ピラネージの版画「トラヤヌス帝の記念柱」は、見れば観るほど凄い!

「トラヤヌス帝の記念柱」※トラヤヌス・フォルム

 

見れば観るほど凄い!

その代表格にピラネージの版画トラヤヌス帝の記念柱が挙げられると思います。

 

先日「永遠の都 ローマ展」で実際に目にしましたが、圧巻でしたね。高さ285cm(6面合計分)の紙面に、ズドーンと描かれた柱。そんな細長い円柱に、約2500人の人間が描かれているわけですから。この圧倒的な緻密さと描写!見れば観るほど凄いの一言。私はこれをルーペで観てしまったものですから…、そりゃあ鳥肌物ですよね。

 

今回は”凄い版画作品”と称し、ピラネージの「トラヤヌス帝の記念柱」について解説していこうと思います。

 

 

「トラヤヌス帝の記念柱」をクローズアップ!

「トラヤヌス帝の記念柱」※トラヤヌス・フォルム

さて「トラヤヌス帝の記念柱」は、ダキア戦争の勝利を記念して建てられた円柱の建物です。(完成は113年)

歴代のローマ皇帝の中でも、特に偉業を残したと名高い皇帝”トラヤヌス”。この時代のローマ帝国は、最も領土を拡大していたそうで、しかも国内の治安も良かった。現在ではこのローマ帝国の最盛期を”五賢帝時代”と呼んでいます。そういったトラヤヌスの偉業や勝利を祝い、建てられたのがこの記念柱というわけですね。
※五賢帝:ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスの3人の皇帝

 

て、この流れでいくとまるで歴史の授業っぽくなりそうなので、ここでピラネージの描いた記念柱の版画を見てみましょう。やっぱり版画は見てナンボ!ですから。ピラネージの版画を観ながら、トラヤヌス帝について少しずつ話していこうと思います。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(6-3)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(6-3)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

これは6枚で構成された版画「トラヤヌス帝の記念柱」の上から3枚目の部分です。6枚を合わせた紙面が285×46.5cmなので、1枚は約50×46cmくらいの大きさになるでしょうか。実際の円柱(建物)の高さは約30メートル(正確には29.77m)。つまり版画は実物を約10分の1の大きさにサイズダウンしたもの。この小さな紙面に文字や模様がギッシリと刻まれているわけです。特に圧巻なのが円柱表面に彫られた螺旋状の装飾

言葉で説明してもピンと来ないでしょうから、もうちょっとクローズアップしてみましょう。すると装飾の凄さ!がまざまざと分かると思います。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(6-3)detail」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(6-3)detail」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

これはdetail(細部)で、先ほど挙げた3枚目の紙面の約10分の1くらいの大きさになるでしょうか。見ての通り、数えきれない人間が描かれているのが分かりますよね。人間の肉眼で見るのが”やっと”という位の小さい模様というか、装飾は凄い!これこそエッチング版画のなせる業というか、特徴でもあります。エッチングは線の繊細さや細かさが特徴の版画なので、こういったマクロの世界観をじっくり観察するのも楽しさの一つ!そのためにも、ルーペ(単眼鏡)は必須ですね。

 

て、ここで『新潮 世界美術辞典』の解説を参考に見てみようと思います。

トラーヤーヌス帝記念円柱

Colonna di Traiano(伊)、(Columna Traiani、羅)

ローマの<トラーヤーヌス帝のフォルム>内の二つの図書館に挟まれた中庭に立つ、巨大な大理石製の記念円柱。帝のダーキア(今日のルーマニア)における戦勝を記念して、紀元106ー113年に建立された。柱身の直径3.7m、高さ29.77m。その高さは100ローマ尺に相当するため、「コルムナ・ケンテーナーリア」(columna centenaria、羅)とも呼ばれた。柱身にはダーキア戦争(101ー102、105ー107)における帝の業績が螺旋状の装飾帯24巻にわたって浮彫で表わされ、登場人物約2500人、ひろげれば200mにも達する。戦争の推移に従って表現されているが、連続叙述形式とするには疑問が呈されている。この種の記念円柱の起源に定説はない。しかし、その作者はダマスクスのアポロドーロスとは断定できないものの、かれを中心とする技術集団によるものであり、東方起源と考えられる。ローマ彫刻の重要なジャンル<歴史的浮彫>の頂点を示し、その叙述性の詳細な表現は、ローマ美術独自の写実主義の要素をよく表わした傑作である。台座には帝の遺骨が納められていた。円柱頂上にはもと帝の像が立っていたが、16世紀に使徒ペテロの像に置き換え有られた。

