ゴッホの「ひまわり」を描いた理由、意味を探ってみました!

Sunflower Painting

 

ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ)の代表作といったら、言わずと知れた名画「ひまわり」が思い浮かぶと思います。

 

実はゴッホが描いた「ひまわり」は、大きく分けると2パターンあるのは知っていますか?

「(花瓶に挿さっている)ひまわり」と「(花瓶に挿さっていない状態の)ひまわり」です。一般的に知られているのは、前者の「(花瓶に挿さっているひまわり」になるでしょうか。現在分かっているだけで計7点あると言われていて、その内現存しているのが6点。日本ではSOMPO美術館で見る事が出来ますが、他にはロンドンやアムステルダムのゴッホ美術館などにもあります。

 

ゴッホは気に入った題材は何枚も描く事で知られていて、「ひまわり」はその最たる例です。当然ながら、こんな疑問も湧いてくると思います。

なぜ、ゴッホは「ひまわり」を描いたのだろう?と。

 

何枚も描くって事は、何か理由があったのは間違いないと思います。せっかく日本でも手軽に観れるわけですから、ちょっと深堀して作品を見てほしい!というわけで、今回は「ひまわり」を描いた理由や、意味について私なりに探って見たのです。

 

1、ゴッホが「ひまわり」を制作した時期から、真相を探ります!
  …制作時期からゴッホが「ひまわり」に込めた意味を探ってみました。

2、”「ひまわり」に込めた2つの意味とは!?”
  …まとめとして、私の「ひまわり」の解釈について話します。

この順で、話していこうと思います。

 

 

ゴッホが「ひまわり」を制作した時期から、真相を探ります!

向日葵(ひまわり)

花瓶に挿されたひまわり”が描かれた時期は、1888年~1889年辺りに集中しています。ちょうどゴッホが南フランスのアルルに滞在していた頃になります。

この約1年の間に、計7点の”ひまわり”を描いているわけですね。ゴッホという画家は気に入った題材は何度も描く傾向があったので、このアルル滞在中が描いた理由の大きなヒント!になると思います。

 

1888年2月…
ゴッホはそれまで住んでいたパリのモンマルトルを離れ、南フランスのアルル(Arles)という地に移り住みます。

 

フランスのArles(アルル)より
アルルは絵画「アルルの跳ね橋」でも有名な場所です。ゴッホはこのアルルという場所をとても気に入っていた様で、「跳ね橋」の作品だけでも数点描いています。それにゴッホが弟テオに送った手紙からも、アルルに対する気持ちが読み取れます。

 

~ ”I want to begin by telling you that this part of the world seems to me as beautiful as Japan for the clearness of the atmosphere and the gay colour effects.
The stretches of water make patches of a beautiful emerald and a rich blue in the landscapes, as we see it in the Japanese prints.” ~

アルルという場所は大気の透明さや色の効果のため、まるで日本の様に美しい。

水のうねりは美しいエメラルドと豊かな青空とをつなぎ、まるで日本の浮世絵の様な景色を見せてくれている。

 

多少意訳の部分はあるにせよ、ゴッホは”アルルは日本画の様に美しい!”と言っています。

実際にゴッホは日本に行った事はないのだけど、日本の浮世絵などから日本に対して美しいイメージを持っていた。ゴッホが持っていた日本のイメージと、アルルの雰囲気が非常に近かったって事でしょうか。

 

「黄色い家」(1888年)ファン・ゴッホ

「黄色い家」(1888年)ファン・ゴッホ

・72×91.5cm、カンヴァスに油彩、ファン・ゴッホ美術館所蔵

さて、アルルに到着してから約3か月後の5月。ゴッホは”黄色い家”をアトリエとして使い始めます。このアルルという場所で、ゴッホは画家たちとのコミュニティを作りたい!と思っていた様です。

 

ここでCheck!
ゴッホが好んで黄色を使った理由は!?

上で挙げたゴッホの「黄色い家」に、それから「夜のカフェテラス」や「アルルの跳ね橋」。

この頃描いた作品は、なぜか”黄色”が際立っている様に感じませんか??もちろん「ひまわり」も黄色が印象的な作品ですよね。実はゴッホが”黄色”を頻繁に使っていたのは、いくつかの説があるとされています。

まずは、ゴッホは”黄視症(おうししょう)”という病気を発症していたという説!視界が黄色っぽく見えるため、自ずと黄色で描いていたのでは?というわけです。そして2つ目はゴッホは純粋に黄色が好きだったからという説です。私の解釈は、黄色が好きだったからだと思うのですが、果たして真相は??

 

1888年の8月…
ゴッホは最初の「ひまわり」を制作します。

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

 

花瓶に挿された3本のひまわりが描かれています。ゴッホが最初に描かれたとされている「ひまわり」です。でも私たちがよく知る「ひまわり」とは、何だか印象が違う感じがしませんか?ひまわりの本数が3本と少ないし、全体的に暗い黄色が使われている印象ですね。

 

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

・91×72cm、カンヴァスに油彩、ノイエ・ピナコテーク美術館所蔵

そして3番目になると、より黄色が強調された「ひまわり」になってきます。全体的に明るさが増している様に見えませんか!?

 

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

・92.1×73cm、カンヴァスに油彩、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵

おそらく「ひまわり」シリーズで、一番知られているのがロンドンのものになると思います。全体的に黄色だけで構成されているのが特徴です。でも黄色一色とはいっても、様々な明度や彩度の黄色が使われているのが絶妙的!!ゴッホの色遣いの上手さが感じられる作品だと思います。

 

1888年10月23日…
ゴーギャンとの共同生活が始まります。

 

ここでCheck!
ここまでの流れで分かる”ひまわり”を描いた理由は?

