ベルギーの新印象派画家”テオ・ファン・レイセルベルヘ”を解説!

ベルギーの新印象派画家”テオ・ファン・レイセルベルヘ”

 

ベルギーの新印象派の画家”テオ・ファン・レイセルベルヘ(Théo van Rysselberghe)”。

 

ジョルジュ・スーラに影響を受けながら、でも作風はスーラの点描画とは似て非なる!?繊細な筆づかいの点描技法を用いた人物画は、まさにレイセルベルヘ風と言った感じでしょうか。日本ではあまり聞きなれない名だとは思いますが、作品は一度見たら、魅了される事間違いなし!ぜひ要チェックして欲しい画家の一人だと思うのです。

 

 

レイセルベルヘを代表する作品と特徴は?

Painting Art

テオ・ファン・レイセルベルヘはベルギー出身で、若い時はブリュッセルの王立アカデミーで学んでいました。つまり伝統的なアカデミックな作品を描いていたのです。でもこの作品を見る限り、まるで点描作品に見えますよね。

 

「ブローニュ=シュル=メールの月光」(1900年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「ブローニュ=シュル=メールの月光」(1900年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・65×80.6cm、カンヴァスに油彩、フォルクヴァング美術館所蔵(エッセン)

レイセルベルヘはパリで印象派やジョルジュ・スーラの”点描”に大きな影響を受け、後にベルギーに新印象派を持ち込んだ立役者になります。確かにスーラの影響されたとはいえ、でも作風はスーラやシニャックの点描とは違った味わいがありませんか?まるで印象派の直感と、点描の科学的理論を融合させたような…。私的な言葉で例えると、”印象派風点描画”と言った感じでしょうか。レイセルベルヘは独自の画風へと発展させていったわけですね!

ちなみに、この「ブローニュ=シュル=メールの月光」は現在フォルクヴァング美術館に所蔵されています。国立西洋美術館で開催の「リニューアル記念展」でも展示されるので、機会があるなら見てほしい作品です。

 

「エミール・ヴェルハーレンらの集い」(1903年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「エミール・ヴェルハーレンらの集い」(1903年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・181×241cm、カンヴァスに油彩、ゲント美術館所蔵

そしてレイセルベルヘの特徴をもう1つあげるなら、人物画にも積極的だった点もポイント。点描は風景画には相性はいいけれど、人物画には合わないと言われていたそうです。そんな常識を覆したかの様に、レイセルベルヘの点描は人物画にも相性ピッタリ!印象派と点描の要素を融合した作風だからこそ、名画となる様な人物画を残せたのだろうと思うのです。

確かに日本ではあまり聞かない名前だけれど、レイセルベルヘは実に素敵な風景画や人物画を私たちに見せてくれます!ジョルジュ・スーラやシニャックの陰に隠れがちとはいえ、作品を見る限り決して引けを取らないと思うのです。

 

 

”レイセルベルヘ”の生い立ちと作品

ZOOM

ベルギーに新印象派を持ち込んだ立役者”テオ・ファン・レイセルベルヘ(Théo van Rysselberghe)”

レイセルベルヘを語る上で、パリでの点描画の出会いは大きな転換期だと思うのです。まずは美術辞典で彼の詳細を調べてみました。

レイセルベルヘ、テオドール・ヴァン(Théodor van Rysselberghey)

1862.11.28ー1926.12.13

ベルギーの画家。フランス読みはリッセルベルグ。ゲントに生れ、南フランスのヴァル県サン=クレールで没。ブリュッセルで修業し、<レ・ヴァン(20人会)>の創立に参加、パリで新印象派主義を採用し、フェネオン(Félix Fénéon、1861ー1944)やメーテルリンク(Maurice Maeterlinck、1862ー1949)と交友して新印象派の一人となる。晩年を南フランスに送り、いっそう自由な筆致で風景画を描いた。代表作は、抽象派の文人画家たちの集いを描いた『読書』(1903、ゲント美術館)

出典元:「新潮 世界美術辞典」

 

まずはこの下の風景画を観てほしいと思います。☟

「地中海、ル・ラヴァンドゥー」(1904年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「地中海、ル・ラヴァンドゥー」(1904年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・65.5×81.5cm、カンヴァスに油彩、イスラエル博物館所蔵

シンプルな風景画ではあるけれど、まるで紅葉の様な美しさ!!
遠くに見える山や自然の描写は何とも言えずイイですね!

そして樹木の描き方や色遣いは特に必見だと思います。

この絵のタイトルでもあるル・ラヴァンドゥー
フランスの地中海に面したコミューン(小さな自治都市)の事。
絵の奥に見えるのが地中海の景色でしょうか?
これはそんな地中海の見える景色を点描技法で描いた作品です。

日本での知名度は低いかもしれないけど、
こんな風に素敵な風景画を描く画家なのでぜひチェックしてほしいと思います。

ちなみにこれは「イスラエル博物館所蔵の印象派展」で展示された作品でした。
参考)⇒「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜展」を観てきました。

 

(レイセルベルヘの生い立ち) 

1879年(レイセルベルヘ17才の頃)
ベルギーの美術学校”ブリュッセル王立美術アカデミー”に通います。
ここでジャン=フランソワ・ポルテールから指導を仰ぎます。

