”テオドール・シャセリオー”の作品と特徴

絵画(ART)

 

テオドール・シャセリオー

ロマン主義を代表するフランスの画家で、
早くして才能を認められた天才”シャセリオー”。

 

あなたはこの画家を知っていますか??

・・・

絵画界のナポレオンになる!”とまで言われながら、

残念かな…
37歳という若さでこの世を去ってしまったわけです。

「エステルの化粧」(1841年)テオドール・シャセリオー

「エステルの化粧」(1841年)テオドール・シャセリオー

これはシャセリオーの代表作とも言われるエステルの化粧
・45.5×35.5cm、カンヴァスに油彩

ルーヴル美術館に所蔵されている作品で、
もちろん世界的にも高く評価されているものです。

シャセリオーは短い生涯ながら、
残した作品は非常に優れているものばかりと言われています。

ルーヴル美術館やオルセー美術館にも多数所蔵されていて、
日本での知名度はそこまでないかもしれませんが、
フランスでは知らない人はいないほど有名!!

 

んなシャセリオー生い立ちを振り返りながら、
彼の描いた作品を見ていこうと思います。

 

 

テオドール・シャセリオーの生い立ちと作品

Painter - Painting

テオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau)

1819年カリブ海のイスパニョーラ島
(現在はドミニカ共和国)のサマナで生まれます。

 

そしてシャセリオーが11歳の頃(1830年)
新古典主義”の巨匠と言われたアングルのアトリエに入門します。

アングルは早くからシャセリオーの才能を見出していたといいます。

 

考え…・思い…
ここで”アレ!?”と思いませんか!?
シャセリオーはロマン主義の画家です。
でも師のアングルは新古典主義を代表する画家。
一体シャセリオーはどんな経緯でロマン主義へ進んだのだろう??

それは生い立ちを追っていくと見えてくるのです。

(古典主義…古代ローマやギリシャの形式美や調和に重きを置いた作風)

 

 

ここでCheck!
ロマン主義と新古典主義って何!?

実はロマン主義と新古典主義は相対する流派と言われています。
その違いなどを簡単ですが話したいと思います。

ロマン主義(Romantisme)
…18世紀~19世紀前半に起こった
感受性や主観に重きをおいた一連の運動”の事。
古典主義の形式などにとらわれることなく、
個人の夢や理想、感性を自由に表現した絵画とも言われています。

分かりやすく言えば”ロマン主義”は、
感性的”で”情熱的”な絵画が特徴になるのです。

対して”新古典主義(Neoclassicism)”の特徴は、
写真の様な写実性と形式的な美を重要視していました。

まとめるなら
新古典主義の伝統的で形式的な規制から打破して、
個性を尊重し自由な表現を追求していったのがロマン主義になるのです。

古典主義とロマン主義は相反する絵画なのが分かりますね!!

・・・

 

「水浴のスザンナ」(1839年) テオドール・シャセリオー

「水浴のスザンナ」(1839年) テオドール・シャセリオー

テオドール・シャセリオー水浴のスザンナ(1839年) 

シャセリオーは古典主義の巨匠アングルの弟子となります。

しかし1834年にアングルがパリを離れた事もあって、
徐々にシャセリオーは”ロマン主義”を代表する”ドラクロワ”に影響を受け始めていきます。

もちろん
師アングルとしては面白くないですよね!?
何せ自分の愛弟子が対立するドラクロワに惹かれたわけですから…。

実はアングルとドラクロワは互いに対立関係だったのは有名な話で、
師アングルが”シャセリオー”を快く思わないのも当然の事なのです。

そんな事もあってシャセリオーは
アングルとの師弟関係を解消されたのです。

ちょうど1840年頃
シャセリオーが21歳の時でした。

 

「ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ」(1840年)テオドール・シャセリオー

「ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ」(1840年)テオドール・シャセリオー

テオドール・シャセリオー
ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ(1840年)

 

ポイント!
シャセリオーの絵画は融合ではなく超越!

アングルから古典主義を学び、
ドラクロワからはロマン主義の影響を受ける!

つまりシャセリオーの作品はロマン主義でありながら、
古典主義的な要素も含まれているのがポイント!!なのです。

ただシャセリオーの凄い所は、
単なる調和や融合で終わっていない所なのです。

普遍的で形式的でありながら、
でも個人としての感情もしっかりと表現している。

矛盾するかの様な2つ主義を調和させ
シャセリオーは独自の絵画へと昇華させていったのです!

ロマン主義と古典主義の融合と超越
これこそシャセリオーの最大の凄さ!だろうと思うのです。

 

 

してシャセリオーにとって
もう1つ大きな転機がありました。

1846年にアルジェリア方面(中近東方面)に行きます。
これがシャセリオーに大きな影響を与えたと言われています。

シャセリオーの作品が異国的でエキゾチックと言われるのは、
こういった経緯があったからなのです。

「スカーフを使った踊り」(1849年)テオドール・シャセリオー

「スカーフを使った踊り」(1849年)テオドール・シャセリオー

テオドール・シャセリオースカーフを使った踊り(1849年)

踊っている女性のドレスの彩りや風合いは実に異国的ですね。

当時のフランスの画家たちにとって、
こういった色鮮やかな衣装や装飾品は魅力的に映っていたそうです。

 

「オリエントの室内」(1850‐1852年)テオドール・シャセリオー

「オリエントの室内」(1850‐1852年)テオドール・シャセリオー

テオドール・シャセリオーオリエントの室内(1850‐1852年)

 

しかし1856年(シャセリオー37歳の時)…
残念な事にシャセリオーは病気のためこの世を去ってしまうのです。

 

考え…・思い…
37歳という若さ…

ちょうどルネサンス期の巨匠ラファエロと
同じ年齢で亡くなってしまったのです。

天才で早くから才能を認めらた事からも
生い立ちの点もラファエロと共通していると思いませんか??

短い人生だったシャセリオーですが、
もしもっと長生きしていたら…

果たしてどんな絵画を描いていただろう!?

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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