肖像画家で水彩画の名手”ジョン・シンガー・サージェント”を解説!

画家”ジョン・シンガー・サージェント”

 

肖像画で名を馳せ、”現代のヴァン・ダイク”と称賛された画家”ジョン・シンガー・サージェント

 

サージェントの肖像画は、何といっても優雅で華麗!そして洗練された作風が特徴です。当時の上流階級の人々から多くの依頼を受けたのも頷けますね。

時代的には印象派の巨匠モネと同時期に生きた画家で、確かに印象派の影響を受けた作品も残しています。でもサージェントは一昔前のアンソニー・ヴァン・ダイクを彷彿とさせる肖像画で地位を確立。”現代のヴァン・ダイク”とまで言われるほど!

絵画展でも度々作品が展示されるだけあって、観る機会も多い画家の一人だろうと思います。しかもサージェントという画家は、肖像画家だけでなく風景画家という側面があるのも魅力!生い立ちを追いながら作品を見ていくと、隠れた魅力に惹かれていくだろうと思います。

 

 

ジョン・シンガー・サージェントの作品の特徴

Painting Art

ロンドンやアメリカで肖像画家として成功したサージェント。ここまで品があって、華麗な肖像画を描く画家は他にいるだろうか??

 

…おそらく当時を見渡しても、なかなか見当たらないと思います。

 

「ヴィッカース家の令嬢たち」(1884年)ジョン・シンガー・サージェント

「ヴィッカース家の令嬢たち」(1884年)ジョン・シンガー・サージェント

・137.2×182.9cm、カンヴァスに油彩、シェフィールド美術館所蔵

これはロイヤル・アカデミー入選作「ヴィッカース家の令嬢たち」。品と美しさを兼ね備えた3人の女性たち。当然ながら評価が高かった作品です。でもその半面、”醜い”という意見もあった作品です。なぜなら違和感がある美しさだったから。特に人工的にも見える表情は当時の観客には奇異な印象を与えたそうです。こういったエピソードからも、かなり美化していたのでは?と思ってしまいますね。

上流階級の人たちは、自分たちの地位や名声、そして自分たちを良く見せようと肖像画を依頼した人が多かったそうです。そう考えると、多少なり美化して描いていたのは間違いないでしょうね。出来る事なら写真と比べながら、サージェントの描いた肖像画を観てみたいものです。

 

「山火事」(1903‐1908年頃)ジョン・シンガー・サージェント

「山火事」(1903‐1908年頃)ジョン・シンガー・サージェント

 

さて、一般的にサージェントは肖像画家として有名です。確かに肖像画で名を馳せた画家ではあるけれど、同時に水彩による風景画家という面も持っていました。実は人生の後半は肖像画の依頼を断り、旅をしながら水彩画を描いていたのです。肖像画とは違った趣があって、その場の雰囲気を感じさせるリアリティ。おそらく、これこそサージェントの本当に描きたかったものかもしれないですね。

 

 

ジョン・シンガー・サージェントの生い立ちと作品

ZOOM

画家サージェントの生い立ちを追っていくと、作品により深みが増してくる感じがします。特に晩年に至る肖像画から風景画へと移り変わりは、画家サージェントの本来の姿が垣間見れる感じがしてならない。

 

純粋に描きたいものを描く…

本当のサージェントを語る上で、後半の水彩画や風景画は外せないと思うのです。

サージェント(John Singer Sargent)

アメリカの世紀転換期の画家。フィラデルフィア出身の外科医の子。フィレンツェに生まれ、幼少期をローマ、ジュネーヴ、ニースなど観光地に過ごす。生涯独身で、妹2人と母と長く生活を共にする。フィレンツェの美術アカデミー卒業後1874年パリに行き、カロリュス=デュランに入門、エコール・デ・ボザールに入学、76年渡米、アメリカ国籍を得る。77年にサロンに入選、84年「マダムX」がサロンでスキャンダルとなり、86年以降はロンドンのタイト・ストリートに本拠を移す。新英国美術クラブの創立会員で印象派的作風を伝播するとともに、ロイヤル・アカデミー会員として20世紀初頭のイギリス肖像画に支配的影響力をもつ。ガードナー夫人ほかアメリカにパトロンが多く、太平洋を往復して制作。1906年の母没後は、夏はアルプスで水彩を、冬はアメリカで壁画を描いた。各界に親しい友人をもち、小説家ヘンリー・ジェームズは彼をモデルに多くの芸術家小説を書いた。世紀末の社交界肖像画家、国籍離脱者(エクスパトリエット)、20世紀初めのエドワード朝紳士的文化人の典型とされる。

