- 2021-10-17
- Impression (絵画展の感想)
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実は先日アーティゾン美術館で開催の「M式「海の幸」展」で、
青木繁の代表作でもある「海の幸」を観てきました。
普段は何気なく見ていた作品でも、
こうやって1つの作品にスポットライトが当てられると
いつも以上にじっくりと見てしまうものですね。
今まで持っていた先入観がもろくも崩れ去る様な…
そんな大きな発見!がこの企画展で得られたのです。
この「M式「海の幸」森村泰昌 ワタシガタリの神話展」は、
現代芸術家の森村泰昌氏と「海の幸」のコラボレーション企画で
独自の研究と解釈で森村式”海の幸”を作品化した作品展です。
今回はこの「M式「海の幸」展」で展示された
青木繁の作品を中心に話していきたいと思います。
・・・
そういえば初めてこの「海の幸」を見たのは、
確か学校の歴史の教科書だったと思います。
学生時代だった当時の僕の第一印象というと…
まるで焼野原を歩いている人たちの絵の様な
そんなグロさが滲み出た絵だったのを覚えています。
(でもタイトルでは「海の幸」なんですが…)
この青木繁の「海の幸」は現在重要文化財に指定されています。
この絵は10人の漁師が銛を手にして、
巨大な鮫(サメ)を担いで浜辺を行進している様子を描いた作品。
青木繁の大胆な表現力と想像力が賞賛される一方、
未完成だと酷評の声もある作品だったそうです。
青木繁の「海の幸」を鑑賞する際のポイント
あなたはこの「海の幸」が未完成だと思いますか?
それともれっきとした完成作品だと思いますか??
青木繁の「海の幸」が賛否を呼ぶ大きな理由は
”下絵の線”を残した描き方をしているからだそうです。
赤茶色というか黒い線があちこちに残っていて、
それが未完成の様にも映る様です。
でも解釈によっては人の動きを表現している様にも見えるし…
さてこれは私的な解釈になりますが、
この青木繁の「海の幸」は制作途中の作品に見えて仕方ないのです。
その一番の理由は一番右に残っている足の下書き線です。
でもこの様な描き方だからこそ、
漁業から帰って来た男たちの疲れはてた様子に見えるんでしょうね。
そしてそれが
まるで焼野原を歩く人達にも見えたんだろうと思います。
ちなみに青木繁は東京東京美術学校(現東京芸術大学)在学中に
白馬会第8回展に「神話画稿」を出品し白馬会章を受章します。
そしてその翌年の1904年に美術学校を卒業し、この時に「海の幸」を制作したのです。
未完成と言われている作品でも
現在この「海の幸」は重要文化財に指定されています。
それだけこの作品が明治期以降の日本の芸術に与えた影響が大きかったって事なんでしょうね。
さて青木繁の代表作というと「海の幸」ばかりが注目されがちです。
もちろんそれは仕方がないわけで、
実は青木繁は肺結核で1911年に28歳という若さで亡くなっているから。
そのため残っている作品もそこまでないわけです。
今回の「M式「海の幸」展」では
青木繁の作品が数点展示されています。
実は風景画家だった!?そう思わせるエピソードも衝撃でした。
(私的には神話の絵を描いた画家という印象が強いですが…)
上の海の絵なんかはまさに写実的な描き方が特徴的で、
一見すると”印象派の巨匠のモネ??”と思うほどでした。
この1905年に制作した「大穴牟知命」もそうですし、
ここまで挙げた「海の幸」も海の絵もどれもが美術学校を卒業してすぐ後の作品がほとんど。
実は青木繁は病気もあってか、
画家としての活動は上手くいっていなかったようです。
病気がなければ青木繁はどこまで高みに行けたのか??
もったいないと言えばそれまでだけれど、
短命だったにせよ
こうやって日本の芸術への貢献度は本当に高いのは凄い事ですよね。
実はアーティゾン美術館には
”青木繁の作品”が数多く所蔵されています。
ぜひ東京に行った際は立ち寄ってみるのもイイと思いますよ!
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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