- 2023-12-10
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過去に観た作品でも、素敵な作品は不思議と記憶に残るもの。
当然、また観たい!と思うのは仕方のない事だと思います。しかも2024年は干支が”辰年”だけに、龍を描いた作品はなおさら観たくなりますよね。
今回は狩野山楽の代表作『龍虎図屏風』について、私の見所ポイントも交えて話していこうと思います。
【 目次 】 ・また観たい! 狩野山楽の代表作『龍虎図屏風』 |
また観たい! 狩野山楽の代表作『龍虎図屏風』
・177.5×356.5cm(各)、六曲一双・紙本金地着色、妙心寺所有(京都国立博物館寄託)
現在狩野山楽の『龍虎図屏風』は、京都国立博物館(京博)に所蔵されています。
本来は妙心寺が所有している作品ですが、保存上のためでしょうか、京博に委託している状態です。
以前に東博(東京国立博物館)でも公開された事もありますが、本来は京都にある作品です。さすがに関東に住んでいる私からすると、なかなかお目にかかれない代物の一つ。
・紙本金地着色、妙心寺所有(京都国立博物館寄託) ※「龍図」部分のdetailになります。
さて私が思う山楽の『龍虎図屏風』の見所について話していこうと思います。
特にポイントは、「龍図」部分にあると思っています。
背景の金地をベースに、直線だけで龍の登場を演出している感じが何とも斬新だから!
極力背景描写などを省いて、シンプルな”線”だけで龍の動きやスピード感を表現する。前回挙げた橋本雅邦の『龍虎図』は、背景描写によって龍の凄味を表現するのとは、ほぼ真逆に近い画風に見えます。
しかも山楽の『龍虎図屏風』は、屏風自体も177.5×356.5cmと大きめです。大画面にほぼ頭部だけをダイナミックに描いているわけですから、迫力というか凄味はなかなかのものです。
こういった生(LIVE)でしか感じられない迫力は、本当にず~と記憶にこびりつきますよね。
さすが天才画家”狩野永徳”の後釜として活躍した人物だと思う次第です。
・177.5×356.5cm(各)、六曲一双・紙本金地着色、妙心寺所有(京都国立博物館寄託)
対して「虎図」部分は、これまたオモシロイ!
背景描写は「龍図」と同じくシンプルですが、虎の描き方が対照的です。曲線によってしなやかな虎の動きを表わしている感じがします。豪快さや力強さという意味では狩野永徳に通じる感じはしますが、でも私なりの解釈では”琳派”の雰囲気もどことなく感じられるのです。特に「龍図」の部分については、装飾的にも感じるからです。
”線”の描き方で、こうも動きやダイナミックさを表現するって…。
想像しただけでも、本物を観たくなりますね。
出来る事なら、東京で観たい!ですが、私の調べた限り当分”東京”で展示する機会はない様ですね。(ん~、残念)
とにかく同じ”龍虎”を題材に描いても、橋本雅邦と狩野山楽ではこうも画風が違ってくる。つくづくオモシロイと思いますね。
狩野山楽について簡単に解説します。
さて、せっかくですから、狩野山楽について話していこうと思います。
『龍虎図屏風』を描いた”狩野山楽”は、名前の通り狩野派に属する画家です。
実は誰もが知る天才画家”狩野永徳”の後釜として活躍した人物でもある。約400年に渡って数多くの画家を輩出してきた狩野派の中でも、5本の指に入るといえば、いかに優れた画家なのかが分かると思います。
ここで、『新潮 世界美術辞典』の解説も見てみようと思います。
狩野山楽(かのうさんらく)
永禄2ー寛永12.8.19(1559ー1635)
桃山ー江戸初期の画家。京狩野の始祖。名は光頼、通称は修理(しゅり)。浅井長政の家臣、木村長光の子。豊臣秀吉に推され狩野永徳の弟子となる。天正16年(1588)急病で倒れた永徳の後を引継いで、東福寺法堂天井に『蟠竜頭(ばんりゅうず)』を完成。文禄3年(1594)伏見城障壁画制作に当り、慶長5年(1600)大阪天王寺に『聖徳太子絵伝』を描き、同9年には豊臣秀頼が大阪城内に造った千畳敷大広間の障壁画制作にも関与したとみられる。元和元年(1615)豊臣家が滅びると、同家の絵師であった山楽は男山八幡宮の松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)のもとに身を隠したが、昭乗の尽力によって徳川家にゆるされ、秀忠復興の四天王寺に『聖徳太子絵伝』を描き、家光再建の大阪城本丸には狩野探幽や狩野尚信(なおのぶ)らとともに障壁画を担当したと伝えられる。・・・(以下省略)
・出典元『新潮 世界美術辞典』
実は、『新潮 世界美術辞典』の解説にもあったのですが、山楽は永徳の後釜として豪壮な画風はしっかりと継承しながら、同時に装飾性を導入したと言われています。
先ほどの『龍虎図屏風』の時でもちょっと話しましたが、”琳派”の感じもするな~と。おそらく私が装飾的に思ったからでしょうね。
実際に『龍虎図屏風』がいつのタイミングで制作されたのかははっきりとわかりませんが、少なくとも永徳の死後なのは間違いないかと。
山楽は当時の権力者争いに巻き込まれるという形で、ある意味不遇な人生は歩んでいるわけですが、それでも画家として活動してこれたのも、山楽の画力の賜だったからだろうと。
永徳の画風は受け継ぎ、そこに独自の画風も取り入れている時点で、並みの画家ではないのは誰が見ても分かると思います。
もし時代に翻弄される事がなければ、山楽はどういった画家人生を歩んでいたのだろう?考えただけでも、想像は膨らみますね。
もしかしたら、永徳を超える画家になっていたかも!?
【 参考 】 ・西洋画と日本画の「龍(ドラゴン)」の描かれ方・違いがオモシロイ! |
いつ?どこで山楽の『龍虎図屏風』が見れるの?
辰年となる2024年ですから、もちろん所蔵場所の”京都国立博物館”で展示されます。
私が『龍虎図屏風』を観たのは、結構前の話ですから、それからもうそれなりの年数が経ちました。もちろん知識量も以前に比べてかなり?増えたと思っています。
芸術作品はその時その場所の雰囲気、それから観る側の知識や精神状態によっても印象が変わってきます。
だから今の私が観たら、一体どんな印象を持つのだろう??
【 新春特集展示 辰づくし -干支を愛でる- 】 ・会期:2024年1月2日(火)~2月12日(月・祝) ・時間:9:30~17:00(金曜は19:00で開館) ※入館は閉館の30分前まで ・場所:京都国立博物館、平成知新館2階の2~4 |
興味のある方は、ぜひ行ってみるのもイイと思います。
ちなみに”重文(重要文化財)”に指定されている狩野山楽の作品は多数ありますが、そのほとんどが京都にあります。京都に旅行する際は、ちょっと調べてみるのもイイかもしれませんね。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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