- 2026-1-24
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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時として、絵画には画家の意志が宿る!!と思っています。
先日、中村彝(なかむらつね)の「頭蓋骨を持てる自画像」を観たのですが、深み?というか、不思議な説得力が感じられたのです。
まさに、画家の意志が宿っている!と。
今回は簡単ですが、中村彝について話していこうと思います。
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【 目次 】 |
画家の意志が宿っている!?と感じた「自画像」

「頭蓋骨を持てる自画像」(1923年)中村彝
・101×71cm、カンヴァスに油彩、大原美術館所蔵
これは中村彝の作品「頭蓋骨を持てる自画像」で、晩年期に描かれたもの。
SOMPO美術館で開催の「モダンアートの街・新宿」で見かけた作品です。
私はこの絵を観た瞬間、ズシッ!と心に深く刻まれてしまったのです。
作品からも分かる通り、病気(結核)で頬はこけ落ち、病で弱っているのが分かります。
それでも目はしっかりと見開き、まるで達観したかの様な澄み切った目をしている。
全体的に宗教画を思わせる画風で、手に持っている骸骨から寓意画とも読み取れる。
迫りつつある”死”を象徴している様です。

私はこの絵を観た瞬間、中村彝の意志を感じてしまった。
自分の死を覚悟しつつ、それでも画家としての生き様が感じられる様な…。
これまで中村彝の作品は何度も見てきましたが、これほど深く心に突き刺さった作品は初めてでした。
いつどこでこういった作品と出会えるか?って、本当に分からないものですね。
だから芸術鑑賞は辞められない!
…そう思った今日この頃でした。
中村彝について、簡単に解説!

画家”中村彝”を語る上で、彼の生い立ちを知るのは重要だと思っています。
一言で挫折続きの人生となるけれど、これが中村彝の作品に深みを与えていると思うからです。
軍人を目指すも、病気(結核)により画家としての道を歩む。
モデルにもなり、画家としての自分を応援してくれた女性”俊子”とも、病気のため叶わず。
最終的に新宿の下落合に移り住み、そこで37歳という若さで亡くなってしまったわけですが、こういったバックグラウンドがあるから、中村彝作品は深みがあるのでしょう。

「エロシェンコ氏の像」(1920年)中村彝
・45.5×42cm、カンヴァスに油彩、東京国立近代美術館所蔵
特に代表作が「エロシェンコ像」で、これは彼の代表作とも言える一枚です。
それから他に挙げるとしたら、上の「頭蓋骨を持てる自画像」と、1914年に制作の「少女」だろうと思います。

「小女」(1914年)中村彝
・69.5×65.5cm、カンヴァスに油彩、株式会社中村屋蔵
これは相馬俊子をモデルとした作品で、「文展」で三等章になった作品。
「少女裸像」や「小女」など、時にはモデルとなり、そして病気を労ってくれる存在でもあった。
この絵が高く評価されたのも、単なる俊子をモデルとしてではなく、”特別な感情”として俊子を見ていたからでしょう。

「海辺の村(白壁の家)」(1910年)中村彝
・60.5×82cm、カンヴァスに油彩、東京国立博物館所蔵
また中村彝は人物画だけでなく、風景画や静物も多数描いています。
風景画に関しては、印象派的な画風が特徴です。
比較的物静かな感じが多い印象です。

「平磯の風景」(1919年)中村彝
・40×52cm、カンヴァスに油彩

「目白の冬」(1920年)中村彝
・45.5×60.6cm、カンヴァスに油彩、茨城県近代美術館所蔵

「果物のある静物」(1919年)中村彝
・31.8×39.4cm、板に油彩、茨城県近代美術館所蔵

「花の静物」(1920年)中村彝
・23.5×33cm、板に油彩

「カルピスの包み紙のある静物」(1923年)中村彝
・59.5×49cm、カンヴァスに油彩、茨城県近代美術館所蔵
ただ中村彝は病に苦しめられたこともあり、次第に静物画を制作するケースが多かったようですね。
晩年期になると、以前ほどの制作への勢いは無くなってきたようですが、それでも画家として描くのは辞めなかった。
これは画家としてあるべき道を体現しているようです。

「自画像」(1916年頃)中村彝
・44.5×37cm、カンヴァスに油彩
ところで、”中村彝”という字を見て、”彝(つね)”が読めた人っているだろうか!?
あまり見かけない漢字ですが、意味を調べてみると「人の常に行うべき道。常道」とあります。
人間としての在り方というか、生き方を意味しているわけですね。
私はこの意味を知った瞬間、まさに中村彝そのものだ!と思ってしまった。
画家としての在り方という意味でも、中村彝にピッタシの名ではないでしょうか。
中村彝(なかむらつね)
明治20.7.3ー大正13.12.24(1887ー1924)洋画家。水戸に生れ、東京で没。明治34年(1901)名古屋陸軍幼年学校に入学したが、翌年太平洋画会研究所に移り、中村不折(なかむらふせつ)、満谷国四郎に師事した。同42年文展に入選。翌年、翌々年、文展で『海辺の村』(東京国立博物館)、『女』(水戸、水府明徳会彰考館)が3等賞。新宿中村屋相馬愛蔵(1870ー1954)・黒光夫婦に庇護され、肺患と闘いながらルノワールの官能的な色彩を自己の元とし、大正5年(1916)『田中館博士の像』(東京国立近代美術館)が帝展で特選。同9年『エロシェンコ像』が帝展で賞賛をあつめ、同11年審査員に挙げられた。晩年『髑髏をもてる自画像』(1923、倉敷、大原美術館)、『老母像』はセザンヌの造形的表現への接近を示す。
・出典元:『新潮 世界美術辞典』より
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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