※「西洋絵画作品名辞典」より

 

1856年、1月12日…
イタリアのフィレンツェで、アメリカのフィラデルフィア出身の外科医の子として生まれます。

 

1874年(サージェント18歳の頃)…
サージェントはフィレンツェの美術アカデミーを卒業した後、パリに行きカロリュス・デュランに師事します。

カロリュス・デュラン(1837‐1917年)は、上流階級の肖像画で成功したフランスの画家。この時期にサージェントは肖像画としての基礎を学びます。

 

「カンカルで牡蠣をとる人々」(1878年)ジョン・シンガー・サージェント

「カンカルで牡蠣をとる人々」(1878年)ジョン・シンガー・サージェント

・78.7×121.9cm、カンヴァスに油彩、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

カンカルは牡蠣(カキ)の産地で有名な町。サージェントはこの作品でサロンに入選し、2等賞を獲得します。

 

「カンカルで牡蠣をとる人々」(1878年)ジョン・シンガー・サージェント

「カンカルで牡蠣をとる人々」(1878年)ジョン・シンガー・サージェント

・40.9×60.9cm、カンヴァスに油彩、ボストン美術館所蔵

 

サージェントは1874年から1879年までの約5年間をデュランの元で修業します。そしてその後、イタリアやスペインを旅します。ちなみにスペインと言えば、宮廷画家として名を馳せた”ディエゴ・ベラスケス”の国。サージェントの大胆で素早い筆の運びと写実的な作風は、ベラスケスの影響を強く受けていたわけです。

 

「ポイト家の子供たち」(1882年)ジョン・シンガー・サージェント

「ポイト家の子供たち」(1882年)ジョン・シンガー・サージェント

 

 

1884年(サージェント28歳の頃)…
パリのサロンに出品した作品「マダムXの肖像画」で、大スキャンダルに!!

「マダムX(ゴートロー夫人)」(1884年)ジョン・シンガー・サージェント

「マダムX(ゴートロー夫人)」(1884年)ジョン・シンガー・サージェント

・208.6×109.9cm、カンヴァスに油彩、メトロポリタン美術館所蔵

この”マダムX”のモデルは、フランス人銀行家ピエール・ゴートローの夫人。当時上流階級の間でもゴートロー夫人の美しさは評判で、サージェントは自身の名を売るためにモデルとして絵に描きます。

しかし夫人の胸元や腕の露出、官能的過ぎる画風のため、品がないと言われ大スキャンダルに!結果として名は売れるわけですが、サージェントの予期せぬ結果となったのでした。

 

1885年…
サージェントは「マダムXの肖像」によるスキャンダルを避けるため、ロンドンに移り住みます。

 

「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(1885‐1886年頃)ジョン・シンガー・サージェント

「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(1885‐1886年頃)ジョン・シンガー・サージェント

・174×153.8cm、カンヴァスに油彩、テート・ギャラリー所蔵

この作品はロンドン西郊外ウスターシャーのブロードウェイにあるミレーの家で描かれた作品。

モデルはサージェントの友人フレデリック・バーナードの娘、ドリー(Dolly、左)とポリー(Polly、右)。元々は画家フランシス・デーヴィス・ミレーの5歳の娘を描く予定でしたが、髪の毛の色を理由にドリーとポリーが選ばれたと言います。ちなみに余談ですが、ミレーはアメリカ人画家で、1912年にタイタニック号沈没事故で犠牲になった乗客の一人だったそうです。

