- 2020-5-10
- Artist (画家について), Artwork (芸術作品)
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画家”アンリ・ルソー”が描いたジャングルは嘘だらけ!?
嘘と言うとちょっと語弊があるかもしれませんね。
ルソーが描いた「馬を襲うジャガー」や「飢えたライオン」、それに「異国風景」など、どれも野性味溢れる作品です。でも普通に考えたら、凄く違和感があります。冷静に考えたら、分かる事なのです。
アンリ・ルソー「馬を襲うジャガー」(1910年)
・90×116cm、カンヴァスに油彩、プーシキン美術館所蔵
例えば「馬を襲うジャガー」の絵はどうだろう?
見て分かる通り、この作品はジャガーが馬を襲っている凄惨な場面を描いています。弱肉強食という自然の厳しさが描かれているのです。でもルソーの作品は”切り絵の様な可愛らしさ”があるためか、一切凄惨な感じがしませんよね。これはルソー独特というか、ルソー作品の特徴だと思います。
さて、ここで冷静になって考えてみて下さい。普通に考えてジャガーが獲物を襲うという決定的瞬間。この一瞬をカンヴァスに描くって…。明らかに目の前で見た景色を描いたものではないのが分かると思います。
実は画家ルソーはジャングルに一度も行った事がありません。ルソーはフランスを出た事さえなかったのです。ここに描かれているジャングルの風景は、実際のジャングルではなかった。つまりルソーが描いたジャングルは嘘だったのです!
アンリ・ルソーの描いたジャングル一体何だったの?
ルソーのジャングルシリーズの作品は、1900年以降になって多く描かれています。
アンリ・ルソー「飢えたライオン」(1905年)
・200×300cm、カンヴァスに油彩、
これは飢えたライオンがカモノハシに襲い掛かっているシーンを描いた作品。200×300cmとルソー作品の中でも最大級の大きさになります。
ちなみにルソーは作品「飢えたライオン」に、この様な説明文を添えています。
飢えたライオンは身を投げ出してカモシカに襲い掛かり、むさぼり食う。
ヒョウはその分け前をもらう瞬間をじっと待っている。
哀れな動物は涙を流し、その上では鳥たちが肉片を喰いちぎっている。陽が沈む。
カモシカをむさぼり食べているライオンと、それを見ている動物たちの様子。弱肉強食の世界観が淡々と描かれています。もちろんこの絵もルソーは実際にジャングルに行って描いてはいません。
ここで画家ルソーのこんな言葉を挙げてみたいと思います。
”植物園の温室より遠くへ旅行したことはない。温室に入り、異国の変わった植物を見ていると、まるで夢の世界へ入っていくような気がする。”
ルソーは植物園の温室で出会った植物から、ジャングルという世界観を表現したわけです。絵画の中のジャングルは、ルソーの想像によるところが大きかったというわけです。
タイトルに”ルソーのジャングルと嘘”とした理由は、ルソーはジャングルに行った事がないのに、ジャングルを描いた。ルソーのジャングルは、実際に見たものではなく、嘘だったのです。
アンリ・ルソー「ライオンの食事」(1907年)
・114×160cm、カンヴァスに油彩、メトロポリタン美術館所蔵
この「ライオンの食事」だってそうです。ライオンが正面を向いて、獲物を食している決定的瞬間。これだって普通に考えたら、出来過ぎなシーンです。
ちなみにこういった個性的な作風は、シュルレアリスムの前衛芸術の先駆けともなったそうです。マックス・ジャコブ、パブロ・ピカソなどにも大きな影響を与えました。
アンリ・ルソー「異国風景」(1910年)
・130×162cm、キャンヴァスに油彩、ノートン・サイモン美術館所蔵
猿たちが連なっていたり、こちらを見ながら果物を食べていたり…。ルソーらしいと言えば”ルソーらしい作品だと思います。もちろんこの作品も実物を見て描いたものではありません。
アンリ・ルソー「夢(The dream)」(1910年)
・205×299cm、カンヴァスに油彩、ニューヨーク近代美術館所蔵
これはルソーの最晩年の作品「夢」。
ちなみに作品の副題として…
”安らかにまどろむヤドヴィガ
甘美な夢に浸る彼女は心優しい蛇使いが奏でる葦笛(あしぶえ)を聴いている。
銀色の月の光は流れや木々の葉の上できらめき、残忍な蛇たちも妙なる蠱惑的(こわくてき)な調べに耳を傾ける。”
…ギョーム・アポリネールによる
※ヤドヴィガ…ルソーが恋焦がれたポーランドの女性。
※”蠱惑的(こわくてき)”…人の心を引きつけて惑わす様。
アンリ・ルソーの作風は、一貫して変化する事がなかった。生涯を通して大きな変化をする事なく、ルソーは自分なりの独創性を維持していたのです。一般的に画家ルソーは”素朴派”に属すると言われているけれど、私的にはルソーは独自の画風を貫いたという意味で”ルソー派”と呼んだ方が適切だろうと思います。
ルソーがジャングルに行った事がないエピソード!
ルソーがジャングルへは行った事がない話を証明するこんなエピソードがあります。
”植物園の温室より遠くへ旅行したことはない。
温室に入り、異国の変わった植物を見ていると、まるで夢の世界へ入っていくような気がする。”
平面的で子供が描いたような下手っぽい絵。だからこそ、凄惨な場面でも魅入ってしまうんでしょうね。もしルソーが写実的に描いていたら、こうはならなかったと思います。
アンリ・ルソー「虎と水牛の戦い」(1908年~1909年頃)
・46×55cm、カンヴァスに油彩、エルミタージュ美術館所蔵
ルソーの想像力によって描かれたから、
アンリ・ルソーの”素朴派”って何!?
アンリ・ルソーが生きていたのは1844年~1910年。
※アンリ・ルソー(Henri Rousseau)
…1844年5月21日生~1910年9月2日没。
”素朴派”を代表するフランスの画家。
ルソーは”素朴派”と呼ばれている画家です。
時期的には印象派と重なる部分があるけれど、
印象派とは違った独特な風景画が特徴ですよね。
一見するとゴーギャンの絵と通じる様だけれど…
でもこの独特な世界観はルソーにしかない唯一無二のもの!
アンリ・ルソーの”素朴派”とは?
”素朴派”を一言で説明するなら、今で言う”日曜画家”の様なもの。
”素朴派”とは
画家を職業としない者が絵画を制作している事。正式な美術教育を受けずに絵画を制作するため、
技法や技術的な事には関心がないと言われ、
時に陳腐な画風や技術的に低いなどで批判の的になる場合もある。
でも教育を受けず我流を貫いた事が、
時として個性的で独創的な作風を生み出しているともいいます。
元々アンリ・ルソーはパリの税関で職員として働いていたのです。
そして空いた時間に絵を描いていたと言います。
つまり今で言う”日曜画家”として絵を描いていたわけです。
そのため”ドゥアニエ(税関吏)”とも呼ばれていました。
そんなルソーが本格的に画家として活動し始めたのが40歳頃から。
1886年(ルソーが42歳)、アンデパンダン展に参加し、
それ以降ルソーは毎年の様に出品していました。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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