ゴッホと向日葵(ひまわり) …そこの込められた深い意味

向日葵(ひまわり)

 

ファン・ゴッホが「ひまわり」を題材にした作品を
いくつも描いていた事は有名な話です。

特に”花瓶に挿されたひまわり”で言えば、
ゴッホは7点制作しているのです。
(7点の内現存しているのは6点)

 

それにしても
”なぜここまで”ひまわり”を描いたのだろう?”

その理由には様々な説があるそうですが、
”アルルの黄色い家に飾るため”という説が特に強い様です。

 

ゴッホの制作時期を振り返りながら、
「ひまわり」の描いた理由に迫ってみたいと思います。

 

・・・

ゴッホが滞在していたアルルと「ひまわり」の関係

向日葵(ひまわり)

花瓶に挿されたひまわり”が制作されたのは
1888年~1889年辺りに集中しています。

ちょうどゴッホが南フランスのアルルに滞在していた頃です。

 

1882年2月
ゴッホは南フランスのアルルに移り住みます。

 

フランスのArles(アルル)より
ゴッホはこのアルルという場所を非常に気に入ったらしく、
「アルルの跳ね橋」や「黄色い家」
それに「夜のカフェ」などアルルの町や風景の作品を多く描いています。

 

実際に弟のテオに対して送った手紙からも、
ゴッホのアルルに対する気持ちが読み取れます。

~”I want to begin by telling you that this part of the world seems to me as beautiful as Japan for the clearness of the atmosphere and the gay colour effects.
The stretches of water make patches of a beautiful emerald and a rich blue in the landscapes, as we see it in the Japanese prints.”~

アルルという場所は大気の透明さや色の効果のため、まるで日本の様に美しい。

水のうねりは美しいエメラルドと豊かな青空とをつなぎ、まるで日本の浮世絵の様な景色を見せてくれている。

 

若干訳の解釈に違いはあると思いますが、
ゴッホはアルルを日本画の様に美しいと言っているわけです。

晩年のゴッホは精神的に病んでいた事が多かっただけに、
このアルルに滞在し始めたこの頃は比較的安定していたと思います。

そんな精神的に安定していた時期に、
ゴッホは「ひまわり」という作品を描いています。

 

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

これはゴッホが最初に描かれたとされている「ひまわり」です。

 

考え…・思い…
私たちがよく知る「ひまわり」とは
何だか印象が違う感じがしませんか?

ひまわりの本数が3本と少ないし、
全体的に黄色があまり使われていない印象です。

でもこれが徐々に本数も増え、
私たちの知るひまわりに近づいていくわけです。

 

・・・

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

これはゴッホが3番目に描かれたとされている「ひまわり」。

現在ドイツのミュンヘンにある”ノイエ・ピナコテーク美術館”で所蔵されています。

 

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年8月)ファン・ゴッホ

そしてこれは”ロンドン・ナショナル・ギャラリー”に所蔵されている「ひまわり」。

ここまで挙げたひまわりが描かれたのは1888年8月頃。

1888年10月23日にゴーギャンとの共同生活が始まったので、
その前に描かれた作品なのです。

 

考え…・思い…
この制作時期が共同生活前だったため、
黄色い家に飾るために描いたと言われているわけですね。

憧れの画家ゴーギャンとの生活に向けての喜びや夢が
この黄色いひまわりに込められていると言われているわけです。

属に”ユートピア(理想郷)”の象徴と言われています。

 

実際”黄色の心理的意味”には、
”太陽”や”光”といった意味があります。

この流れから見ても
黄色の家に飾るという理由が有力だと思います。

 

 

かしゴーギャンとの生活は上手くいきませんでした。

たった2か月で破綻してしまうのです。

ゴッホとゴーギャンの互いの絵に対する意見が合わなかった。

この意見の相違が破局の大きな理由だったようです。

もちろん
互いに意見の不一致のエピソードが残っています。

ゴーギャンが弟テオに向けて出した手紙
… ”ゴーギャンはこのアルルの黄色の家、とりわけこの私に嫌気がさしたのだと思う…。”と。

ゴーギャンの言葉
… ”ヴァンサン(ゴッホ)と私は意見が合わない。特に絵に関してはそうだ”と語っています。

 