1881年ブリュッセルのサロンに出品。

「Armand Heins paintin in open air」(1881年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Armand Heins paintin in open air」(1881年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

 

1883年…
この年に設立した「20人展」の創立のメンバーに加わります。
※”20人展”…これはベルギーの画家やデザイナー、建築家などを会員としたグループの事で、
創立メンバーにはベルギーを代表する画家ジェームズ・アンソールやフランツ・シャルレなどもいました。

1883年という事はレイセルベルヘが21歳の時です。
若くして加わっている事からも
才能豊かな画家だったんだろうな~というのは分かると思います。

 

「Fantasia Arabe Crop」(1884年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Fantasia Arabe Crop」(1884年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

ここまでの作品を見て見ると、
点描画で描かれていないのが分かると思います。
実はレイセルベルヘが点描画と出会ったのはこの後になってからなのです。

 

1886年にパリを訪問
レイセルベルヘはこの年に開催した「第8回印象派展」で、
あのジョルジュ・スーラの名画と出会ったのです。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884年‐1886年)ジョルジュ・スーラ

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884年‐1886年)ジョルジュ・スーラ

・207.6cm×308cm、カンヴァスに油彩、シカゴ美術館所蔵

ジョルジュ・スーラグランド・ジャット島の日曜日の午後

レイセルベルヘはスーラの点描画を見て影響を受けます。
その後ベルギーに点描の技法を持ち込みます。

実はレイセルベルヘがパリを訪問した翌1887年
ベルギーのブリュッセルで「20人展」が開催しました。

ここでジョルジュ・スーラを招待したのです。
もちろん名画「グランド・ジェット島の日曜日の午後」も展示されました。

 

「Rock at Perkiridy,Brittany」(1889年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Rock at Perkiridy,Brittany」(1889年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

 

スーラから点描の影響を受けたとは言っても、
でもその画風はスーラとは似て非なるもの。

レイセルベルヘは独自の画風に点描という技法を取り込み、
独自の画風を作ったと言った感じでしょうか!?

 

「The Sambre Valley」(1890年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「The Sambre Valley」(1890年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・53.8×67.0cm、カンヴァスに油彩

これはサンブル川の風景を描いたものです。
サンブル川は南フランスとベルギーを流れている川です。

 

「La_Régate」(1892年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「La_Régate」(1892年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・61.0×81.0cm、カンヴァスに油彩

 

ここでCheck!
私的に思うスーラとレイセルベルヘの違い!?

レイセルヘルベはスーラの点描画に影響を受けたとはいえ、
その画風はどことなく違う様に感じます。

これは私的な解釈になりますが、
スーラはまさに”の集合体で描いた点描画なのに対し、
このレイセルベルヘは筆の跡が残る様な点で描いた点描画といった感じだろうか??

 

他の例え方で言うなら、
スーラは装飾的でデジタルチックな点描画なのに対し、
レイセルベルヘはより自然で印象派的な点描画といった感じだろうか??
(この表現で分かるかな??)

 

「The scarlett ribbon」(1906年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「The scarlett ribbon」(1906年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

このレイセルベルヘは点描技法で人物画も多く制作しているのが特徴。
女性の裸体の作品も結構描いています。

 

「Sitzender Akt」(1905年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Sitzender Akt」(1905年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

 

ここは人によって好みが分かれると思います。
確かに点描画による人物画もイイですが、
私的には点描技法による風景画の方が好きですね!

緑溢れる自然や広大な風景の様子は点描画と特に相性がイイ感じがします。

 

・・・

「Plage de Cavalaire」(1910年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Plage de Cavalaire」(1910年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

・23.4×32.3cm、カンヴァスに油彩

実はこのレイセルベルヘは終止”点描画”に固執していたわけではないのです。
途中から点描技法で描く事を辞めているのです。

スーラが亡くなったのが理由とも言われていますが、
果たして真相はどうなんでしょうか??

とにかくレイセルベルヘにとってスーラの死はかなりショックだったと思います。

ちなみにスーラが亡くなったのが1901年で、
何と31歳という若さだったのです。

 

「Paysage du Midi」(1916年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

「Paysage du Midi」(1916年)テオ・ファン・レイセルベルヘ

この風景画も点描で描かれていないとはいえ、
でも雰囲気から印象派の感じはしっかりと読み取れますね。

 

1910年…
レイセルベルヘは南フランスのル・ラヴァンドゥーに移り住みます。

晩年はこの地で落ち着き、
そして1926年12月13日に亡くなったのでした。

 

ここでCheck!
風景画の一番の贅沢ってなんだろう!?

これは私的な考えになるんですが、
風景画で最も贅沢な場面って何だと思いますか??
それは木々と海(波)、そして広大な空が描かれた風景画になると思うのです。

年代を感じさせる樹木の様子や色合い。
そして様々な茎や葉の色や形。
常に動いている波の様子を瞬時に描く感覚描写!

そして広大な空を描いた風景。

この木々と海と空のすべてが描かれた風絵画は
私的にまさに風景画の総決算的なテーマだと思うのです。

1枚の絵にこの3つのテーマがすべて描かれている。
実に贅沢な風景画だと思いませんか!?

 

このレイセルベルヘは日本ではあまり知名度はないかもしれません。

でも印象派の絵画展ではたまに目にする事もあると思います。
ぜひ目にする機会があったら、
気に留めて観察するのもイイと思います。

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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