ロシアを代表する画家”イリヤ・レーピン”を解説!

イリヤ・レーピンを解説!

 

19世紀に活躍したロシアの偉大なる画家イリヤ・レーピン(Ilia Repin)を知っていますか?

トルストイやチャイコフスキー、ゴーリキーといった著名人と同列に並び称されるほどなのに、意外と日本でのレーピンの知名度は低い様ですね。実際日本で単独の個展はあまりなく、ここ最近で言えば2012年の「レーピン展」くらいでしょうか。

 

映画「ラスト・ディール」に登場してくる偉大なる画家”レーピン”。せっかくですから、この機会に私なりに詳しく解説していこうと思います。また随所にレーピンの代表作も載せているので、参考に!

 


なみに最近私は映画を見る時は、有料動画視聴の「U-NEXT」を利用しています。とりあえず1ヵ月間、使って見てみるのもイイと思います。

 

 

イリヤ・レーピンってどんな画家!? 

解説

レーピンは風俗画や人物画(肖像画)の分野で、非常に評価の高かった画家です。内面を浮き彫りにしたかの様な鋭い洞察力、そして目の前の人物をありのまま描いた写実性!この説明だけでも、物凄く画力の高い画家だったのが分かると思います。

さすがに言葉だけだとピンと来ないと思うので、参考として↓レーピンの描いた肖像画を挙げてみようと思います。

 

「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」(1881年)イリヤ・レーピン

「作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像」(1881年)イリヤ・レーピン

・71.8×58.5cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

まるで目の前に居るかの様な存在感!写実性というと、細密かつ精巧な筆づかいを想像する人が多いと思いますが、レーピンはどちらかというと素早く荒々しい筆づかいが特徴です。私のイメージではレンブラントやベラスケスに近い感じでしょうか。鮮やかな筆づかいによって質感を表現する画家と言った方が分かりやすいかと思います。実際レーピンはレンブラントの影響を受けているので、似ているのも当然と言えば当然だと思います。

 

「自画像」(1887年)イリヤ・レーピン

「自画像」(1887年)イリヤ・レーピン

・72.8×60.5cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

れでは、レーピンの作風が何となく分かったところで、今度はもう少し深堀して見ていこうと思います。とはいえ私自身そこまで詳しく語れる程ではないので、私の愛用する「西洋絵画作品名辞典」を参考に、話を進めていこうと思います。

 

レーピン(Il’ya Eefimovich Repin)

1844チュグエフ村(ウクライナ)⇒1930クォッカラ(フィンランド領、現ロシア連邦のレーピノ)

ロシアのリアリズムの画家。1864年ー71年ペテルブルグ美術アカデミーで学ぶ。73ー76年イタリア、フランスに留学。78年移動美術展協会会員、93年ペテルブルグ美術アカデミー正会員となる。1870年代末から80年代に円熟期を迎え、とくに風俗画、歴史画、肖像画の分野で19世紀後半のロシア・リアリズム芸術の頂点を究める名作の数々を制作。風俗画では当時のロシア社会の矛盾に満ちた現実を見つめた大作を描いた。また肖像画の深みのある鮮やかな心理描写は、モデルの内面世界に対するレーピンの鋭い洞察力を物語っている。90年代末から独自の印象主義的手法を試み、簡潔で、表現力豊かな大胆なタッチでモデルの性格を巧みに描き上げた。

(代表作)「ヴォルガの舟曳き」「作曲家M・P・ムソルグスキー」「クールスク県の十字架行進」「思いがけぬ帰宅」「ザポロージェのコサック」

・出典元「西洋絵画作品名辞典」

非常に上手くまとまっていますが、でも辞書ですから作品自体は載っていません。今度は私なりに分かりやすく解説を入れながら、レーピンの代表作を見ていこうと思います。

 

 

解説を加えながら、レーピンの代表作を紹介!

解説

さて「西洋絵画作品名辞典」の解説で、特に押さえてほしい一文があります。

風俗画、歴史画、肖像画の分野で19世紀後半のロシア・リアリズム芸術の頂点を究める名作の数々を制作。風俗画では当時のロシア社会の矛盾に満ちた現実を見つめた大作を描いた。

 

ここでCheck!
の中で、一番気になる言葉は”リアリズム”ではないでしょうか!?

リアリズム(realism)”..

目の前の現実をありのままを表現しようとするもので、つまりは写実主義の事です。レーピンの作品を実際に観れば分かりますが、物凄く写実的です。誰が見ても上手い!と思える画風だろうと思います。ただ先ほどもちょっと触れましたが、細密に描くというより、素早く豪快なタッチが特徴です。特に人物の肌や髪、髭の質感表現で言ったらピカ一でしょうね!

 

「文豪レフ・トルストイの肖像」(1887年)イリヤ・レーピン

「文豪レフ・トルストイの肖像」(1887年)イリヤ・レーピン

・124.0×88.0cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

これは文豪トルストイの肖像画です。レーピンとトルストイは同時代を生きた者同士。肖像画を描いているという事は、当然彼らは直接会っています。ちなみに最初の出会いは、1880年の10月7日だったそうです。

どうでしょう!?人物の質感描写は本当に凄い!としか言いようがない。レーピンといえば、人物画は外せないでしょうね。

 

ここでCheck!
社会の矛盾に満ちた現実を見つめた!?

