コロナ禍に観てほしい絵画! 黒死病の守護聖人”聖セバスティアヌス”

聖セバスティアヌス(Saint Sebastian)

 

ちょっと洒落た事を言うわけではないですが、芸術は時として観る者に大きなパワーを与えてくれます。

 

例えば、黒死病の守護聖人と言われた聖セバスティアヌスは、コロナ禍の今だからこそ観てほしい!そんな絵画です。黒死病は歴史上、最も悲惨的な感染症だったのはよく知られている事実。死者数も相当だったそうで、地域によっては人口の半数が亡くなった…、そんな事実もあったそうです。何かにすがりたくなる気持ちも分からなくもないですね。もちろんコロナ禍でも、すがりたくなる気持ちはあって当然かも!?そんな気持ちに、多少なりパワーを与えられるなら…、と思って、今回は”聖セバスティアヌス”の作品をいくつか紹介したいと思います。

 

 

”聖セバスティアヌス”とは??

聖セバスティアヌス(Saint Sebastian)

まずは、聖セバスティアヌスという人物(聖人)から、話さないといけないでしょうね。””と付くだけあって、セバスティアヌスはキリスト教の聖人で殉教者。詳細については分からない部分も多いそうですが、3世紀末、ローマ帝国のディオクレーティアーヌス帝の命によって殺害された人物です。

 

セバスティアヌス(聖)

キリスト教の伝説的殉教聖人。
3世紀頃、ディオクレーティアーヌス帝治下、プラエトリアの防備軍で士官をしていたといわれる。密かにキリスト教徒となっていたが、仲間のマルクス、マルケリヌスの2人が信仰のため死を宣せられた時、援助の手を差し伸べようとして秘密が露見した。皇帝から弓矢で射殺するよう命が下り、直ちに彼の処刑が行なわれた。処刑後、刑史たちは彼が息絶えたものと思って、その場に放置した。しかしいずれの矢も急所をはずれており、矢傷は深かったが、致命傷とはならなかった。ある伝説によれば、イレネという名の寡婦が聖者を看護したという。こうして健康を取り戻したセバスティアヌスは再び皇帝の前に出て、重ねて自らの信仰を公言した。この時には棍棒で打ち殺され、遺体はローマの大下水道クロアカ・マクシマに投げ捨てられたと伝えられる。

・出展元:新潮 世界美術辞典より一部

ここまでの説明を見る限り、全く”黒死病”という名は出てきませんよね。

実は話はこれで終わらないのです。

 

「聖セバスティアヌス」(1495年頃)ピエトロ・ペルジーノ

「聖セバスティアヌス」(1495年頃)ピエトロ・ペルジーノ

・170×117cm、ルーヴル美術館所蔵

最終的にセバスティアヌスは、皇帝の命によって拷問を受け亡くなってしまったわけですが、ポイントは矢を射られても死ななかったという点です。矢で射られても奇跡的に生きていたという伝説と、矢で射られた跡がペストの黒い斑点と似ていた事から、黒死病(ペスト)の守護聖人となったそうです。

ちなみに黒死病(ペスト)は、内出血して皮膚が紫黒色(しこくしょく)になる事から、この名(黒死病)が付いたそうです。ちょっと余談ですが、黒死病の症状は高熱が出たり、倦怠感があったりとコロナと似ている部分もあります。でも当時は今ほど医療技術もなかっただろうから、死者は相当だった様です。正確な数字は分かっていないけれど、推定でも死者数は2億、3億?とまで言われているそうです。コロナによる死者もかなりですが、黒死病はそれ以上だったのが分かりますよね。当時の人たちが、矢で射られても死ななかったセバスティアヌスに、救いを求めたのも分からないでもないですね。

 

ここでCheck!
最近は、コロナ騒ぎが落ちついてきた?とはいえ、それでも未だにたくさんの感染者がいて、知らないところでは多くの死者を出している。多少なり慣れもあるだろうけど、それでも自ら感染して、コロナによって苦しんだ経験がある人からすれば、何かに救いを求めるのも当然かもしれない。別に宗教にすがろう!と言いたいわけではないけれど、時として絵画からも計り知れないパワーをもらえるかもしれない!そう考えたら、黒死病の守護聖人”聖セバスティアヌス”は、勇気を与える作品になるかもしれないのです。

芸術って単なる娯楽としてだけじゃなく、時代によっては心の拠り所だった事実もある。改めて、芸術って素晴らしい!と思いませんか!?

