京で活躍した絵師”伊藤若冲”の人生

Calligraphy

 

20世紀になって
再び注目を浴びる事になった”若冲

 

伊藤若冲”は江戸時代に京で活躍した絵師。

2016年には生誕300年を迎えた事もあって
ますます脚光を浴びる事になってきました。

 

江戸時代と言えば葛飾北斎が特に有名ですが、
京(京都)において若冲はかなり人気を得ていたと言います。

さてそんな”伊藤若冲
画家人生について触れてみたいと思います。

・・・

 

”伊藤若冲”の画家人生…

Calligraphy

江戸では北斎”、京においては若冲

 

江戸時代の絵師(画家)と言えば
葛飾北斎が最も有名だと思います。

対して京(京都)では
この伊藤若冲の名が挙がるほど!

 

「伊藤若冲像」(1885年)久保田米僊

「伊藤若冲像」(1885年)久保田米僊

伊藤若冲(Ito Jakuchu)

今からちょうど300年くらい前…
1716年”と言えば江戸時代中期に当たります。

当時の元号で言えば”正徳6年”。
ちょうど”徳川吉宗が8代将軍になった”年でもあります。

 

昔の日本(イメージ)

伊藤若冲はこの1716年(正徳6年)に
京都の錦小路にある”青物問屋”の長男として生まれました。

もちろん長男だった若冲は
父親が亡くなったのを機に家業青物問屋”を継ぐ事になります。
(若冲22歳の頃でした。)

今では絵師(画家)としての知られている若冲ですが、
人生の前半は画家ではなく問屋として生きていたわけです。

 

そして若冲が40歳の頃…
家督を弟の”白歳”に譲ります。

 

ここから若冲の画家人生が始まったのです。

 

考え…・思い…
40歳からの本格的な画家人生…
若冲の画家としての出発は意外にも遅かったのです。

当時(江戸時代)の平均寿命は
今と比べてかなり低かったのは知っていると思います。
仮に長生きしたとしても
50歳くらいまで生きれば良い方だったと言われています。

そんな中にあって
若冲は寛政12年(1800年)…
つまり84歳まで生きていたのです。
(84歳まで生きた若冲は大往生だったわけですね!)

 

「布袋図」伊藤若冲

「布袋図」伊藤若冲

 

若冲の前半期は問屋での商売人生、
そして中盤からは画家としての人生。

江戸時代の生き方からすると、
若冲の生き方は風変りだったのかもしれないですね。

ちなみに余談ですが、
葛飾北斎は88歳まで生きていたといいます。

 

ここでCheck!
若冲の画家人生は40歳からだったわけですが、
でもそれは本格的にスタートしただけの事。

実は若冲の絵への情熱は
もう前々からあったといわれているのです。

そのエピソードがこちら!

若冲という人は世間の事柄には
まったくと言ってもいいほど関心を示さなかった。

商売への熱意もなく、
芸事や酒、女遊びと言った類のものにも興味がなかった。

もちろん妻を娶る事もなく、
ただ絵を描くことしか関心がなかった。

家業を継ぎながらも、
実は商売にはまったく興味がなかったのです。

若冲が特に興味があったのは
それはただ絵を描く事のみ!だった。

 

当時(江戸時代)は
長男が家を継ぐのが当たり前の時代だったので、
そんな若冲がもし今の時代に生きていたら…

もっと早く画家の道へ進めていたかもしれませんね。

 

「秋塘群雀図(動植綵絵)」(1759年)伊藤若冲

「秋塘群雀図(動植綵絵)」(1759年)伊藤若冲

 

これは若冲の代表作動植綵絵30幅の1点で、
多種多様な動植物を観察し綿密な写生による作品群。
※写生とは対象をありのままに写す事。

 

早くから絵描きへの情熱を持っていた若冲は、
狩野派の画法を習得しては、
その後中国の古典絵画の模写に励んでいたと言います。

そして行き付いた先が
そのものを忠実に描く写生だったのです。

 

「群鶏図(動植綵絵)」(18世紀頃)伊藤若冲

「群鶏図(動植綵絵)」(18世紀頃)伊藤若冲

 

そういった経緯もあってこの動植綵絵は、
若冲にとっての代表作と言っても過言ではないのです。

 

そして結果として若冲は
京都でも名のある絵師として注目される様になったのです。

 

それは『平安人物志』からも見て取れます。

平安人物志

…この頃の当時の知識人などを網羅した記録書。
約10年おきに書かれ「学者」「書家」「画家」毎に名前が記されています。

この『平安人物志』には
”明和5年版”や”安永4年版”、
そして”天明2年版”の「画家」の欄に若冲の名が載っています。

それも若冲と言う名前だけでなく、
汝鈞”(ジョキン)と言う名前でも載っていました。

 

若冲には他にもいくつか別名(名前)があったと言われています。
(当時ではいくつか称号なり呼び名があるのが普通だったのかもしれませんね。)

 

「池辺群虫図(動植綵絵)」(1761‐1765年頃)伊藤若冲

「池辺群虫図(動植綵絵)」(1761‐1765年頃)伊藤若冲

伊藤若冲池辺群虫図(動植綵絵)(1761‐1765年頃)

ありのままに描く”写生”…

でも若冲の写生は
単なる写生に収まる事はなかったのです。

より濃密で奥深い
若冲独自の世界観へ昇華していったのです。

 

「象と鯨図屏風」(1797年)伊藤若冲

「象と鯨図屏風」(1797年)伊藤若冲

・・・

「象と鯨図屏風」(1797年)伊藤若冲

「象と鯨図屏風」(1797年)伊藤若冲

この2点は若冲の代表作の1つ象と鯨図屏風(1797年)

時にはこういったユーモア溢れる幻想的な絵画も描いています。

 

それまでの日本絵画にはなかった世界観。

今のデザインにも通じる様な、
まさに時代の先を走っていたわけです。

これも20世紀になって再評価された要因の一つかもしれないですね。

 

考え…・思い…
絵を描く事にしか関心がなかった若冲。
まさに生き方で見れば北斎にも通じる様な…。

江戸では北斎”、京においては若冲

江戸時代の画家を語る上で、
この2人の名は絶対に外せないと思います!

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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