- 2025-1-4
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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先日の話です。
「七福神」のワードで検索していたら、漆工で絵師”柴田是真”の作品に行き着いてしまった。
何事もアートと結び付けて考えてしまう…
これも”芸術好きの性”というものでしょうか。
今回は柴田是真という芸術家について話していこうと思います。
【 目次 】 |
”柴田是真”の「七福神」
これは江戸時代末期から明治にかけて活躍した、漆工で絵師”柴田是真”の「七福神」。
全体的に白黒ベースで、決して色遣いは華やかな感じではありません。
でも不思議ですね~。
妙に興味をそそられてしまったのです。^^
私的に言うなら、ぜひ欲しくなる逸品ですね!!
観ているだけで、何だかハッピーな感じがしてくる。
上品な感じで、それでいて愛らしく味があって…。
そんなわけで今回”柴田是信”を紹介しようと思った次第です。
おそらく”柴田是真”という芸術家を知らない人も多いかと思います。
実を言うと、私もそこまで詳しくは知りませんでした。多少知っている程度といったところでしょうか。
現在、彼の作品は日本の各地で見る事ができます。
東京国立博物館や静嘉堂文庫美術館、サントリー美術館にも作品が所蔵されているくらいですから。
あちこちで見れる機会があるだけに、ぜひ”柴田是真”の名前だけでも覚えてほしいものですね。
漆工で絵師”柴田是真”について簡単解説!
おそらく”柴田是真(しばた ぜしん)”の名を初めて知った人も多いかと思います。
日本ではあまり知名度はない様ですね。
という私も、多少知っている程度でしたが。
でも調べてみたら、何気に凄い芸術家!なのが分かってきたわけです。
さて、私が愛用する『新潮 世界美術辞典』を参考に解説すると…
柴田是真(しばたぜしん)
文化4.2.7ー明治24.7.13(1807ー1891年)
幕末ー明治期の日本画家、漆工。江戸両国に生れ、東京で没。父は宮彫師柴田市五郎。幼名は亀太郎、にちに順蔵。字は儃然、号は令哉、沈柳亭、対柳居。11歳で古満寛哉(こま かんさい)に蒔絵を、16歳で四条派の鈴木南嶺(1775-1844)に絵を学ぶ。天保元年(1830)京都に上り、岡本豊彦につき、頼山陽と交わる。蒔絵は小川破笠(はりつ)などを模し、”青海波塗”の技法も研究したが、蒔絵と漆絵に独特な作風を築き、明治漆工界に貢献した。~ 以下省略
・『新潮 世界美術辞典』より一部抜粋
自ら絵を描き、自ら漆器に装飾を施す。
絵師として、そして蒔絵職人として、すべてを一人でこなしていた点からも柴田是真の性格が読み取れませんか?
父が宮彫師、現在で言う”宮大工”の家で生まれた事もあって、性格的に職人気質だったそうです。
また京都に滞在していた事実もあり、陶工”青木木米”と親交もあったそうです。木米も画家として、陶工として才能を発揮した芸術家。
調べていくと、色々と繋がりが見えてくるのもオモシロイですね。
こんな風に生い立ちを見ていくと、作品への向き合い方もより深くなるだろうと思います。
では代表作も挙げながら、見所も解説していくと…
シンプルな構図でありながら、それでいて繊細!
大胆な筆づかいで描いたかと思いきや、時には細部への繊細さも垣間見れる。
特に蒔絵作品についていえば、それが顕著かもしれませんね。
地味な絵柄に見え、でも手の込んだ造りになっているからです。
これは東京国立博物館所蔵の作品「四季花鳥図」。
画像からも細かな装飾や卓越した技法が見て取れる。
つまり”超絶技法”を駆使して造られているわけですね。
巧みに技法を使い分けていた点からも、”天才”と言われるのも分かる気がします。晩年に帝室技芸員に選出されたのも納得ですね。
今回「七福神」で検索していたら、偶然”柴田是真”の作品にたどり着いたわけですが、つくづくきっかけって大事だな~と。
何事も掘り下げていくと、未知なる部分も見えてくる。
”芸術はすべてが繋がっている!”と思う瞬間ですね。^^
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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