西洋絵画でよく描かれる主題「東方三博士の礼拝」について解説!

キリストの誕生と東方三博士

 

西洋絵画でよく描かれれる主題に東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)があります。

有名な画家で言えば、ルーベンスやエル・グレコ、ボッティチェリも描いているので、美術館で見かけた人もいるでしょうね。

 

とはいえ宗教画ですから、日本人には馴染みのない話になります。苦手意識のある人も多いかと。

今ではそれなりの知識もあり、鑑賞するのも楽しくなりましたが、私だって最初の頃はちょっと抵抗がありましたし。

 

目次

初めに、代表画家の「東方三博士の礼拝」を見てみよう!
「東方三博士の礼拝」について解説します。
3人の博士と3つの宝、それらが意味するものとは!?
「東方三博士の礼拝」を描いた作品を挙げてみました。

というわけで、今回は宗教画をもっと楽しむための秘訣として、「東方三博士の礼拝」について解説していこうと思います。

 

 

 

初めに、代表画家の「東方三博士の礼拝」を見てみよう!

キリストの誕生と東方三博士

あれこれ言葉で説明するのもイイですが、まずはどういう絵なのか見てみようと思います。

美術作品は鑑賞してナンボですからね!

東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)」はイエス・キリストの誕生に関わる話ですから、西洋画でも頻繁に描かれる主題です。

有名な画家で言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリ、ルーベンスやエル・グレコなど、実に多くの画家が描いています。
※Adorationが礼拝を、Magiが東方三博士を意味しています。

 

まずは代表的な画家として、ボッティチェリファブリアーノの2人の作品を挙げてみようと思います。

「東方三博士の礼拝」(1475年頃)サンドロ・ボッティチェリ

「東方三博士の礼拝」(1475年頃)サンドロ・ボッティチェリ

・111×134cm、テンペラ画、ウフィツィ美術館所蔵

一番知られている作品といえば、サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli)の「東方三博士の礼拝」になるでしょうか。

以前日本でも公開された事があるので、観た人も多いのでは?と思います。

 

「東方三博士の礼拝(detail)」(1475年頃)サンドロ・ボッティチェリ

「東方三博士の礼拝(detail)」(1475年頃)サンドロ・ボッティチェリ

一番右に描かれている人物が、ボッティチェリ自身の自画像だと言われています。

ちなみにボッティチェリ(Botticelli)は、”子樽”を意味していて、現代で言うあだ名の様なものです。

ゆったりとした服装をしているため、体型はよく分かりませんが、人物を見る限り筋肉質な感じでイケメンにも見える。もしかしたら、多少”美化”して描いているのかもしれませんね。

 

「東方三博士の礼拝(detail)」(1423年)ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ

「東方三博士の礼拝(detail)」(1423年)ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ

・173×220cm、テンペラ画、ウフィツィ美術館所蔵

そしてもう一人が”ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(Gentile da Fabriano)1360頃~1427年”で、ゴシック期を代表するイタリアの画家です。

平面的ではあるものの、金をふんだんに使用していて煌びやかで装飾的なのが目を惹きます。

そして細部までキッチリと描かれた細密的な描写も大きな特徴の一つ。遠くに見える小さな人物まで、手抜かりなく描かれているのは圧巻です。

 

 

 

「東方三博士の礼拝」について解説します。

聖書(Bible)

東方三博士”は言葉の通り、東の方からやってきた3人の博士(賢者)を言います。

聖書では”イエス・キリストが誕生した時に、3人の博士がそれぞれ黄金、乳香、投薬の贈り物を携え、祝いにやってきた”と。

そのため絵画中に聖母マリアイエス・キリストヨセフが描かれる場合も多く、キリスト教を語る上では非常に重要な場面というわけです。

 

東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)

「三王礼拝」、「マギの礼拝」ともいう。ユダヤの王を捜して東方から星に導かれてやって来た三博士たち(マギ)は、ヘロデの配下からベツレヘムへ行くようにとの指示を受けた。ヘロデは彼らにその誕生の有様を報告するよう命じたのである。表向きは彼自身の敬意を表すためという名目だったが、実は王の座を追われることを恐れていたのであった。歴史的に見ると、このマギたちはペルシア宮廷に仕える占星術師であり、紀元後まもなくローマ帝国に広まったミトラ神の祭儀を行なう司祭である。~