「ひまわり」(1888年12月~1889年1月頃)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1888年12月~1889年1月頃)ファン・ゴッホ

現在”東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館”に所蔵。
※2020年5月28日に”SOMPO美術館”として生まれ変わります。

これは1987年に当時の安田火災海上
(現損保ジャパン日本興亜)が約58億円という高値で落札した作品。

 

それにしてもこの東京の「ひまわり」は
花や葉、構図がロンドンのと似ている感じがしませんか?

実はこのひまわりにはサインがされていない事もあって、
当初はゴッホの作品を真似て描いたともいわれていたそうです。
(もちろん今では正式にゴッホの作品となっています。)

 

ポイント!
ここで押さえておきたいポイントが!

ある専門家が言うには
この日本の「ひまわり」からゴッホの挑戦が読み取れるというのです。

共に背景は黄色に見えますが、
ロンドンの「ひまわり」に比べて
東京のは緑がかった黄色になっている点が大きな違い。

ロンドンのは背景とのコントラストが強い。
黄色の色調の違いでひまわりを立体的に描いたと言います。

対して日本のは背景とのコントラストが弱いと言います。
それに日本のは絵具の盛り方がより厚塗りになっているそうです。

日本の「ひまわり」は色調のコントラストではなく、
描き方の違いで立体感を表現しようとしていたというのです。

ゴッホの新たな挑戦が
この「ひまわり」から読み取れるというわけです。

 

 

・・・

して1888年12月23日
ついにゴッホの耳切り事件が起こってしまいます。

結果としてこの事件をきっかけに、
ゴーギャンはアルルを去る事になるわけです。

 

ゴッホはこの耳切り事件により
アルルの病院に収容されてしまいますが、
ゴッホは容態は回復し翌年(1889年)の1月7日アルルの黄色い家に戻ってきます。

・・・

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

これは現在アムステルダムの”ファン・ゴッホ美術館”に所蔵されています。

※2019年にゴッホ美術館はこの「ひまわり」は今後貸し出さないと発表。
振動や気温などに敏感で作品を保護するためとされています。
そのため今後はオランダのゴッホ美術館でしか鑑賞出来なくなります。

 

ポイント!
ここでまた押さえておきたいポイントが!

このひまわりで特質すべき点は、
ほぼすべてが黄色で描かれている事です。

花や花瓶、背景も花瓶の置いている床もすべてが黄色。
計38の黄色のトーンで表現されているそうで、
黄色のシンフォニー”とも言える作品。

このアムステルダムのひまわりには
トーンの変化で描く”という挑戦的な試みがあると言います。

 

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

「ひまわり」(1889年1月)ファン・ゴッホ

これは現在”フィラデルフィア美術館”に所蔵されています。

アルルの病院から黄色い家に戻った時に、
ゴッホは上の2枚の「ひまわり」を制作したわけです。

 

おそらくこの頃のゴッホの精神状態は
かなり不安定なものだったと思います。

ゴーギャンとの生活の崩壊は、
ゴッホにとって大きなものだったんだろうと。

そしてこの数か月後にまたゴッホは再入院する事になったわけです。

 

考え…・思い…
ゴッホの絵画の特徴に1つに、
自身の精神性を作品に込めている点です。

ゴッホが7点も「ひまわり」を描いた理由には、
何かしらの理由があったって事だと思います。

制作時期を見ながら思う事は、
ゴッホはこの「ひまわり」にかなり期待や理想を込めていたのかな~と。

この約2年後くらいにゴッホは亡くなってしまいますが、
ある意味この”ひまわり”がゴッホの転換期だったともいえると思います。

 

そう考えると「ひまわり」には
ゴッホの相当強い想いが込められていると思うのです。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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