「テート美術館所蔵 コンスタブル展」を観てきました。

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」…三菱一号館美術館にて

 

何かとターナーと比較される事が多い画家”ジョン・コンスタブル”。

絵画展でもたまに目にする事がある画家だけれど、
どうしても同じイギリス出身のターナーと比べると陰に隠れがち…。

 

今回”三菱一号館美術館”で開催した「コンスタブル展」は、
そんなコンスタブルにスポットライトを当てた絵画展だったのです。

「テート美術館所蔵 コンスタブル展」…三菱一号館美術館にて 三菱一号館美術館
この三菱一号館美術館は洋風の庭を兼ね備えた美術館です。
東京と言うビジネス街でありながら、
まるでオアシスの様に広がる緑溢れる庭は本当に落ち落ち着きますよね!

 

今回は「コンスタブル展」について、
いくつか気になった作品を挙げながらレビューしていきたいと思います。

 

・・・

コンスタブルは生涯ほぼ一貫して風景画にこだわった画家で、
イギリスを代表する風景画家の1人に数えられます。

特に戸外で絵画を制作する事にこだわった画家で、
今では一般的な描き方かもしれないけれど当時としては先駆け的な存在だったようです。

 

「ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景」(1819-20年)ジョン・コンスタブル

「ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景」(1819-20年)ジョン・コンスタブル

ブランチ・ヒル池を見下しながら田舎町全体を眺める様に描いた作品。
これはコンスタブルが好んだ構図だったそうです。

そしてカンヴァス半分を占める空の描写は実に印象的で、
このハムステッドに滞在している間コンスタンブルは何枚も空の絵を描いています。

 

絵を見て感動!
思うにコンスタブルが外へ出て絵画を描いていたには、
こういった移り行く雲の様子を描きたかったのかもしれないですね。

惚れ込んだ風景を外へ出て肌で感じながらカンヴァスに表現したい!!
後々起こる”印象派絵画”に似ている部分があると思いませんか!?

 

当時戸外での絵画制作は訓練や教育上のための方法とみなされていたそうです。
でもコンスタブルは”自然こそあらゆる創造力が湧き出る源泉”と語っていたそうです。

果たしてどんな気持ちでコンスタブルは風景を描いていたんでしょうね!?

 

元々コンスタブルが画家を志すきっかけは
幼少期のある風景の思い出だったそうです。

もちろん時には風景以外で
肖像画なども描いたりしています。

 

「マライア・ビックネル, ジョン・コンスタブル夫人」(1816年)ジョン・コンスタブル

「マライア・ビックネル, ジョン・コンスタブル夫人」(1816年)ジョン・コンスタブル

これはジョン・コンスタブルの妻”マライア・ビッグネル

コンスタブルがこのマライアと出会ったのが1800年。
当時マライアは12歳だったといいます。

それから恋人関係になって1816年に結婚に至っているのです。

 

PS…実はこんなエピソードがあるのです。
コンスタブルはマライアと大量の手紙のやり取りをしていて、
その中でこんな文面が…
この絵を観るとあらゆる苦悩が落ち着きます。
毎朝最初に見て、そして毎晩最後にこの絵を見ている…”と。

なんともロマンチックですよね!!

 

「フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)」(1816-17年)ジョン・コンスタブル

「フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)」(1816-17年)ジョン・コンスタブル

これはフラットフォードの橋から、コンスタブル家の製粉所を眺めた情景。
※コンスタンブルは製粉所を営む裕福な家に生まれました。

コンスタンブルがマライアと結婚したのが1816年5月。
この作品は妻マライアとロンドンに移り住む前に描かれた作品だと言います。

説によれば馬に乗っている少年は画家自身の少年時代ではないか!?とも言われているそうです。

 

ここでCheck!

対照的なコンスタンブルとターナーの画家人生

コンスタブルは何かとターナーと比べられる事が多い画家です。

イギリス出身で共に風景画家、
それにほぼ同時期に生まれたというのも興味深いですね。

ターナーが生まれたのが1775年
(1775年4月23日~1851年12月19日没)

コンスタブルが生まれたのがその翌年の1776年
(1776年6月11日~1837年3月31日没)

 

でもその後の画家人生は全く違っているのです。

ターナーは家庭の事情もあって早くして画家の道を志します。

1789年(14歳の頃)に風景画家トーマス・マートンに弟子入りします。
そして24歳でロイヤル・アカデミーの準会員に、
26歳(1802年)には正会員になっています。

対してコンスタブルは
この年(1802年)にアカデミーの展覧会に作品を出展しています。

この時点でかなりの差があるわけですが、
でも遅咲きながらコンスタンブルは正会員になります。

それは1829年…
コンスタンブルが53歳の頃だったわけです。

でも悲しいかな…
その前の年(1828年)に最愛の妻マライアを失くしてしまっていたのです。

 

「ブライトン近郊の風車」(1824年)ジョン・コンスタブル

「ブライトン近郊の風車」(1824年)ジョン・コンスタブル

 

比較的落ち着いた雰囲気の風景画が多いコンスタブルですが、
でも1つ1つの作品にはふと惹かれるポイントもあります。

この「ブライトン近郊の風車」もそうですが、
所々に使われている”赤い色”。

落ち着いた風景画にワンポイントとして映える赤は、
まるで作品に生気を与えているとも言われています。

全体的にしんみりとした風景の印象が強いコンスタブルだけれど、
でも作品1枚1枚に画家なりの命を感じられた気がします。

たまにはこういった風景画もイイですね!!

ぜひあなたもコンスタブルの風景を観てみては??

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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