・出典元:『西洋美術解読事典 -絵画・彫刻における主題と象徴』より一部

 

うちょっと噛み砕いで説明すると

当時ユダヤ王国は、ヘロデ大王によって統治されていました。

そんなある日、東方から星に導かれて3人の博士が王の元にやってきました。この星は俗に”ベツレヘムの星”と言い、イエスの誕生を知らせる星と言われています。

 

東方から来た三賢人
ヘロデ大王は三博士に、「ユダヤの王(イエス・キリスト)の誕生が分かったら、私も拝みに行くから教えてくれ」と命じます。表向きはイエスの誕生を祝福するためですが、内心は近い将来神の子によって自分の王の座が脅かされると恐れていたのです。ヘロデ王は非常に猜疑心が強く、見つかり次第殺そうと考えていたのです。

三博士は星に導かれる様に、神の子が生まれたとされるベツレヘムへ向かいます。

 

キリストの降誕
そして救世主(イエス)の誕生を目のあたりにした三博士は、3つの宝(黄金、投薬、乳香)を捧げイエスの誕生を祝いました。
※絵画「東方三博士の礼拝」は、まさにこのシーンを描いています。

 

て、話はこれで終わりではありません。

その後三博士は夢のお告げを聞きます。

ヘロデ王はイエスの誕生が分かり次第、殺そうと考えていました。三博士は王の脅威を避けるため、イエスの命を守るため、彼らは別の道を通って国へ帰っていきました。

そして聖母マリアと父ヨセフ、イエスは、ヘロデ王から逃れるため、エジプトへと向かっていたのです。

 

「幼児虐殺」(1653‐1655年頃)ヴァレリオ・カステッロ

「幼児虐殺」(1650年頃)ヴァレリオ・カステッロ

・122×172cm、カンヴァスに油彩、個人蔵

この後『新約聖書』に書かれている、ある有名なエピソードに繋がります。

誕生した救世主の存在に危機感を感じたヘロデ王が、ベツレヘムで2歳以下の男児をすべて殺そうとしたのです。これが世に言う”幼児虐殺”という出来事です。

 

私の考え
ここまで簡単ですが、ストーリーを追って解説してきましたが、何となく分かってもらえたでしょうか!?

絵画「東方三博士の礼拝」は、ストーリーのほんの一場面を描いたにすぎません。でも全体の背景が分かると、より重みも深みも増してくるのではないでしょうか。

これが宗教画の面白さでもあり、醍醐味でもあると思っています。

 

なみに”キリスト誕生”を理解する方法として、私は映画『マリア』がかなり為になりました。よろしければ、参考に観てみるのもイイかと思います。

 

 

 

3人の博士と3つの宝、それらが意味するものとは!?

キリストの誕生と東方三博士

それでは、もう少し深堀してみましょう。

次は三博士と彼らが贈った宝物について解説していこうと思います。

 

東方三博士と3つの贈り物

一般的に宗教画で描かれる人物や持ち物には、何かしらの意味やメッセージが込められている場合が多いです。

今回の”東方三博士”も例外ではありません。

カスパール(Casper)…最年長で、一般的にヨーロッパ系の人物として描かれる事が多い。
バルタザール(Balthasar)…黒人の姿で、アフリカ系の人物として描かれる事が多い。
メルキオール(Melchior)…最年少で、アジア系の人物として描かれる事が多い。

 

三博士の贈物と意味するもの

・”黄金”…キリストの王権への敬意を表しているとされています。
・”乳香”…キリストへの神聖への敬意
・”没薬”…キリストの死の予兆と意味している。

解釈によって違いがあるため一概には言えませんが、三博士の国籍はヨーロッパ、アフリカ、アジア系、そして年齢も老年、壮年、青年と様々に描かれる場合が多いです。

 

は、なぜ3人の特徴が違うのか?

