新印象派の画家”アンリ=エドモン・クロス”を解説!

画家”アンリ=エドモン・クロス”について解説

 

作品はこれまで見たことはあっても、画家についてはそこまで詳しくない。そういった画家も意外と多いと思います。今回紹介するのは、まさにそういった類の画家です。名はアンリ=エドモン・クロス(Henri Edmond Cross)

新印象派の画家で、点描画の作品が特徴のフランスの画家です。

 

今回は画家アンリ=エドモン・クロスの生い立ち、そして代表作品などを見ていこうと思います。

 

 

”アンリ=エドモン・クロス”って、どんな画家!?

解説

元々印象派が美術好きになるきっかけだっただけに、印象派に属する画家の作品は大体観てきた自負はあります。とはいえ、詳しく知っているか?と問われたら、そこまで詳しくない画家もいます。このアンリ=エドモン・クロスもその一人です。

そして、いざ調べてみたら意外と面白い画家だった!というわけで、今回解説していこうと思ったわけです。

 

ずは代表作を一枚見てみましょう

「森の開けた場所」(1906‐07年)アンリ=エドモン・クロス

「森の開けた場所」(1906‐07年)アンリ=エドモン・クロス

・162.0×130.0cm、カンヴァスに油彩、プライベート・コレクション

エドモン・クロスの代表作と言ってもイイでしょう!「森の開けた場所(The Glade)」という作品です。見ての通り”点描画”の技法を使った作品で、ポール・シニャック(Paul Signac)ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)を思わせる作風が特徴です。ただ鮮やかさで言えば、特に際立っている感じがしませんか?マティスに影響を与えたというエピソードがある事から、フォーヴィスム的な雰囲気も感じると思います。

 

れでは、エドモン・クロスについて解説していこうと思います。

クロッス、アンリ=エドモン

Henri-Edmond Cross(本姓 ドラクロワ Delacroix)

1856ー1910 フランスの画家。ドゥエーに生れ、ヴァル県サン=クレールで没。本姓が画家としてあまりにも重荷なので、英語に直して通称とした。ボンヴァンに学んだが、のにち印象主義に転じ、サロン・デ・ザンデパンダン(→アンデパンダン展)の創立に参加した。スーラやシニャックの影響のもとに1891年より『糸杉』(パリ、国立近代美術館)など、点描主義による作品を描いた。

・出典元:『新潮 世界美術辞典』

 

「タバコをくわえた自画像」(1880年)アンリ=エドモン・クロス

「タバコをくわえた自画像」(1880年)アンリ=エドモン・クロス

1856年にフランスの最北部に位置する地域ノール県のドゥエー(Douai)で生まれる。

最初エドモン・クロスは写実主義の画家フランソワ・ボンヴァン(Francois Bonvin)に絵を学んでいました。そして1881年にパリのサロンに作品を出品しますが、この頃(20歳中ごろ)の作風はアカデミックな作風だったというわけですね。それが印象派の画家たちに影響され、次第に作風にも変化が表れてきたというわけです。

さて1880年頃といえば、「印象派展」もそれなりに回数を重ねるようになった頃。印象派というものがある程度世間に認知されるようになっていった頃です。若かりしアンリ=エドモン・クロスにとっては、印象派の画風は衝撃的に映ったかもしれませんね。

 

「黄金の島々」(1891‐92年)アンリ=エドモン・クロス

「黄金の島々」(1891‐92年)アンリ=エドモン・クロス

・59.0×54.0cm、カンヴァスに油彩、オルセー美術館所蔵

その後新印象派の画家ポール・シニャック(Paul Signac)たちとの出会いで、次第に画風は点描へと移行していきます。

ジョルジュ・スーラの代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が発表されたのは、1886年の「第8回印象派展」だったので、そう考えるとシニャックやスーラと共に画風が変化していったと言っても過言ではない様です。
※「第1回印象派展」は1874年に開催し、1886年までに計8回開催しました。

 

「森の風景」(1906‐07年)アンリ=エドモン・クロス

「森の風景」(1906‐07年)アンリ=エドモン・クロス

・カンヴァスに油彩、アノンシアード美術館所蔵

晩年はアンリ・マティス(Henri Matisse)に影響を与えたと言われていて、後半になるとフォーヴィスム(野獣派)的特徴もあったというわけです。というか色彩的な部分は通じる部分があると思うので、ある意味自然な流れだったと言ってもイイと思います。

 

て肝心の面白い点ですが、『新潮 世界美術辞典』で気になる一文に注目!

本姓が画家としてあまりにも重荷なので、英語に直して通称とした。”

本姓が重荷!というのが何ともオモシロい!名を変えたのは1881年頃だったそうで、本格的に画家としての道を歩み始めた頃。というか本姓はドラクロワ(Delacroix)ですから、これは仕方がないでしょうね。ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene Delacroix)は1798年ー1863年に生きたフランスの画家。ドラクロワは40歳頃にはそれなりに名声を得ていた画家だった。エドモン・クロスは1856年に生れたので、否が応でも期待を掛けられるというか、プレッシャーを感じてしまうのは仕方がない。しかも同じフランス出身ですからね。

 

「午後の空気」(1893‐94年)アンリ=エドモン・クロス

「午後の空気」(1893‐94年)アンリ=エドモン・クロス

・116.0×165.0cm、カンヴァスに油彩、オルセー美術館所蔵

エドモン・クロスも新印象派の画家として活躍はしましたが、でもドラクロワとは比べると…。ただロマン主義と新印象派では土俵が違いますし、これは比べるものでもないですね。ただ個人的にはエドモン・クロスの方が画風は好きですが。

 

「カーニュの糸杉」(1908年)アンリ=エドモン・クロス

「カーニュの糸杉」(1908年)アンリ=エドモン・クロス

・81.0×100.0cm、カンヴァスに油彩、オルセー美術館所蔵

1908年の作品「カーニュの糸杉(Cypresses at Cagnes)」です。エドモン・クロスは1910年に亡くなっているので、ほぼ晩年の作品になるでしょうか。しかも糸杉を題材にしているのが何とも意味深めに感じませんか??糸杉はキリストとも関係が深く、””を象徴する木でもある。晩年に描いている事からも、何か近い将来自身の死を感じ取っていたのかも?と思うのは私だけでしょうか。

 

晩年になるにつれ、強まる鮮やかさや色彩感。もしかしたら後半は、独自の画風が目覚め始めたのかもしれませんね。生い立ちを知れば知るほど、解釈も深まれば想像も膨らむ。調べていくと面白い発見もあるのも、美術のオモシロさだとつくづく思いますね。^^

 

「遊ぶ母と子」(1897‐98年)アンリ=エドモン・クロッス

「遊ぶ母と子」(1897‐98年)アンリ=エドモン・クロス

・73.0×100.0cm、カンヴァスに油彩、松岡美術館所蔵

これは松岡美術館に所蔵されている作品「遊ぶ母と子」です。白金台にある私立の美術館で、自前の作品だけで企画展を開催しています。実に素敵な作品が揃っているので、一見の価値ありですよ!ぜひ一度行って観るのもイイと思います。
参考に⇒松岡美術館で「モネ、ルノワール 印象派の光」展を観てきました。

 

新印象派の作品だけに「印象派」の展覧会では展示される機会も多いと思います。もし見かける事があったら、今回の話を思い出してみて下さい。より作品を深く観れるかもしれませんよ。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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