2つ目に押さえたいポイントは、社会の矛盾でしょうか。

レーピンは写実性だけにとどまらず、当時の社会秩序の矛盾や差別といった生々しいリアルな生活感を描いた作品が特徴だと言われています。

 

「ヴォルガの舟曳き」(1870‐73年)イリヤ・レーピン

「ヴォルガの舟曳き」(1870‐73年)イリヤ・レーピン

・131.5×281cm、カンヴァスに油彩、ロシア美術館所蔵(サンクトペテルブルク)

これはレーピンの代表作の一つ「ヴォルガの舟曳き」。労働者の必死に生きる様は、本当に生々しいとしか言いようがないですね。もうちょっとたくましく生きる感じで美化して描いてもいい様なものの…。ここまでリアルに描かれると、ある意味潔さも感じてしまいます。

これはレーピンが30歳頃の作品で、そんな若さでここまで核心に迫った絵を描くのも凄い!着眼点もさることながら、本質を見る目は確かだったのだろうと思います。もちろんこういった画風ですから、当時は大きな批判を呼んだと言われています。でも一方では、高く評価する人もいた!事実「ヴォルガの船曳き」によって、レーピンの名が一躍知れ渡ったわけです。

 

「浅瀬を渡る舟曳き」(1872年)イリヤ・レーピン

「浅瀬を渡る舟曳き」(1872年)イリヤ・レーピン

・62.5×98.7cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

これは「ヴォルガの船曳き」の制作過程で描かれたと言われる作品。レーピンは同じテーマを、様々なバリエーションで描いている画家です。”満足いく絵を描きたい!”と思っていた事からも、職人気質な性格だったのかな?と。

 

こで参考として、レーピンと弟子のエピソードを紹介したいと思います。

弟子「先生(レーピン)は画家になって満足ですか?」

これに対して、レーピンは「仮に大臣にしてくれると言われても、もし地獄に行くのか天国に行くのかと選択権を与えられても、私は画家にしてもらいたいくらい満足している!」

…この弟子とのやり取りから、レーピンの絵を描く事への情熱は相当なものだったのが分かると思います。

 

写実性と鋭い洞察力!この2つのポイントを押さえるだけでも、レーピンの凄さが分かると思います。ちなみに”洞察力”は”本質を見抜く力”と捉えた方がより分かりやすいかもしれませんね。もちろんレーピンの他の作品からも、今挙げた2つの凄さは垣間見れると思います。

 

「ザポロージェのコサック」(1880‐91年)イリヤ・レーピン

「ザポロージェのコサック」(1880‐91年)イリヤ・レーピン

・203.0×358.0cm、カンヴァスに油彩、ロシア美術館所蔵(サンクトペテルブルク)

例えば、レーピンの代表作と言われる作品「サポロージェのコサック」。

ドニエプル川下流に位置するサポロージェに本営を張っていたコサック。そこにトルコ軍が攻めてきました。トルコのメフメト4世が「降伏して臣民になれ」という勧告に対して、誇り高きコサックたちが返事を書いている場面を描いた作品です。

でもコサックたちは文字が書けなかったそうで、代わりに書記官が代筆しているわけですが…、注目はサコックたちの表情!「降伏しろ」に対して、コサックたちの言葉は罵詈雑言の嵐だった。そんな豪快で誇り高い人間性を鋭く描いた作品と言った感じでしょうか。

 

「懺悔の前」(1879‐85年)イリヤ・レーピン

「懺悔の前」(1879‐85年)イリヤ・レーピン

・48.0×58.0cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

若くしてこういった作品を描いていたわけだから、いかに才能に恵まれた画家だったのかが分かりますよね。

 

「思いがけなく」(1884-88年)イリヤ・レーピン

「思いがけなく」(1884-88年)イリヤ・レーピン

・160.5×167.5cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

これは先ほど挙げた「西洋絵画作品名辞典」の解説に載っている代表作の一つ「思いがけぬ帰宅思いがけなく」です。

実はこの作品は発表と同時に、論争を巻き起こした話題作だったそうです。というのも、1881年3月1日に起きた皇帝アレクサンドル2世の暗殺を思い起こさせるものだったから。右側の壁に大きな地図と、それから写真が1枚飾られていますが、この写真はアレクサンドル2世が死の床に横たわっている姿を捉えたものだと。色々な意味で”謎”で溢れている作品というわけですね。

 

「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」習作(1883年)イリヤ・レーピン

「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」習作(1883年)イリヤ・レーピン

・22.2×36.4cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

この「イワン雷帝とその息子イワン」は、何とも言えない衝撃作!!

暴君として知られるイワン4世が激情に駆られて、息子イワンを打ち殺してしまった場面を描いた作品です。こういった衝撃的なシーンをカンヴァスに描くって…。レーピンの鋭さはちょっと尋常じゃないと思います。

 

「工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像」(1882年)イリヤ・レーピン

「工兵将校アンドレイ・デーリヴィクの肖像」(1882年)イリヤ・レーピン

・107.7×86.0cm、カンヴァスに油彩、トレチャコフ美術館所蔵(モスクワ)

椅子にくつろぐ感じでもたれ掛かっている感じと、人物の自身に満ちた表情と雰囲気。こういった人物の内面描写はレーピンにしか描けない代物でしょうね。つくづくレーピンといえば、人物画はやっぱり外せないテーマだと思います。単に上手いだけでなく、人物そのものを表現する画力!基本肖像画は依頼によって描く事が多いのですが、おそらく依頼主は内面まで描いてほしいといった想いを込めてレーピンに頼んだのかもしれませんね。

美術界ではレーピンの作品を欲しがる人は結構多いと言います。特にある程度美術が分かっている人が欲しがるそうです。そういう意味では”通が好みそうな作品”ではないでしょうか?

 

「Repin(レーピン)」展の図録
て今回記事を書く上で、「レーピン展」の図録も多少参考にしています。日本ではなかなか見る機会もないだけに、一冊くらい作品集的なものを持っていてもイイと思います。

そしてもし今後レーピンの作品が見れる機会がやって来たなら…、その際は今回の話を参考に鋭い洞察力で作品に向かい合って鑑賞するのも楽しいと思いますよ。

 

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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