ゴッホが「ひまわり」を描いた理由!それは黄色い家に飾るためだったと言われています。画家ゴーギャンとの共同生活に向けて、ゴッホは部屋を装飾したかった!というわけです。ゴーギャンを喜ばせたい!というゴッホの希望やワクワク感が色にも表れているわけですね。「ひまわり」が”ユートピア(理想郷)”の象徴と言われる理由は、こういった経緯があるから。実際「心理学」でも黄色には”希望・元気・愉快”といった意味が込められています。少なからずゴッホが黄色を使った理由には、希望といった前向きな気持ちが含まれているのは間違いないと思います。

 

 

かし…

結局ゴーギャンとの生活は上手くいかなかったのです。

あれだけ希望に満ちていたゴーギャンとの共同生活でしたが、お互い絵画に対する意見の食い違いが強かったようです。最終的に破局へと向かっていくのでした。

 

ここで、互いの気持ちが表れたエピソードを紹介したいと思います!

ゴーギャンが弟テオに向けて出した手紙
… ”ゴーギャンはこのアルルの黄色の家、とりわけこの私に嫌気がさしたのだと思う…。”と。

ゴーギャンの言葉
… ”ヴァンサン(ゴッホ)と私は意見が合わない。特に絵に関してはそうだ”と語っています。

ゴッホもゴーギャンも、互いに個性の強い画家です。絵画に対する意見が違うのは当然と言えば当然でしょうね。

 

「ひまわり」(1888年12月~1889年1月頃)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年12月~1889年1月頃)ファン・ゴッホ

・100.5×76.5cm、カンヴァスに油彩、SOMPO美術館所蔵。

これは1987年に、当時の安田火災海上(現損保ジャパン日本興亜)が約58億円という高値で落札した「ひまわり」です。

 

ここでCheck!
ロンドンとSOMPOの「ひまわり」の違いって!?

先ほどのロンドン・ナショナル・ギャラリーと、SOMPO美術館の「ひまわり」を見て、何か気が付きませんか??花や葉、構図がロンドンのと似ている!と。実は専門家が言うには、SOMPOの「ひまわり」にはゴッホの挑戦が読み取れると言います。

ロンドンもSOMPOも、黄色一色で描かれている点では同じ!でも描き方というか、表現の仕方に大きな違いがあるのです。ロンドンの「ひまわり」は色調の違いで描き、背景とのコントラストでひまわりを立体的に表現したそうです。対してSOMPOの方はコントラストが弱く、その分絵具の盛りが厚くなっている。絵具の厚みでひまわりを立体的に表現したそうです。

さすがに両方を比べて見るのは難しいですが、まずはSOMPO美術館の「ひまわり」から観てみるのもイイと思います。

 

1888年12月23日、ゴッホの耳切り事件が起こってしまいます。結果としてこの事件をきっかけに、ゴーギャンはアルルを去る事になります。

この耳切り事件によって、ゴッホはアルルの病院に収容されます。そして翌年(1889年)の1月7日に容態が回復して、一旦アルルの黄色い家に戻ってきます。そして下の2枚の「ひまわり」を制作します。

 

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

・95×73cm、カンヴァスに油彩、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)に所蔵

アムステルダムの「ひまわり」も、ほぼ黄色一色で描かれているのが特徴的ですね!全体的に一体感が感じられるのは、黄色で統一されているからなんでしょうね。

※2019年にゴッホ美術館は「ひまわり」は今後貸し出さないと発表しました。振動や気温などに敏感で作品を保護するためだそうです。今後はオランダのゴッホ美術館でしか鑑賞出来なくなります。

 

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

・91×72cm、カンヴァスに油彩、フィラデルフィア美術館所蔵

おそらくこの頃になると、ゴッホの精神状態はかなり不安定なものだったと思います。ゴーギャンとの生活の崩壊は、ゴッホにとって相当ショックだったんだろうと。そして、この数か月後にゴッホは再入院する事になったのです。

ゴッホが7点の「ひまわり」を制作した時期から、天国から地獄へ落ちるゴッホの精神状態が読み取れる!と思っています。もし叶うなら、7点の「ひまわり」すべてを同時に順を追って見てみたいですね!!

 

 

 

ゴッホが「ひまわり」に込めた2つの意味!?

Sunflowers
ゴッホが”情熱的な画家”と呼ばれる所以…

ゴッホが自分の精神性を作品に込めていた!からだと思っています。そう考えるとゴッホが「ひまわり」を描いた理由には、何かしらの理由があった!と思うのは当然の事!ここまでの流れで、ゴッホは「ひまわり」に”希望”を込めていたのは間違いない様です。

 

ここでCheck!
でも私はさらなる飛躍した考えが!

ゴッホが「ひまわり」を描いた理由に、”希望”があった事に間違いはないと思っていますが、私はさらなる飛躍した解釈を持っています。それはゴッホは「ひまわり」に2種類の希望を込めていた!と。

まずはゴーギャンとの共同生活が始まる前までの、これから始まるであろうワクワクとした想い!4番目までの「ひまわり」には、そんな”未来への希望”が込められていると思うのです。そしてゴーギャンとの破綻した生活以降は、まるで夢を描いていた過去を懐かしむ様な…。つまり後半の「ひまわり」には”過去への希望”が込められていると。真相はゴッホ本人にしか分かりませんけどね!

とにかく「ひまわり」を制作していた時期は、ゴッホにとっての大きな転換期だったのは間違いのない事実!改めて、ゴッホを語る上で「ひまわり」は重要な作品なのが感じられたわけです。

 

さて、あなたは「ひまわり」から何を感じ取れますか??そしてどんな解釈を持ちますか??

解釈は人それぞれ!!でも、それが絵画の楽しみ方でもあると思っています。^^

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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