- 2024-4-17
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今回は浮世絵師”喜多川歌麿”について話していこうと思います。
江戸期に描かれた浮世絵には様々なジャンルがあったわけですが、中でも美人画で名を馳せた絵師といえば”歌麿”の存在は外せない。
特に美人画の大首絵と言ったら、真っ先に挙がるくらい有名ですからね。
先日開催した『大吉原展』で、特に目にする頻度が多かった絵師だったので、せっかくの機会というわけで話していこうと思います。
【 今回の話の流れ 】 ・まずは、肉筆浮世絵「吉原の花」から見てみよう! |
まずは、肉筆浮世絵「吉原の花」から見てみよう!
・204.5×275.0cm、紙本着色、ワズワース・アテネウム美術館所蔵
先日開催した『大吉原展』では、目玉作品として展示されていたので目にした人も多いだろうと思います。
桜が咲き誇る仲之町の3月の、ある引手茶屋の1階と2階の様子を描いた作品。歌麿の肉筆画の中でも最大級の作品です。
もちろん美人画として名高い歌麿の作品ですから、描かれている女性たちは申し分なく美しい!それに女性たちの着ている服の装飾も見逃せないですね。
細部まで観察していくと、驚くほどキッチリと描かれているのが分かります。
「吉原の花」は当時の美人を垣間見れるだけじゃなく、写実性の高さや細密描写も魅力的な一枚!
喜多川歌麿の作品を鑑賞する上で、画力の高さも大きな見所だろうと思っています。
喜多川歌麿の生い立ちについて解説します。
美人画で名を馳せた絵師”喜多川歌麿”ですが、生い立ちを知るとまた違ったオモシロさを味わえるもの。
歌麿の人間性もそうだけれど、当時の江戸時代の社会が何となく見えてくるからです。江戸時代の社会というか、当時の風紀が垣間見れると言った方がより適切でしょうか。
そういった意味でも、歌麿の生い立ちを知るのもイイと思います。
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
宝暦3年ー文化3年、9月20日(1753年ー1806年)
江戸時代後期の浮世絵師。
本名は北川、幼名は市太郎、後に勇助、勇記。初めの号は”豊章(とよあき)”
ー 喜多川歌麿の生い立ち ー
鳥山石燕(せきえん)のもとで学び、北尾重政や鳥居清長などの美人画の影響を受け、次第に作風を確立。
寛政年間初期(1789年ー1801)ころに発表した”美人大首絵”で人気を博す。
※”大首絵”は浮世絵の一つで、歌舞伎役者や遊女など人物の半身像や胸像を描いたもの。
・大判、錦絵
単純化された色面構成と線描のリズムによって、女性の官能美の典型がつくり出されているのが特徴。この特徴を象徴する作品と言われているのが、歌麿の代表作にでもある『婦人相学十体』や『歌撰恋之部』が挙げられます。
また『画本虫撰(えほんむしえらみ)』などの彩色摺狂歌本や、『歌まくら』などの春画、肉筆美人画も傑作として名高い。
・37.9×24.9cm、・大判、錦絵
左から高島屋おひさ、真ん中に富本豊雛、左に難波屋おきた。当時人気だった寛政期の美人を描いた、歌麿の代表作『寛政三美人(当時三美人)』です。
歌麿は美人画家としての地位を確立しますが、文化元年(1804年)に幕府の風俗取り締まりによって手鎖の刑を受ける。
その後病気もあり、文化3年(1806年)に死去。
”吉原”が幕府公認だったという事実から、江戸時代の風紀は緩かったのかな?と思いきや、実はそうではない様ですね。
歌麿が世を乱すという理由から、手鎖の刑に処されたという事実があったからです。実は幕府からは度々注意は受けていた様ですが、それに対して反発し続けたというのも大きな理由の様です。
私はこのエピソードを聞いて、歌麿に江戸っ子的な気質を感じてしまったわけですが、こう思うのは私だけでしょうか。
日本史について詳しい人ならご存知でしょうけど、江戸時代は当時の権力者のよって、政策もあれこれ変化してきました。髪形や服装も厳しく規制された時期もあったほどです。風紀を乱すとして、女性の髪を結うのが規制されたという事実があったくらいですから。
そう考えると、江戸時代は現代に比べてかなり厳しかったのかな~と。
… 歌麿の生い立ちを見ながら、ふと感じた事でした。
歌麿の代表作『歌撰恋之部』を見てみよう!
先ほどもちょっと触れましたが、”大首絵”は浮世絵の一つで、歌舞伎役者や遊女など人物の半身像や胸像を描いたもの。
分かりやすく言えば、現代のブロマイド写真の様なものです。
元々は歌舞伎役者を描いた大首絵から始まったとされていますが、それを美人画に応用させたのが”美人大首絵”。その代表作が喜多川歌麿の『歌撰恋之部』シリーズです。
当時浮世絵師は、版元(現代で言う出版社のようなもの)とタッグを組んで制作していたので、考案にも大きく関わったとされる蔦重(蔦屋重三郎)の存在も大きいと思います。
もちろん、それまでの美人画にはない歌麿らしさ!を表現したという意味で、喜多川歌麿の功績も大きいと思っています。
・大判、錦絵(美人大首絵)
これは喜多川歌麿の代表作「歌撰恋之部(かせんこいのぶ)」5枚シリーズの内の1枚「深く忍恋」。
この絵にも歌麿らしさ!が存分に発揮されていると言われています。
これまでの美人画は、どれも同じような顔で描くのが主流でした。そこに女性の仕草や着物、髪型を大胆に表現したり、さらには女性の顔に喜怒哀楽の感情を織り交ぜていったのです。
心理描写が描かれた美人画!当時としては斬新というか、新鮮に映ったのではないでしょうか。
・大判、錦絵(美人大首絵)
もちろん作品から、当時の美人とされる条件も読み取れます。
色白の肌に、小さな口。そして切れ長で涼し気な感じの一重など…。
それから女性の着ている着物の模様にも惹かれてしまう。1枚の絵から当時のファッションまで垣間見れるのも、歌麿の美人画の醍醐味だろうと思います。
・大判、錦絵(美人大首絵)
これは目を細め、頬杖をついている女性を描いた「物思恋」です。
「歌撰恋之部」シリーズの中で、最も美しく傑作と言われている作品です。
当時流行した髪形”島田髷”が強調されているのもさることながら、女性の仕草や心理描写が垣間見れるのもポイント!
でも、特に気になる点と言えば、眉を剃っている点でしょうか。
当時の既婚女性は眉を剃り、お歯黒を付けているのが一般的でした。おそらく口を開ければお歯黒をしているのだろうと思います。つまり「物思恋」は、既婚女性の恋心を描いた作品というわけです。現代でいう”不倫”に近い恋になるのでしょうか。
どの年齢なっても、どんな境遇になっても、恋する女性らしさが描かれている!という点で、専門家の間では最も美しい女性!と言われているわけですね。
単なる見た目の美しさじゃなく、仕草や心理描写を通して女性らしさが描かれている。
これぞ”歌麿の真骨頂!”だろうと思っています。
こうやって代表作を『歌撰恋之部』を見ていくと、当時江戸で人気を博したのも、何だか分かる気がしませんか!?
もちろん版元の存在もあるだろうけど、歌麿らしさ!を表現しているという点では、喜多川歌麿が優れた浮世絵師だったのは間違いない事実だと思います。
ぜひ、あなたも実際に作品を見て感じてほしいものですね。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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