当時のバルセロナを伝える、ジュアン・プラネッリャの「織工の娘」

バルセロナの街

 

日本ではほとんど知られていないけれど、素晴らしい作品を描く画家は数多くいます。

 

例えば今回紹介したい画家は、スペイン、バルセロナ出身のジュアン・プラネッリャ(Joan Planella)です。

実際ネット上で「ジュアン・プラネッリャ」と検索しても、日本語で書かれた詳細のものは出てきません。つまり日本ではほとんど知られていない画家というわけですね。だからと言って、良い作品がないというわけではなく、単にこれまで日本で展示される機会がなかったというだけの話。実際に作品を見てみると、かなり深みある作品を描いているわけですから。

 

さて、私が初めて”ジュアン・プラネッリャ”を知ったのは、以前観た「奇蹟の芸術都市 バルセロナ展」がきっかけでした。

 

「織工の娘」(1882年)ジュアン・プラネッリャ

「織工の娘」(1882年)ジュアン・プラネッリャ

Joan Planella Rodríguez「The working girl / The Child Laborer」 、カンヴァスに油彩、個人蔵

ジュアン・プラネッリャの一番の代表作がこの「織工の娘」です。自動織機を操っている幼い少女の仕事風景を描いた作品です。一切の感情を加える事なく、ただ目の前の様子をそのままカンヴァスに描いた。まさに写実的と言った作品です。

 

ここでCheck!
「織工の娘」を見て、何か違和感を感じませんか!?

さて、「織工の娘」を見ていると、ふと違和感というかギャップを感じてしまいます。それは幼い少女が働いている??姿です。普通に考えて幼い少女が働く姿には、違和感を感じますよね。現代の常識からすると、時代錯誤というか、何だか変な光景です。しかも奥の方に見える男性らしき人物も気になる。まるで監視されている様にも見えるからです。本当に今の時代から考えるとおかしい光景ですよね。

でも当時のバルセロナでは、この様な光景はよくあったそうです。つまり、ジュアン・プラネッリャの「織工の娘」は、当時のバルセロナの社会状況をリアルに表しているわけですね。

 

 

「織工の娘」に描かれた当時のバルセロナって!?

バルセロナの街

ジュアン・プラネッリャの「織工の娘」が描かれたのは、1882年(日本は明治15年)。産業化が進み劣悪な労働環境で溢れたバルセロナの社会を描いています。

 

こでちょっと背景について話しますと…

1832年にラバル地区に蒸気機関が導入され、バルセロナにも産業革命の波が押し寄せてきました。(1832年は、日本は江戸時代で徳川家斉が将軍だった時)バルセロナは産業革命によって生産ラインは機械化し、それまで主流だった肉体労働は必要とされなくなってきた。逆に安い賃金で雇える女性や子供の労働需要が増してきた。でも、当時法律はちゃんと整備されていなかったため、今の様に幼い子供が働く事への規制もなかったのです。

織工の娘」には、1830年代の安い賃金と劣悪な労働環境で働かされていた幼い子供たちのリアルな姿が描かれているわけです。

ちなみに当時は6才から働きに出る子供もかなりいたそうです。6歳から働かざる負えない子供って…。現在の常識から考えると、信じられない光景ですよね。しかも、労働環境は劣悪で衛生面も酷かった。当然ながら長時間労働も強いられていた様です。(という事は、今の様に残業代もなかったということでしょうか。)

 

この1枚の絵には、当時の労働環境の酷さが凝縮されている!しかも、写実的に描かれているため、生々しくもありリアルに見える。だから「織工の娘」は、ズシッと重みのある作品に映るんでしょうね。

 

 

「バルセロナ展」で観た、対照的な作品「1882年の冬」

Painting Art
ジュアン・プラネッリャの「織工の娘」は当時、産業革命で犠牲を強いられていた子供の姿を描いた傑作です。これだけでもかなり酷い感じですが、対照的とも言える作品と並べられると、もう酷いを通り越して、残酷としか言いようがない。

奇蹟の芸術都市 バルセロナ展」では、そう思える作品を目にしてしまったのです。

 

「1882年の冬」(1882年)フランセスク・マスリエラ

「1882年の冬」(1882年)フランセスク・マスリエラ

フランセスク・マスリエラ1882年の冬(1882年)

「1882年の冬」は当時の富裕層の少女を描いた作品です。まさにジュアン・プラネッリャの「織工の娘」とは対照的ですね。しかも、この「1882年の冬」も、見ての通り超写実的!着ている服装や身に着けているものがまざまざと見て取れます。だから余計に当時の生活環境や貧富の差が生々しく見えてくるんでしょうね。

 

ここで当時の貧困の差を表わす、こんな数字を挙げてみたいと思います。

 約150年前のバルセロナの平均寿命 

1837年~1847の富裕層の平均寿命は36歳。貧しく労働環境の悪い状況で働いていた人たちの平均寿命は23歳。

 

当時の寿命36歳!この短さにも驚きですが、貧困層はそれよりももっと若く23歳だった事には、本当に驚きです。驚きを通り越して、怖さも感じてきませんか?貧困層の人たちの生活ぶりや労働環境がよっぽど酷かったんだろうな~と思いますね。それにしても23歳は、さすがに若すぎますよね。

 

「織工の娘」(1882年)ジュアン・プラネッリャ

「織工の娘」(1882年)ジュアン・プラネッリャ

当時の労働環境下で働いていた少女をリアルに描いた「織工の娘」。写実的に描かれているからこそ、余計に生々しくリアルに見えてしまう。これが印象的に描かれていたら、ここまでの説得力はなかったでしょうね。1枚の絵画から発せられるメッセージ性と、存在感!ジュアン・プラネッリャの「織工の娘」が傑作!と思ったのはこのためだったのです。

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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