- 2023-6-4
- Artwork (芸術作品)
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黒田清輝の代表作として、真っ先に名が挙がるのが「読書」だと思います。
何せ教科書にも載っている程ですから。美術にあまり詳しくない人でも、作品の写真くらいは目にした事があると思います。でも実際に本物を観た人でいうと、あまりいないのではないでしょうか。せっかく教科書でも目にしている作品なのに、実物を観ないのは本当にもったいない。”コレ知ってる!”という感覚は、絵画と触れあうイイきっかけだというのに…。
【 目次 】 ・なぜだろう?「読書」は重要文化財ではない!? |
今回はこの流れで、代表作「読書」について解説していこうと思います。また後半には絵のモデルとなた女性”マリア”についても触れています。ぜひ参考にしてほしいと思います。
なぜだろう?「読書」は重要文化財ではない!?
さて黒田清輝の代表作と言ったら、今回紹介する「読書(Woman Reading)」以外に、「湖畔」「舞妓」それに「智・感・情」があります。この4点は超が付くほど有名なので、知っている人も多いと思います。ちなみにこの4点の中で、国宝ないし重要文化財に指定されている作品があります。
どれだと思いますか?
実は「読書」以外の3点が文化財指定されています。
私が調べた限りだと、
・「舞妓」(明治26年、1893年)は重要文化財指定作品
・「湖畔」(明治30年、1897年)は、重要文化財指定作品
・「智・感・情」(明治32年、1899年)は、重要文化財指定作品
※国立文化財機構所蔵品統合検索システムより(2023年10月時点)
・98.2×78.8cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
何とも興味深い結果が!唯一「読書」だけが、文化財指定されていないのです。実に不思議ですよね!?
教科書に載っているくらい有名な作品なのに、1891年にはフランスのサロンで入選した作品だというのに…。もちろん理由は様々あるだろうし、正直言って私は専門家ではないので選考基準も分かりません。でもこれほど知られている作品に限って、文化財指定されていないというのが何とも疑問に思ったのでした。
別に指定されていないからと言って、私にとっては特に影響はないですが…。あるとしたら、見れる機会が増えるって事だけでしょうか?国宝や重文(重要文化財)は、作品保護のため展示日数など細かな決まりがありますからね。指定されていないって事は、それだけ展示の機会が増えるかもしれないから。
私の予想では、”近い将来”重文”に指定されるのでは?”と思ってはいますが、果たしてどうなるだろうか?
黒田清輝の代表作「読書」について解説!
それでは、今回のメインでもある”解説編”に入りたいと思います。
ただいきなり作品について話すのもなんですから、まずは描かれるまでの背景から…。
黒田清輝は法律を学ぶため、1884年にフランスへ渡ります。結局1884年~1893年の約10年近くをフランスで過ごしたわけですが、この間に色々と紆余曲折がありました。最初は法律を学ぶためだったのが、数年後には画家を目指す決意をしたのです。元々絵を描く事が好きだった様なので、これも当然の流れかもしれませんね。
でも本格的に画家としての自信を得たのは、この「読書」という作品になるだろうと思っています。なぜなら先ほどもちょっと触れましたが、サロンで入選した作品だからです。
・98.2×78.8cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
この絵が描かれたのは1890年(日本では明治23年)6月~8月頃です。黒田がフランスのグレー村(パリ近郊の村)滞在中に描いた作品です。絵のモデルはフランス人の女性”マリア・ビヨー(Maria Billault)”。
実は黒田はマリアをモデルに何枚か絵を描いています。真相は分かりませんが、マリア・ビヨーとは単なる画家とモデルの関係ではなく、恋愛関係にあったと言われています。もし単なるモデルとしての関係だったら、何枚も描いたりしませんしね。私が思うに少なくとも男女の関係はあったのだろうと。当時黒田は20代半ばですから、魅力的な女性が目の前にいたら…。(もし私だったら、恋に落ちるかもしれませんが^^)
それに絵の描写からも、何となくうかがい知れたりします。6月頃に素描が描かれ、修正を繰り返し8月頃に完成。思いのほか長い期間を要して描かれた作品だからです。丁寧に描かれている点からも、”マリア”へ対する想いが感じられませんか??
・76.4×60.6cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
真相はともあれ「読書」という作品は、黒田の師”ラファエル・コラン(Raphael Collin)”からも賞賛され、1891年のサロンへ出品し入選。フランス画壇デビューを飾った記念すべき作品となったのです。ちなみに上の「マンドリンを持てる女」は、「読書」と共にサロンに出品した作品の一つです。
モデル”マリア・ビョー”を描いた作品を見てみます。
1890年(日本では明治23年)、黒田はフランスのグレー村に滞在します。おそらくこの時にマリア・ビョーと知り合ったとされています。マリアの家族とも仲が良かったらしく、親密になるのも当然な流れだったのかもしれませんね。
黒田はグレー村滞在中の約2から3年くらいでしょうか。この間にマリアをモデルに何枚か作品を描いています。実は観て行くとオモシロイ事に、どの作品も構図などが実に様々だったりします。
・48.7×59.2cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
「読書」とほぼ同じ構図で描かれた作品。
・80.6×64.5cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
人物の後ろ姿を描いた作品で、陽が当たっている少女の髪や草木の描写が印象派を感じさせる作品です。黒田清輝は俗に”外光派”と呼ばれているので、ある意味一番黒田っぽい作品かもしれないですね。
・179.6×114.3cm、カンヴァスに油彩、東京芸術大学・大学美術館所蔵
厨房(台所)の入り口付近で、椅子に腰かける女性を描いた作品。179.6×114.3cmという大き目なサイズなことから、ほぼ等身大のマリアを描いていると言われています。他の作品と比べて、光が当たっていてマリアの顔立ちがハッキリと分かるのが印象的ですね。家庭的な姿のマリアを描いている事から、親密な関係性が指摘されています。
さてここまでいくつか作品を観てきて、ふと思った事があります。
うつむき加減や後ろ姿、真正面からなど、実に様々な角度からマリアを描いている事に気が付きます。何とも興味深いと思いませんか?
これは私なりの解釈になりますが、黒田は単なるモデルとして描いたと言うよりも、マリアという女性の様々な部分をカンヴァスに残したかったとしか思えないのです。いつかは日本に帰らないといけないと分かっていたから、自分が好きになった女性を、絵として描きたかったのでは?と思っています。そう考えると、マリアをモデルに何枚も描いた理由も分からなくもない。それだけ好意があったと言う事でしょうか。真相はともあれ、私的には”何とも切なく”感じてしまうのです。
絵って平面だけれど、解釈によって色々なモノが見えてくるからオモシロイ!
今後黒田清輝の作品を観る機会があったら、今回の話を思い起こして観てほしいと思います。より深く味わえるかもしれませんよ!
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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