 

サージェントの肖像画最盛期

「ラ・カルメンシータ」(1890年)ジョン・シンガー・サージェント

「ラ・カルメンシータ」(1890年)ジョン・シンガー・サージェント

・228.8×138.4cm、カンヴァスに油彩、オルセー美術館所蔵

 

「レディ・アグニュー」(1892‐1893年頃)ジョン・シンガー・サージェント

「レディ・アグニュー」(1892‐1893年頃)ジョン・シンガー・サージェント

・124.5×99.7cm、カンヴァスに油彩、スコットランド国立美術館所蔵

 

ここでCheck!
肖像画家サージェントとしての最盛期!

1890年代になるとサージェントの作風がさらに洗練されていきます。これまで以上に華麗さや優雅さが増し、ロンドンで肖像画家として地位を確立していきます。サージェントにとって肖像画の最盛期と言われる時期がこの頃。”現代のヴァン・ダイク”と称され、人気を得ていきます。

 

「カール・メイヤー夫人と子供たち」(1896年)ジョン・シンガー・サージェント

「カール・メイヤー夫人と子供たち」(1896年)ジョン・シンガー・サージェント

・200.7×134.6cm、カンヴァスに油彩、個人蔵

作家ヘンリー・ジェームズが絶賛した作品。ヘンリー・ジェームズはイギリスで活躍したアメリカ人の小説家で、代表作に「デイジー・ミラー」「ある婦人の肖像」「鳩の翼」などがあります。

 

1907年(サージェント51歳の頃)…
サージェントは肖像画の依頼を断り、次第に水彩画による風景画を描く様になります。背景には貴族や上流階級の人たちに対して、嫌気が差してきたのが理由と言われています。

 

「ゴンドラでの昼寝」(1904年)ジョン・シンガー・サージェント

「ゴンドラでの昼寝」(1904年)ジョン・シンガー・サージェント

 

建物の質感や波の揺れ、水面の光の機微。水彩画の特徴が存分に発揮されています。でも物凄い画力と上手さがこの絵から分かると思います。

 

「サン・ヴィジリオのガルダ湖にかかる霧」(1913年)ジョン・シンガー・サージェント

「サン・ヴィジリオのガルダ湖にかかる霧」(1913年)ジョン・シンガー・サージェント

・33.6×52cm、紙に水彩画

 

「ウッドロー・ウィルソン大統領」(1917年)ジョン・シンガー・サージェント

「ウッドロー・ウィルソン大統領」(1917年)ジョン・シンガー・サージェント

・153×109.2cm、カンヴァスに油彩、アイルランド国立美術館所蔵

第28代アメリカ大統領トーマス・ウッドロー・ウィルソン大統領の肖像画。晩年では珍しい肖像画です。ウッドロー・ウィルソン大統領として務めた期間は1913年から1921年。写真の雰囲気からも推測して60歳前後の姿だろうと思います。

 

「泥まみれのアリゲーター」(1917年)ジョン・シンガー・サージェント

「泥まみれのアリゲーター」(1917年)ジョン・シンガー・サージェント

・34.3×52.1cm、紙に水彩画、ウースター美術館所蔵(マサチューセッツ州)

 

「ベランダにて」(1920‐1922年頃)ジョン・シンガー・サージェント

「ベランダにて」(1920‐1922年頃)ジョン・シンガー・サージェント

 

1925年(サージェント69歳)…
イギリスのロンドンで死去。

一般的にサージェントは肖像画家としてのイメージが強いと思います。豪華で品と美しさを兼ね備えた肖像画。多くの依頼が舞い込んできたのも頷けます。でも、サージェントが本当に描きたかったのは、実は肖像画ではなかった。後半水彩画の作品が多くなりますが、この時期に大きなヒントがあると思うのです。

ジョン・シンガー・サージェントの生い立ちを追っていくと、見えてくる肖像画家と風景画家という2つの側面。ここまで対照的な側面をもった画家も珍しいと思います。でもそれこそサージェントの魅力の1つでもあると思うのです。

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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