホとも深い関りがあるのです。
【目次】 ・”ハーグ派(The Hague School)”とは!? ・アントン・マウフェとゴッホの繋がり |
今回はゴッホとの関係も交えながら、
ハーグ派について話していこうと思います。
・・・
”ハーグ派(The Hague School)”とは!?
この”ハーグ派”はオランダの都市”Den Haag(デン・ハーグ)”から来ています。
実はこの様に地名が由来になっている画風は意外とあるものです。
例えば”バルビゾン派”や”スケーエン派”もそうで、
その都市に集まった画家たちがその地域の風景を描く。
この様に風景画は地域との関りが非常に強いものなのです。
”ハーグ派(The Hague School)”
…1870年から1900年頃にかけて
オランダの都市ハーグで活動した画家たちの呼び名を言います。屋外の風景や漁業、農業の従事する人達を描いた風景画が多く、
目の前の雰囲気を表現する事を目指し、
特徴としてはくすんだ色合い…つまり灰色の色合いが強い作風が特徴的でした。
(別名”灰色派”とも呼ばれたりしていました。)
主なハーグ派の画家たち
・アントン・マウフェ(Anton Mauve)
・アンドレアス・スヘルフハウト(Andreas Schelfhout)
・ウィナンド・ニュイエン(Wijnand Jan Josephus Nuijen)
・ヨハン・ヘンドリク・ワイセンブルッホ (Jan Hendrik Weissenbruch)
・マリス3兄弟…ヤコブ・マリス、マタイス・マリス、ヴィレム・マリス
この”ハーグ派”を一言で説明するなら
くすんだ色合いの風景画になると思います。
代表する画家にアントン・マウフェ(Anton Mauve)がいます。
(またはアントン・モーヴとも呼ばれたりします。)
実はこのアントン・マウフェはゴッホに大きな影響を与えた画家で、
ゴッホの師匠と言っても過言ではないかもしれないのです。
![「浜辺の朝の乗馬」(1876年)アントン・マウフェ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/morning_ride_on_beach.anton_mauve01.jpg)
「浜辺の朝の乗馬」(1876年)アントン・マウフェ
これはアントン・マウフェの代表作の1つ「浜辺の朝の乗馬」
見ての通り薄暗くくすんだ感じの風景が特徴的ですよね。
この絵を観てどう感じますか??
決して明るい感じの風景には見えませんよね!?
例えるなら夕暮れ前の薄暗い風景…
まさに”くすんだ風景画”と言った感じになると思います。
![「海辺の漁船」(1882年)アントン・マウフェ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/fishing_boat_beach.anton_mauve01.jpg)
「海辺の漁船」(1882年)アントン・マウフェ
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![「秋の風景」ヨハン・ヘンドリク・ワイセンブルッホ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/autumn_landscape.jan_hendrik_weissenbruch01.jpg)
「秋の風景」ヨハン・ヘンドリク・ワイセンブルッホ
このハーグ派の画家たちが重要視したのは、
目の前の風景をそのまま描写する事よりも、
その一瞬の雰囲気や印象を描く事に関心を注いだと言います。
何だか”印象派”に通じる部分があると思いませんか??
実はその通りで、
後の”印象派”の先駆けともいわれているのです。
![「雪の中の羊飼いと羊の群れ」(1887-88年)アントン・マウフェ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/shepherd_sheep_in_snow.anton_mauve01.jpg)
「雪の中の羊飼いと羊の群れ」(1887-88年)アントン・マウフェ
ここまでくると印象派と言っても相違はないかも…
ただ印象派よりもより薄暗い感じが強いですね。
そしてこのアントン・マウフェは、
ファン・ゴッホとも強い繋がりがあったとも言います。
ゴッホの画家人生の土台を作り上げたと言っても過言ではないと思うのです。
・・・
アントン・マウフェとゴッホの繋がり
このアントン・マウフェは
ファン・ゴッホに多大な影響を与えた画家だった言います。
でもここまで挙げた作品を見る限り、
ゴッホの作品とは全く似ても似つかない感じに思えませんか?
今ではファン・ゴッホと言えば
”印象派(もしくはポスト印象派)”のイメージがありますが、
そんなゴッホの画家としての基礎を作ったのが
この”ハーグ派”だったと言われているのです。
1881年末~(ゴッホ28歳~29歳の頃)
ゴッホは約2年間オランダの都市”ハーグ”で過ごします。
この間に画家のマウフェ(またはアントン・モーヴ)から
油絵、水彩画から画材の選び方などの基礎を手ほどきされます。しかし次第に互いの意見の違いから関係が悪化し、
マウフェと当時知り合ったハーグ派のメンバーとも上手くいかなくなります。そしてゴッホにとっての大きな転機が訪れます。
1886年(ゴッホが33歳の頃)…
ゴッホは弟のテオを頼りパリに移り住み始めます。
当時のパリでは印象派が人気を得ていた頃でした。
ゴッホはこの印象派から影響を受ける事になるのでした。またこの頃に画家のアドルフ・モンティセリ作品に出会い、
厚塗りの技法に傾倒していきます。
そして日本の浮世絵に興味を持ち始めたのもこの頃と言われています。それから数年後…
アルルでゴーギャンとの共同生活が始まったのです。
こうやって見るとゴッホにとって、
ハーグ派はかなり重要だったんだろうな~と思います。
ハーグ派はゴッホの画家人生の基礎と言われるのは、
こういった経緯があったからなんですね。
もちろん”ハーグ派”から影響を受けていた作品もあります。
![「屋根、ハーグのアトリエからの眺め」(1882年)ファン・ゴッホ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/rooftops.van_gogh01.jpg)
「屋根、ハーグのアトリエからの眺め」(1882年)ファン・ゴッホ
ゴッホらしい躍動的な感じはないですし、
ましてやゴッホの特徴ともいえる原色使いもない。
![「ハーグの鉄工所」(1882年)ファン・ゴッホ](http://kaiga-date.com/wp-content/uploads/2019/11/iron_mill_hague.van_gogh01.jpg)
「ハーグの鉄工所」(1882年)ファン・ゴッホ
もしこれはゴッホが描いたと言っても、
ちょっと信じられないかもしれませんね。
私たちがよく知るゴッホの画風とは
程遠い様にも思える”ハーグ派”ですが、
実はゴッホにとって重要な出会いだったわけです。
ここで要チェックの絵画展が!!
ゴッホがハーグ派と出会い、
そして印象派へと向かう画家人生…
そんなゴッホの経緯を見れる絵画展がこちらです。
・・・
「ゴッホ展(GOGH)」 (東京展) ・期間:2019年10月11日(金)~2020年1月13日(月)まで
(兵庫展) ・期間:2020年1月25日(土)~2020年3月29日(日) |
このゴッホ展は東京、兵庫と巡回で開催します。
ぜひチェックしておいてください!!
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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