「東方三博士の礼拝」(1655-1660年)バルトロメ・エステバン・ムリーリョ

「東方三博士の礼拝」(1655-1660年)バルトロメ・エステバン・ムリーリョ

・190.8×146.1cm、カンヴァスに油彩、トレド美術館所蔵

三博士の国籍や年齢の違いから、老若男女、世界中の人々が救世主イエスの誕生を待ちわびていたを表わしているとされています。

何とも深いと思いませんか?

聖書の「福音書」では、はっきりと記載がされていないため、時代や地域、派によって解釈も様々です。ただ一つ言えるのは、世界中の人々がイエス・キリストの誕生を祝い、待ちわびていたって事でしょうか。

現在ある”西暦”は、元をたどればキリストの誕生を基準として設定したと言われていますから。それだけ西洋にとって、イエスの誕生は重要な出来事だと言う事でしょうね。

 

 

 

 

「東方三博士の礼拝」を描いた作品を挙げてみました。

Painting Art

宗教画でよく描かれる”東方三博士の礼拝”ですが、もちろん画家によって作風はまちまちです。

それに先ほどもちょっと触れましたが、時代や派によっても解釈は様々あります。同じ題材を描いた作品でも、それぞれ違った描かれ方がされるのも一つの面白さだと思います。

 

「東方三博士の礼拝」(1624年)アブラハム・ブルーマールト

「東方三博士の礼拝」(1624年)アブラハム・ブルーマールト

・168.8×193.7cm、カンヴァスに油彩

アブラハム・ブルーマールト(Abraham Bloemaert)1566~1651年”は、歴史画や風景画を描いていた事で知られるオランダの画家です。自身がカトリック教徒だった事もあり、宗教画も多く描いていました。

 

「東方三博士の礼拝」(1478年~1482年)サンドロ・ボッティチェリ

「東方三博士の礼拝」(1478年~1482年)サンドロ・ボッティチェリ

・68×102cm、テンペラ画、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

中央には聖母マリアとイエス・キリストが描かれていて、その周りには贈り物を持った人物が数人描かれています。ここから人物の特定が出来るのも宗教画の見所!

それにしてもボッティチェッリの描く「東方三博士の礼拝」は実に多くの群衆に囲まれているのが分かります。

思うに多くの人々に祝福されている様子を描きたかったのだろうか?

 

「東方三博士の礼拝」(1617-1618年)ピーテル・パウル・ルーベンス

「東方三博士の礼拝」(1617-1618年)ピーテル・パウル・ルーベンス

・328×251cm、カンヴァスに油彩、リヨン美術館所蔵

本名はピーテル・パウル・ルーベンスで、バロック期を代表するフランドルの画家です。(現在のドイツ、ジーゲンで生まれました。)

日本でも馴染みがあり、おそらく誰もが知る画家だろうと思います。歴史画、肖像画、風景画、宗教画、神話に寓意など様々なジャンルを描いていて、作品数は優に1000点を超えるほどと言われています。

もちろん「東方三博士の礼拝」という題材だけでも数点描いています。

 

「東方三博士の礼拝」(1619年頃)ピーテル・パウル・ルーベンス

「東方三博士の礼拝」(1619年頃)ピーテル・パウル・ルーベンス

・384×280cm、カンヴァスに油彩、ベルギー王立美術館所蔵

聖母マリアとイエス・キリスト、そして三博士がより強調されて描かれている様に見えませんか?

光の当たり具合というか、スポットライトが当たっているのが分かります。

 

「東方三博士の礼拝」(1626‐1629年)ピーテル・パウル・ルーベンス

「東方三博士の礼拝」(1626‐1629年)ピーテル・パウル・ルーベンス

・290×218cm、カンヴァスに油彩、ルーヴル美術館所蔵

「東方三博士の礼拝」は、西洋画でも頻繁に描かれる主題の一つ。見かける場面も多いかと思います。

ぜひ見かけた際は、今回の知識を思い返してみては??

今まで以上に、作品を深く味わえると思いますよ!

 

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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