 

 

 

色々な”聖セバスティアヌス”から、あなた推しを探そう!

見れば、観るほど...

さて、絵画は同じ主題を描いても、画家によって全く違った画風になったりします。”聖セバスティアヌス”は、時代によって多くの画家によって描かれた主題で、探していくと、実に多くの作品が残されています。もちろん、矢で射られているシーンが多いですが、でも描いた画家によって画風は実に様々です!

人によって好きな画風もあれば、そうでない画風もある。今回、色々な”聖セバスティアヌス”の絵画を挙げていきますが、その中からあなたのお気に入りを見つけるのも面白いと思います。

そして、もしお気に入りの絵が、あなたを元気付ける作品になったら…、それって、実に素晴らしいと思いませんか!?

 

「聖母子と聖フランチェスコ、聖セバスティアヌス」(1491年)カルロ・クリヴェッリ

「聖母子と聖フランチェスコ、聖セバスティアヌス」(1491年)カルロ・クリヴェッリ

・175.3×151.1cm、ポプラ木に油彩・テンペラ、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵

・カルロ・クリヴェッリ(Carlo Crivelli)
1435~1495年頃、イタリアの画家。後期ゴシック調の装飾性高い画風が特徴。

 

「聖セバスティアヌス」(1610~1614年頃)エル・グレコ

「聖セバスティアヌス」(1610~1614年頃)エル・グレコ

・201×111cm、カンヴァスに油彩、プラド美術館所蔵

・エル・グレコ(El Greco)
1541~1614年、クレタ島出身のスペインの画家。

 

「聖セバスティアヌスの殉教」(1601年頃)ピーテル・パウル・ルーベンス

「聖セバスティアヌスの殉教」(1601年頃)ピーテル・パウル・ルーベンス

・153×118cm、カンヴァスに油彩、国立古典絵画館(コルシーニ宮)所蔵

・ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
1577~1640年、北方バロックを代表する画家。

 

「聖セバスティアヌス」(1613年頃)ルイス・フィンソン

「聖セバスティアヌス」(1613年頃)ルイス・フィンソン

・カンヴァスに油彩、リヨン・サンジャン大教会所蔵

・ルイス・フィンソン(Louis Finson)
1580~1617年、フランドルの画家。カラヴァッジョから強い影響を受けた画家で知られる。

 

「聖セバスティアヌス」(1603~1607年頃)アロンソ・バスケス

「聖セバスティアヌス」(1603~1607年頃)アロンソ・バスケス

・130.0×85.0cm、カンヴァスに油彩、The Hispanic Society of America所蔵

・アロンソ・バスケス(Alonso Vazquez)
1565~1608年、ルネサンス期に活躍したスペインの彫刻家で画家

 

「聖セバスティアヌスの殉教」(1869年)ギュスターヴ・モロー

「聖セバスティアヌスの殉教」(1869年)ギュスターヴ・モロー

・32.2×23.8cm、カンヴァスに油彩、セントルイス美術館所蔵

・ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)
1826~1898年、フランスの画家。神話や宗教的な作品が多く、幻想的で象徴主義的な画風が特徴。

 

「聖セバスティアヌス」(1912年)ボフミル・クビシュタ

「聖セバスティアヌス」(1912年)ボフミル・クビシュタ

・98.0×74.5cm、カンヴァスに油彩、プラハ国立美術館所蔵

・ボフミル・クビシュタ(Bohumil Kubista)
1884~1918年、チェコスロバキアを代表するキュビスムの画家。ピカソやジョルジュ・ブラックから影響を受ける。

 

ある程度時代順で、様々な”聖セバスティアヌス”を挙げてみましたが、それぞれ全く違うし味もある!特に最後のボフミル・クビシュタは、まさに現代風だと思います。キュビスムによる表現だけに、聖人を描いている様には見えませんよね。でも、矢が射られている描写から、どういった画なのかが分かる仕掛けになっている。宗教画はアトリビュートという”人物を特定するヒント”があるのがイイですね。

 

ここでCheck!
絵画には秘められた計り知れないパワーがある!と私は思っています。今回は”聖セバスティアヌス”を挙げてみましたが、別にどんな絵でも構わない!あなたが元気が湧いてくる!と思える作品に出会えたら、それだけで十分幸せな事!!

ぜひ、そう思える作品を見つけてほしいと思います。^^

 

 
 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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