- 2024-6-9
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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ジョルジョ・デ・キリコの代名詞とも言える”形而上絵画”ですが、どういう意味か理解できますか!?
一見すると、哲学的で難しい言葉に思うでしょう。実際に作品を観ても、理解に苦しむ感じですから。
論理や常識では到底説明出来ない作風だから仕方がないと言えばそれまでですが…。
でも「デ・キリコ展」を観た私としては、”形而上絵画”って決して難しいものでもない!と思っています。
これは私なりの解釈なので、人によって意見が違うかもしれませんが。でもあながち間違ってもいないのでは?とも思っています。
今回は私が分析し、解釈した”形而上絵画の本当の姿”について話していこうと思います。一つの参考として聞いてもらえたら幸いですね。
【 話の流れ 】 |
”形而上絵画”の意味を、辞書で調べてみました。
”形而上絵画(けいじじょうかいが)”ですが、英語では”Metaphysical painting(メタフィジカル・ペインティング)”で、イタリア語では”Pittura Metafisica”となるようです。
20世紀初頭にジョルジョ・デ・キリコらによって提唱された芸術様式で、シュルレアリスムの先駆けとも言われる。俗に”形而上派”とも呼ばれています。
特徴としては遠近法のズレや時間のズレ、人間が描かれる事はなく特異なモノが描かれる事が多く、観る者に謎や不安を感じさせる絵画とも言われたりします。一般的な認識では、ちょっと理解できない作風が”形而上絵画”というわけです。
参考として、私の所持している辞書の解説も見てみようと思います。
”形而上絵画派”
未来派が都市生活のダイナミズムを唱えた後を受けて、神秘的な風景や静物のなかに、メタフィジカル(形而上的)な世界を暗示しようとしたもので…
・出典元:「新潮世界美術辞典」から、”形而上絵画派”の解説より一部抜粋
「新潮 世界美術辞典」では、神秘的な風景や静物のなかに、メタフィジカルな世界を暗示しようとした絵画と解説されています。
一般的に”形而上”は形をもっていないもの、超自然的なものを意味するので、上の説明文で当てはめれば、”超自然的な世界を暗示しようとした。”となるのでしょうか。
形而上絵画とは、日常世界の背後にある世界を表現するものです。日常世界の背後にある世界とは、合理的な思考では理解できない世界のことです。
・出典元:「世界美術史入門」より、一部抜粋
「世界美術史入門」では、”日常世界の背後にある世界を表現”と解説がされていました。
合理的な思考では理解できない世界…
つまり”風景や静物画の中に、非日常的で合理的な思考では理解できない世界を描いた作品”となるでしょうか。
私的にはこの解説の方が一番分かりやすいですね。
デ・キリコの形而上絵画では遠近法が無視されたり、人間の代わりにマネキンや石像が使われたりしていますが、理解できなくて当然なわけですね。だって私たちの常識では説明できない世界観を描いているわけですから。
私たちの常識では説明できない世界観を描いた作品ですから、理解できなくて当然!
というか理解しようとすればするほど、どつぼにハマり、訳が分からなくなってくる。不安や謎めいた気持ち悪さを感じるのも当然というわけです。つまり形而上絵画を観る時は、正解を求めては駄目って事です!
ここまでの説明を聞く限り、”形而上絵画”ってとても高尚で哲学的な絵に思うでしょう。
でも私が解釈&分析した限りでは、形而上絵画はそこまで難しくない!と思っています。案外単純なものだと思うのです。
これについては、以下で話していこうと思います。
私の解釈する”形而上絵画の正体”はコレです!
一見難しそうに見える”形而上絵画”ですが、私なりの解釈としては”形而上絵画はそこまで難しくない!”と思っています。
つまりデ・キリコが凄そうな芸術に見せているだけじゃないのか!って事です。
私の推測になりますが、形而上絵画はデ・キリコが精神的に病んだ状態に描いた絵画だったと思っています。でも傍からは”精神的弱さの露出した程度の低い絵画”と思われたくなかった。そこでデ・キリコは哲学的な言葉を用いる事で、難しく凄そうな絵画に見せようとした!
これが私が解釈する”形而上絵画の正体”です!
一見難しそうに思える絵画だけれど、単に自身の弱さが浮き出た絵画だったのではないか!?
実際にデ・キリコの生い立ちや時代背景を踏まえても、あながち間違ってもいないと思っています。
もうちょっと掘り下げて解説していこうと思います。
デ・キリコが”形而上絵画”なるものを手掛けたのが、1910年頃。ちょうどフィレンツェに移住した頃でした。
本人曰く、”神からの啓示によって生まれた絵画”とされていますよね。
まるで夢の世界にいる様な…、幻想的で謎めいた世界観というか。そういった感じの画風として、後にデ・キリコ本人が”形而上絵画”と命名したわけです。
神からの啓示!
さすがにこういったエピソードがあると、”形而上絵画”が崇高で、凄そうな絵画に思えてしまう。画風も非常に謎めいているし、神秘性に溢れているから、なおさらですよね。
でも…
この頃のデ・キリコは精神的にかなり弱っていたというのはよく知られている話です。
数年前に父を亡くしていますし。1914年には第1次世界大戦が勃発し、デ・キリコ本人も少なからず戦争に巻き込まれています。1910年代は世界的にも社会的にも混沌とした時代だった。もちろんデ・キリコ自身も悲劇や死、混乱の渦中にあったわけです。
ちなみに私の推測になりますが、この頃ニーチェなど哲学者の思想に影響を受けていたのも、根底にはデ・キリコの精神的な弱さが原因だったのでは?と思っています。つまり誰かの思想にすがりたかったからだと。
よくデ・キリコは毒舌で有名な画家で知られていますが、本当は繊細な人間だった!と思っています。
普通に考えて、精神的に病んでいる人間が哲学的で難しい絵を描くだろうか!?精神的に病んでいる状態が絵画に表現されている!と推測するのが当然の流れだと思いませんか?
実際に「デ・キリコ展」に行くと分かりますが、多くの形而上絵画で直接的に人間の顔が描かれた作品がほとんどありません。仮にあったとしてもマヌカンの顔で描かれるといった状態です。
室内を描いた作品でも人間が描かれる事はなく、戦争を描いた作品でも直接人間が描かれる事はなく、多くはギザギザと黒で表現されているほど。どれも謎めいた作品ではあるけれど、ここまで人間の顔が描かれていないのもちょっと違和感を感じませんか??
ココからは私の推測と分析になりますが、デ・キリコは人間を直視できないくらい人間不信に陥り、うつ状態にあったと思っています。
人間が居る光景を目にしても、本能的に人間を見る事を避けていた。だから”本能的”に人間を描けなかったのだろうと。デ・キリコは人間の姿を描く事を、本能的に避けていたというのが私の考えです。
その結果デ・キリコが目にした光景は、相当歪んだ世界に見えていたのかもしれない。それをカンヴァスに表現したのが”形而上絵画”だったと。
つまり私が思う”形而上絵画の正体”は、本能的に人間を描く事を拒否した結果生まれた絵画というわけです。
これが私の解釈&分析による”形而上絵画の正体”です。
どうでしょう!?人によっては違う!という意見もあるでしょう。
すでにデ・キリコはこの世に存在していませんから、真相は本人にしか分からないですが、あながち私の解釈も間違っていないと思っています。
とにかくこんな考えもあるんだな~という感じで、参考として聞いてもらえたら幸いですね。
そして実際に作品を観てみて、あなたなりに解釈してみるのもイイと思います。
これこそ、絵画鑑賞の醍醐味でもありますからね!^^
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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