素朴派の画家”アンリ・ルソー”が虎を描いたら、こうなりました!

野生の虎

 

年始早々頭に浮かんだ画家は素朴派を代表するアンリ・ルソーだったのです。

 

今年の干支は”寅年(虎)”です。ふとこんな疑問が湧いてきたのです。そういえば”虎”を描いた西洋の画家って誰かいただろうか!?私の答えはアンリ・ルソーでしたが、あなたはどんな画家を思い浮かべますか?

 

寅年の2022年最初を飾る画家として、今回はルソーの虎をいくつか見ていこうと思います。

 

 

素朴派の画家”アンリ・ルソー”が虎を描いたら、こうなる!

Painting Art

常識という概念からかけ離れた独特な画風が特徴の画家アンリ・ルソー。立体感や遠近感がなく、一見すると幼稚にさえ見える。でもなぜだろう?見れば観るほど吸い込まれる”中毒性”持った絵を描くのです。

 

そんな魅力溢れた画家ルソーが独創的な感覚で虎を描いたらこうなりました!

 

「嵐の中の虎」(1891年)アンリ・ルソー

「嵐の中の虎」(1891年)アンリ・ルソー

 

一体この虎は何をしているのだろうか?嵐から身を守るためにどこか身を隠せる場所を探しているのか?はたまた嵐の中で獲物を探している場面なのだろうか?暴風雨によってジャングルが大荒れしていて、強い雨が降り遠くでは稲妻が走っている様子が分かります。

画家ルソーはジャングルというテーマで何枚を作品を描いていました。その中で”虎”も度々登場してきますが、何とも言えない味があると思いませんか??

 

「虎と水牛の戦い」(1908年)アンリ・ルソー

「虎と水牛の戦い」(1908年)アンリ・ルソー

 

この作品はまさに獲物を襲っている最中が描かれています。

でもなぜだろう???

虎が獲物を狩っている弱肉強食のシーンを描いているのに、妙に落ち着いているというか冷めた感じに見えるのです。野性味溢れる感じが虎から感じられない。この独特な雰囲気はルソーならではのもの!野性さや残酷なシーンでも、ルソーの場合は不思議と魅入ってしまうのはこのためなんでしょうね。

 

ここでCheck!
こんな疑問が湧きませんか!?

ルソーは虎の野生的な様子をカンヴァスに残したかったのかもしれない。だからと言って暴風雨で稲妻が走っている瞬間や、獲物を狩っている場面を描くなんてあまりに都合が良すぎるな!?と思いませんか??

別に野性味がある虎を描きたいからといって、ルソーが実際に虎の行動をずっと見張っていたというわけではないのです。以前ルソーのジャングルというテーマの記事を書きましたが、ルソーという画家は実際にジャングルに行った事は一度もないのです。植物園に行き植物の様子を観察したり、写真を参考に描いたりしていました。おそらくここで描かれている虎の狩りの様子も写真だったり、ルソー自身の想像なのかもしれませんね。

 

「虎と水牛の戦闘」(1908‐1909年)アンリ・ルソー

「虎と水牛の戦闘」(1908‐1909年)アンリ・ルソー

 

印象派の画家が風景画を描くときは、大半は実際にその場所に行って絵を描いていました。写実的な画家ももちろん実物を写生していたわけです。虎を描いた西洋画家があまりいない理由はおそらく野性味あふれる虎に出くわす瞬間がなかったからなんでしょうね。そういった意味でもルソーは他の画家とは一味違うのが分かると思います。ルソーが独創的で想像力溢れる画家と言われる所以はここにあると思うのです。

 

素朴派の画家”ルソー”が虎を描いたら、まさに想像力に満ちた画風になった!ルソーの作品は全体的に沈黙冷静さがあるものばかりです。でも不思議と引き込まれる魅力があるんですよね!私が思うルソー最大の特徴はこの静けさにあると思っています。

 

 

ところで”素朴派”とは何!?

LOOK & ZOOM

アンリ・ルソーは俗に”素朴派”を代表する画家と言われています。さて、素朴派とは一体どんな意味なんだろうか?

ルソーが生きていた時期は1844~1910年。ちょうど印象派の時代とかぶります。そんな時代にあってルソーは印象派に影響を受けていません。というか元々税関史として働きながら、合間に絵を描いていたわけです。今で言う”日曜画家”の様なもの。本格的に絵の学校に通って教育を受けたわけでもなく、独学で絵を描いていたのです。

画風が一見幼稚に見えたり、遠近感や立体感がほとんどないといった画風は、専門的な教育を受けていないからなのです。そんなルソーが本格的に画業に専念し始めたのが1893年。50才の頃でした。

 

ここでCheck!
素朴派”とはまさに日曜画家の様なもの!

素朴派…専門的な美術教育を受けないで絵画を制作する事。画家を生業としないものが絵画制作をする事。つまり現代でいう”日曜画家”になるのでしょうか。

 

「私自身、肖像=風景」(1890年)アンリ・ルソー

「私自身、肖像=風景」(1890年)アンリ・ルソー

・カンヴァスに油彩、146×113cm、プラハ国立美術館所蔵

アンリ・ルソーが生きていた頃は、アカデミーの絵画常識が良しとされていました。そんな中にあって、ルソーの様にある意味アマチュアが世間に作品を公表する機会はあまりなかったわけです。それが印象派の誕生から徐々に変化が出てきました。”アンデパンダン展”の登場によってルソーにも活躍の場が出てきたわけです。
参考)⇒「アンデパンダン展」って何?…私でも出品できるって本当!?

アンデパンダン展はアカデミー主催などの保守的な審査による展覧会に対抗するため創られた美術協会。自由出品、無審査が原則で誰でも参加が出来るのが特徴の展覧会。

 

元々専門的教育を受けていないルソーにとってこの「アンデパンダン展」はうってつけの展覧会だったわけです。当然のごとく1886年から参加し、毎年の様に出品します。でも当初はあまり良い評価は受けていなかったようです。「幼稚だ!」といった酷評もあったといいます。でも継続こそ力なりではないでしょうけど、次第に評価も高まってきました。もちろん平面的な画風で特徴の印象派の画家”ゴーギャン”からも評価されていました。やはり画風的に通じる部分があるからなのか?理解してくれる画家もいたようです。

 

「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」(1905‐1906年)アンリ・ルソー

「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」(1905‐1906年)アンリ・ルソー

・カンヴァスに油彩、175×118cm、東京国立近代美術館所蔵

これはルソーが晩年に描いた「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」という作品。アンデパンダン展に参加しよう!というルソーの熱い想いがこの絵に込められている様ですね。

確かに徐々に評価も高まっていったとはいってもそれはほんの一部からでした。生前中ルソーはそこまで評価を受けることはなかったのです。でもそれが一変したのがシュルレアリスムが広まった20世紀頃だろうと思います。

 

”日曜画家”というとどうしてもアマチュアみたいに聞こえます。でも”素朴派”と言う一連の絵画運動が誕生した時点で、ルソーはれっきとしたプロの画家として認められた証だろうと思うのです。ルソーの作品は不思議な沈黙と静けさがあるものばかり!観ると不思議な魅力にハマる事間違いなし!だと思います。

 

さて、今年は素朴派の画家”ルソー”の作品を観に行ってみてはどうですか?

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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