- 2017-1-30
- Artwork (芸術作品), Word (用語)
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”ヴェネツィア派”と”フィレンツェ派”…
同じルネサンス美術でも地域によって様々な作風や派があった事は知っていますか!?
時代的にルネサンスは14世紀~16世紀、当時イタリアを中心にヨーロッパ各地に広まっていった芸術運動でした。もちろん地域によって作風や派も様々あったと言います。今回のヴェネツィア派とフィレンツェ派はその最たるものだと思います。
フィリッポ・リッピとティツィアーノ・ヴェチェッリオの2大画家。
この2人は共にルネサンスを代表する画家だけれど、作品の雰囲気が違うのは観て分かると思います。同じルネサンスでもこうも違うのは実に面白いですよね!そこには地域性や当時の社会情勢なんかも大きく関係している様なのです。
ルネサンス美術を観ていくと目にする事も多い”ヴェネツィア派”と”フィレンツェ派”。それぞれの特徴やポイントは一体何なのか??
一言でまとめるなら”伸び伸び描く”か”キッチリと描く”かの違いになるわけですが、それを作品を見ながらチェックしていこうと思います。そしてぜひ美術館で絵画を見る際の参考にしてもらいたいですね!
フィレンツェ派を代表する画家と特徴は?
フィレンツェ派は13世紀から17世紀にイタリアのフィレンツェで広まった流派。ルネサンスの時代が14~16世紀なので、このフィレンツェを中心にルネサンスが広まっていったと言っても過言ではないのです。
代表する画家にはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、サンドロ・ボッティチェッリ、フィリッポ・リッピなどがいます。ルネサンスを代表する3大画家のうち2人がいる時点で、フィレンツェがリードしていたのが何となく分かると思います。
フィレンツェ派の特徴は”デッサン重視!”
あいまいさを排除し、きっちりとした線で正確に捕える事を目指していた!のがフィレンツェ派の特徴と言われています。
例で言うと、フィリッポ・リッピなんかは分かりやすいと思います。

「二人のひざまずく寄進者のいる受胎告知」(1440‐1445年頃)フィリッポ・リッピ
・153×143cm、バルベリーニ宮の国立古典絵画館にて所蔵
よく知られている話ですが、このフィリッポ・リッピの弟子がボッティチェッリと言われています。そして息子のフィリッピーノ・リッピは弟子ボッティチェッリを師事していたそうで、この辺りの関係性は非常に興味深いところがありますよね。

「聖母子と天使」(1465年)フィリッポ・リッピ
・95×62cm、ウフィツィ美術館所蔵
メリハリがあって、知性的と言われるのは、フィレンツェ派がデッサンを重視していたからなんですね。
ちなみに余談ですが、フィリッポ・リッピは自身が修道士、つまり聖職者でした。でも修道女ルクレツィア・ブティと駆け落ちしてしまいます。この2人の間に生まれたのが息子フィリッピーノ・リップでした。当然この駆け落ちは大問題となり修道院を出禁となります。それがメディチ家当主コジモ・デ・メディチのとりなしによって、結婚が許されたのです。このエピソードからも当時メディチ家がいかに権力を握っていたかが分かると思います。
ヴェネツィア派の代表する画家と特徴は?
対してヴェネツィア派は15世紀から16世紀にかけて、水の都ヴェネツィア(Venice)で広まった流派。
代表する画家と言えば、かの有名なティツィアーノ・ヴェチェッリオがいます。他にはジョヴァンニ・ベッリーニ、パオロ・ヴェロネーゼ、ティントレットなどもいますが、ティツィアーノは中でも頭一つ抜き出た存在でした。

ヴェネツィア派の特徴は”曖昧さ重視!”
ヴェネツィア派の最大の魅力は曖昧さになると思います。明暗の調子を色彩で表現し、流動的であいまいな線によって伸び伸びとした感じや全体の空気感を表現しようとしました。下書きや素描にとらわれる自由に伸び伸びと描いていたわけですね。

「フローラ」(1515年)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
・79×63cm、カンヴァスに油彩、ウフィツィ美術館所蔵
これはティツィアーノの代表作「フローラ」。この絵を一言でいうなら本当に美しい! それしか言いようがない名画だと思います。 この絵からも分かる通りくっきりとした線がなく、まるで浮き上がる様に描かれているのが特徴的だと思います。より人物が立体的に見え、すべてが繋がっている様にも見えませんか?
※”フローラ”という女性はローマ神話に登場する花と春の女神です。
ちなみにティツィアーノはこの絵を描くのに、何度も塗り重ねて描いたと言います。肌の描写が綺麗で深みがあるのはそのためなんでしょうね。もしティツィアーノがフィレンツェ出身だったら、こういう作品にはならなかったのでは?と思います。

「ダナエ」(1553‐1554年)ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
・129.8×181.2cm、カンヴァスに油彩、プラド美術館所蔵
このティツィアーノはヴェネツィア派をたった一代で築き上げたと言われるほど凄い画家。
よく知られるエピソードですが、彼はほとんどデッサン(素描)をしなかったそうです。そのままキャンバスに絵具で描く方法を多用していたといいます。この話からもよっぽど絵が上手かったんだろうな~というのは分かると思います。
美しい色彩と伸び伸びとした躍動感!そして流動的な感じはまさに”水の都”ならではって感じがしますよね。
ちなみにヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオがイタリア紙幣の採用された事もあったそうで、それだけイタリアにとってティツィアーノの存在は大きいって事だと思います。
同じルネサンス美術でも、なぜ地域によって違うの!?
地域によって違いが生まれた理由は、当時画家の多くは ”パトロン”によって支えられていたから!
※パトロン(patron)…支援者、後援者という意味。
現代でもたまに聞く言葉だと思いますが、当時パトロン(支援者)の多くは権力者や経済的影響力のある人間が多かったと言います。そんな理由もあって当時の政治や地域性が絵画にも現れてきたわけです。もちろん今回のヴェネツィア派とフィレンツェ派もそうで、同じルネサンス美術でも地域による特色が出てきたわけのです。
”キッチリした知性的”が特徴のフィレンツェ派。
”自由で伸び伸びした流動さ”が特徴のヴェネツィア派。
同じルネサンス絵画とはいっても、ヴェネツィア派とフィレンツェ派では全くと言ってもいいほど対照的なのです!
私が考えるヴェネツィアとフィレンツェが対照的な理由!
ここからは私の解釈になりますが、どうしてヴェネツィアとフィレンツェが対照的なのか??私の考えになりますが、他にはこんなこんな理由があると思うのです。
当時のフィレンツェは金融や商業で栄えた都市でした。そんな事もあってはっきりとメリハリがある絵が受け入れられたのかもしれませんね。逆にヴェネツィアは貿易で栄えた都市でした。異国の文化や様式を受け入れていただろうから、良い意味でゆるさと自由があったのだろと思うのです。
もちろんヴェネツィアは水で囲まれていた地域だっただけに、湿気も多かったそうです。ヴェネツィア派は壁画よりも持ち運びができる絵画の方が主流だったと言われています。同じルネサンス絵画でもこうも地域によって特色があるのも面白いですね。
ぜひ美術館に行って観る際は、参考にしてみるのもオモシロいと思いますよ!
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