- 2021-3-11
- Artwork (芸術作品), Impression (絵画展の感想)
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イギリスを代表する風景画家”ジョン・コンスタブル”と”ウィリアム・ターナー”。
ほぼ同時期を生きていただけに、何かと比べられる事も多い2人ですが、画家人生では全く対照的だったのです。
早くして才能が開花し評価され、20代でアカデミーの正会員に選出されたウィリアム・ターナー。対してコンスタブルは正会員になったのが50代。遅咲きながら、でも最終的にはターナーと同じ土俵で作品を展示しています。
実は以前三菱一号館美術館で開催した「コンスタブル展」で、こんな興味深いエピソードと共に2枚の作品が展示されました。
「ロイヤル・アカデミー展」で、ターナーのとった行動とは?
コンスタブルがアカデミーの正会員になったのが1829年。コンスタブルは52才で、やっとターナーと同じ地位まで上り詰めたのです。実際のところコンスタブルがターナーをライバル視していたかどうかは分からないけれど、少なくとも意識はしていたと思います。
ターナーが生まれたのが1775年、コンスタブルは1776年と1歳年下。ほぼ同年代で同じイギリス出身、しかも互いに風景画家という立場。意識しない方が、逆におかしいと思います。
そして2人が隣り合わせで展示する機会がやってきます。
1832年に開催された「ロイヤル・アカデミー展」での事でした。
・1832年発表、カンヴァスに油彩、130.8×218cm
これは1817年6月に行われた”ウォータールー橋の開通式”の様子を描いた作品。もちろんコンスタンブル自身もこの開通式の様子は見ていたそうです。そして作品が発表されたのが1832年。実に15年という歳月がかかっています。
そして注目すべきポイントは、作品の大きさと作風。コンスタブルの作品の中でも特に大き目なサイズで、しかもそれまで地味な作品が多かったのに、この絵に限っては妙に華やかで賑わいが感じられるのが特徴的!もちろん写実性は高く、群衆や式典の様子が細部までしっかりと描かれています。橋では祝砲が上がっていたり、あちこちで式典を眺めている群衆。アカデミーの正会員になったコンスタブルの並々ならぬ意気込みが感じられると思いませんか?
そして華やかなコンスタブルの作品の隣に展示される事になったのが、ターナーの得意とする”海”を描いた作品です。
・1832年、カンヴァスに油彩、91.4×122cm
これは”ユトレヒトシティ”と呼ばれる64門の大砲を備えた軍艦が、ヘレヴーツリュイスの港から出航する様子を描いています。海の絵を得意としていたウィリアム・ターナーにとって、もちろん自信作として出品したと思いますが…
如何せんコンスタブルの方や華やかで目を惹きますよね!
そして作品が一般公開される前に、ターナーがある行動に出ます!!それがターナーの性格を表わしている様で、実にオモシロイのです!!
闘争心剥き出しのターナーの行動がオモシロイ!!
コンスタブルの作品の隣に展示されたターナーの作品。当然ながらターナーは自信作として出品したと思いますが…、華やかで賑わいある「ウォータールー橋の開通式」を目にして、危機感を覚えたんでしょうね!作品が一般公開される前に、ターナーは作品にこんな手を加えたのです。
ヴァーニシング・デイに赤い塊”ブイ”を書き足したのです!
※”ヴァーニシング・デイ”とは?
画家たちはロイヤル・アカデミー展で自分たちの作品が展示された後に、ヴァーニシング・デイ(最終仕上げの日)”と呼ばれる最後の手入れをする事が許されていました。
※finishing touchとも言います。
ターナーは闘争心を剝き出しにする事も多く、負けず嫌いな性格で知られています。最後の抵抗として”赤いブイ”を描き加えたのです。これに対してコンスタブルは”ターナーがここにやってきて、銃をぶっ放していった”と語ったそうです。
ターナーのこのエピソードは、実に興味深いですね!
ターナーは自分の肖像画を描く際、かなり美化して描いていたのは有名な話!それに対抗意識も非常に強かった事はよく知られています。早くして名声を手に入れたけれど、意外と心配性で小心者だったのかもしれないですね。
”ロイヤル・アカデミー”って何!?
今回ロイヤル・アカデミー展の名が出てきましたが、
ここではどんなものなのかを説明したいと思います。
ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(Royal Academy of Arts)1768年に国王ジョージ3世の後援により設立された機関。
初代会長はジョシュア・レイノルズ卿で、
現在建物の中庭にはこのレイノルズ卿の銅像が建っています。画家や彫刻家などを養成する美術学校を運営し、毎年年次展を開催。
※ジョシュア・レイノルズ
(1723年~1792年)ロココ期のイギリスの画家。
古典絵画の様式を重視し歴史画を頂点とする考えを持っていた(グランド・マナー)。
画家や芸術家たちにとってこのロイヤル・アカデミー展で作品が展示される事は
自身の画家人生にとって非常に重要だったと考えていたそうです。
高い評価を得る事でパトロンに目が留まる事を期待したり、
将来的に注文を得る事にも繋がると期待していたからです。
このロイヤル・アカデミーは政府からの支援を受けていない独立の機関です。
それでも質は非常に高かったそうで、
当時画家たちがここを目標にしていたのも頷けますね!
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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