- 2024-12-16
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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アーティゾン美術館には安井曾太郎の「薔薇」という静物画があります。
そういえば初めてこの絵を目にした時ですが、本当に意外という感じでした。
”この画家が静物画を描くなんて、実に珍しい!!”と。
それだけ私にとって、安井曾太郎=人物画というイメージが強かったと言うわけですね。
この様にアーティゾンには、隠れた名画が沢山あると思っています。今回は静物画「薔薇」について話していこうと思います。
【 目次 】 |
アーティゾンの隠れた名画”安井曾太郎”の「薔薇」
初めて「薔薇」という静物画を観た時は、本当に意外な驚きがありましたね。
安井曾太郎がこういった静物画も描いていたなんて!!
それほどまで、安井曾太郎=人物画家というイメージが強かったというわけです。
おそらく代表作「金蓉」の印象が大きく影響しているのだろうと思います。
先日アーティゾンに行った際、静物画「薔薇」に出くわしたわけですが、改めて”イイ絵だな~”っと。
ルノワールの様な優しく柔らかなタッチという訳でもなく、かといって写真の様な写実性もない。
どちらかと言えば大胆なタッチによって描かれた豪快な静物です。それでいて妙に花の存在感が感じられるから不思議ですよね。
・カンヴァスに油彩、石橋財団コレクション
でもよ~く考えたら、別に不思議というわけでもないのかもしれない。
なぜかというと、安井曾太郎はセザンヌから大きく影響を受けていたからです。
ポール・セザンヌと言ったら、リンゴや山などを描いたポスト印象派画家で有名。
”重み”の感じられる絵を描かせたら、ピカ一だと思っています。そんな画家の影響を受けているわけだから、「薔薇」の存在感が際立って感じるのも不思議ではないわけです。
この様に明確な輪郭とメリハリある色彩が特徴の作風は、俗に「安井様式」と言われるようになります。安井曾太郎が苦難の末編み出した日本的油彩画だったわけです。
安井曾太郎が編み出した”安井様式”…
臨場感というとちょっと違うのだろうけど、目の前に存在しているかの様な”リアル感”と言った感じでしょうか。
分かりやすい表現でいうと、”存在感が感じられる絵”というわけですね。
これは実際に観ないと分からない感覚だろうと思います。
梅原龍三郎と並び称される画家”安井曾太郎”について解説!
安井曾太郎というと、梅原龍三郎と並び称される程の画家で有名。
「安井賞」なる賞がある程なので、それだけ日本にとって影響力のある画家なわけです。
では簡単ですが、生い立ちなどについて話していきましょう。
ー 安井曾太郎(やすいそうたろう)ー
明治21.5.17~昭和30.12.14(1888-1955)
日本を代表する洋画家の一人。
明治37年(1904年)聖護院洋画研究所に入り、浅井忠に師事。その後、関西美術院に進む。
明治40年(1907年)、先輩画家”津田青楓(せいふう)”と共に渡欧。(1907ー1914年)最初はアカデミー・ジュリアンでジャン=ポール・ローランスに学び、後にミレーやカミーユ・ピサロ、セザンヌの作品を研究。特にポール・セザンヌには強く傾倒し、後の画風にも大きな影響を受けています。
帰国後(大正4年)は、二科会会員に迎えられる。
・96.5×74.5cm、カンヴァスに油彩、東京国立近代美術館
その後は画家として低迷する時期を経て、独自の様式を求めた末に清爽堅実な写実的作風を確立。
「金蓉」(1934年、東京国立近代美術館)、「玉蟲先生の像」(1934年、東北大学資料館)、「深井英五氏像」(1937年、東京国立博物館)などの肖像画を描き、梅原龍三郎と並び称される程になる。
昭和10年(1935年)帝国美術院会員となり、翌11年には石井柏亭、山下新太郎らと共に一水会を結成。
昭和19年(1944年)には帝室技芸員、東京美術学校教授に就任、昭和24年には日本美術評論家連盟の初代会長となる。
昭和27年(1952年)、文化勲章を受章。
先ほどもちょっと触れましたが、安井曾太郎の評価を高める要因になったのが、独自の油彩画「安井様式」の確立です。
明確な輪郭とメリハリある色彩が特徴で、作風のベースはポール・セザンヌの影響だと言われています。
この「安井様式」が遺憾なく発揮されたのが人物画というジャンルでした。
もちろん静物画においても活かされ、アーティゾンの「薔薇」はそれを象徴する作品だというわけです。
現在は石橋財団コレクションになっているので、アーティゾン美術館で展示された際はぜひ観てほしいものです。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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