- 2018-11-17
- Artwork (芸術作品)
- コメント:1件

作品名「ローマ慈愛(Roman Charity)」だけを見ると、とても教訓的で愛に溢れた作品をイメージすると思います。でも実際に作品を観ると、人によっては気持ち悪さを感じるかもしれない。宗教観の違いかもしれないし、人によって解釈の違いもあるのだろうけど…。こういったギャップが生まれるのも芸術の面白さでしょうね。
今回紹介するピーテル・パウル・ルーベンスの「ローマの慈愛」は、まさにそんな解釈の違いが楽しめる作品だと思います。
ルーベンスの「ローマの慈愛」3作品を観て、どう思う!?

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1612年)ピーテル・パウル・ルーベンス
・141×180cm、カンヴァスに油彩、エルミタージュ美術館所蔵
タイトル名「Roman Charity」を日本語に訳すと、”ローマの慈愛”もしくは”慈悲”になりますが、ここでは”ローマの慈愛”で話を進めていこうと思います。
これは娘ペロが父親キモンに母乳を与えている場面を描いたルーベンスの名画「ローマの慈愛」です。
さて、あなたはこの作品を観て、一体どう感じましたか??
気持ち悪さを感じますか??
それとも、慈愛に満ちた素晴らしい絵だ!!と思いますか?

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1620‐25年)ピーテル・パウル・ルーベンス
・194×200cm、カンヴァスに油彩
私の考えでは、別にどちらの解釈も間違っていないと思います。はっきり言って、これは宗教観や文化の違いが大きいと思うから。価値観が違えば、解釈が違ってくるのは仕方がないですしね。大事なのは、こういった考えもあるんだな~と受け入れる事でしょうか。日本人からすると、肉親に母乳を与えるという行為は、考えようによっては近親相姦(きんしんそうかん)とも受けとれてしまうだろうし。
実際私が「ローマの慈愛」を初めて観た時は、ちょっと違和感を覚えたくらいですしね。だから日本人である以上、こういう感想を抱くのも仕方がないと思うのです。でも大事なのは、この絵は一体どんな意味があるのだろう??と深掘りする事だと思います。

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1630年)ピーテル・パウル・ルーベンス
・155×190cm、カンヴァスに油彩、アムステルダム美術館所蔵
両手両足を繋がれたキモンと、母乳を与えている赤い服のペロ。ルーベンスは「ローマの慈愛」を題材にした作品を3点描いていますが、どの絵も構図や人物像はほぼ同じ。でもそれぞれ若干の違いがあるのは面白いですね。「ローマの慈愛」は多くの画家が好んで描いた題材で、調べてみると、実に多くの作品があるのが分かります。
そして興味深い点は、画家によって人物像も違えは構図も大きく違っている!同じ題材でも、画家によって解釈が違うって事でしょうか。画家によって解釈が違うわけですから、その作品を観る私たちの解釈が違ってくるのは当然と言えば当然でしょうね!
人によって解釈が違ってくるのは当然!
でも大事なのは、描かれている背景を知る事!特に宗教画や神話画では、物凄く大事になってくると思っています。背景が分かれば、より深く作品を味わえますしね!それに他国の価値観や宗教観も理解できるし。西洋画は日本的な価値観では理解できない点も多々あると思うので。西洋画を深く楽しむためにも、背景を探るって大事だと思っているのです。
ローマの慈愛(Roman Charity)は、どんな話なの!?
先ほどルーベンスの「ローマの慈愛」を挙げてみましたが、実は多くの画家が描いているテーマでもあります。ジャン=バティスト・グルーズやルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ。それから今回初めて聞いた名ですがパウルス・モレールスなど、挙げたらキリがないくらいです。
まず肝心「ローマの慈愛」の話ですが、これは実話が元になっているそうです。
キモンとペロ
…「ローマの慈愛」はキモンとペロの故事をさす。
キモンは牢獄で処刑の日を待つ老人で、それゆえ全く食物を与えられていなかった。看守はキモンの娘ペロが彼を訪ねることを許した。彼女は父親に自分の乳房を吸わせて栄養を与えた。場面は牢獄の独房で、手錠をされた白髪の囚人が若い婦人の膝によりかかり、婦人は彼に乳を与えている。看守が鉄格子の入った窓からのぞいている。あるいは死刑執行人が、剣を手にして独房に入ってくる。バロック期の作例は、単なる若さと老いの寓意画のことが多い。性的な意味が強調されることもしばしばである。18世紀後半の新古典主義の時代には、本来めざしていたところの孝行の道徳的模範として取り上げられた。
・出典元:『西洋美術解読事典』の一部
”慈愛”という用語を辞書で調べると、”恵みを与え、苦を取り除く事。または、その心。”という意味になるそうです。まさに「ローマの慈愛」に描いているシーンそのものですね。当時”慈悲の模範”として考えられていたのも頷けます。
それでは、ルーベンス以外の画家の「Roman Charity」もちょっとだけ見てみようと思います。

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1633年)パウルス・モレールス
・147.5×162cm、カンヴァスに油彩、スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1767年頃)ジャン=バティスト・グルーズ
・65.4×81.4cm、カンヴァスに油彩
「ローマの慈愛」は、16世紀から18世紀にかけてイタリアやオランダを中心に人気を集め描かれていたそうです。
そして調べていくと、さらに興味深い事も分かってきます。時代によって「ローマの慈愛」の解釈が違っている事!!性的な意味として取られる時もあれば、18世紀頃になると道徳的な模範として見られていた。こうやって見ていくと、解釈って水物なのが分かりますね!だから、正解ってないのかな~って思います。

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1770年)ジャン=バティスト・グルーズ
・24.5×32.5cm、カンヴァスに油彩、ルーヴル美術館所蔵
さらに「ローマの慈愛」という話は、紀元1世紀にはすでに存在していたようです。ポンペイのフレスコ画で描かれているのが分かっていて、調べれば調べるほど面白いな~って思いますね。

「ローマの慈愛(キモンとペロ)」(1782年頃)ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ
・62×73cm、カンヴァスに油彩、オーギュスタン美術館所蔵
これまでに多くの画家によって「ローマの慈愛(慈悲)」は描かれていますが、どれも違った解釈がされているようで、見れば観るほど面白い「Roman Charity」。
ぜひ美術館で見かけたら、今回の話を思い出してみてほしいと思います。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
コメント
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娘さんすごいなあ