・出典元:『新潮 世界美術辞典』

 

設計はダマスカスのアポロドーロス(Apollodorus of Damascus)を中心とする集団だと言われています。

 

「トラヤヌス帝の記念柱」表面装飾画
彼は当時トラヤヌス帝に気に入られていた建築家で、様々な設計や建築に関わっていた人物。少なからず記念柱の建設にダマスカスのアポロドーロスが関わっているのは間違いない様ですね。そして完成したのが113年。その後18世紀になって、ピラネージが記念柱を版画に描いたという流れです。

 

 

 

 

ところで”トラヤヌス帝”とは、どんな人物なの!?

「トラヤヌス帝の記念柱(6-1)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(6-1)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

先ほどの話でピラネージの版画の凄さ!が何となく分かったところで、次は肝心の”トラヤヌス帝”という人物について解説していこうと思います。やっぱり描かれている人物が分からないと、作品の深みも違ってきますからね。もちろん随所に画像や作品も挙げているので、あまり勉強っぽく読むことなく気楽に見てもらえると幸いですね。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(6-1)detail」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(6-1)detail」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

トラヤヌス(Marcus Ulpius Crinitus Trajanus)

53年~117年没、約64歳位まで生きた人物。ローマ皇帝としての在位は98年~117年で、約20年間皇帝として活躍していました。先ほどちょっと触れましたが、”五賢帝”の一人に数えられる偉大なる皇帝。

皇帝となってからの活躍は目覚ましく、北部辺境を鎮圧し、アルメニア、メソポタミア、アッシリアを属州としローマ帝国史上最大の領土を獲得。また領土拡大だけでなく、内政にも力を入れた文武両道な皇帝として知られています。そういった偉業を称える意味で、今回の記念柱が建てられたというわけですから、いかに歴史あるローマ帝国にとって重要な人物かが分かると思います。

 

ょっと余談になりますが、トラヤヌス帝の次の皇帝は誰だか分かりますか?

ハドリアヌス帝(Publius Aelius Trajanus Hadrianus)という人物です。

ここでピンときた人もいるかと思います。僕らがよく知る漫画テルマエ・ロマエ』の舞台になった時代の皇帝です。こう考えたら、トラヤヌス帝がちょっとは身近に感じられるかもしれませんね。ハドリアヌス帝はトラヤヌスとは対照的で領土拡大はほとんどしていない。主に内政に力を入れ功績を残した人物として知られています。そう考えるとハドリアヌス帝時代に大衆浴場が次々に誕生し広まったのも頷けますね。

 

「トラヤヌス帝の記念柱」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

縦に上部と中部、下部の3つを重ねた状態が本来の姿になります。でもさすがにこのページでは、画質の容量というか、縦に長くなり過ぎてしまうので今回は上の状態で取り上げてみました。ちなみに「永遠の都ローマ展」では、1枚の状態をテーブルに広げる感じで展示されていました。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(上部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(上部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

一番最上に位置する人物がトラヤヌス帝です。『新潮 世界美術辞典』にもあるように、現在は使徒ペテロになっている様です。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(中部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(中部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

そして中部の装飾は圧巻!これは見ごたえがあります。ちなみに豆知識になりますが、円柱の内部は空洞になっているとの事。現在30メートルサイズの建物を作るには、それなりのクレーンや技術が必要ですが、これが約2000年くらい前に作られたと思うと凄い!!実は当時のローマには、すでに重量物を持ち上げる技術があったそうなのです。本当に想像しただけでも驚きですね。もしかしたら大理石を持ち上げるために、内部を空洞にして軽くしているのか??理由は分かりませんが、当時のローマにこの建築物を作るだけの技術があったのはビックリですね。

 

「トラヤヌス帝の記念柱(下部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

「トラヤヌス帝の記念柱(下部)」(1774‐75年頃)ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

 

そして土台となる下部がこちらになります。どこもかしこも細かな装飾で埋め尽くされているのがまた凄い!!(さっきから凄いしか言ってませんが、本当にこの言葉しか出てこないのです。^^)当時の建築技術もさることながら、当時の装飾的な建物を小さな版画に再現するピラネージの技術力にも驚きです。版画って一見したら白黒で地味です。でもよ~く観察していくと、実に凄い世界が広がっていたりします。だからこそ版画鑑賞の際はルーペは必須って!ってことです。

 

ちなみに私が現在使っているルーペ(単眼鏡)がこちら↓です。色はパール調で上品な感じがするホワイト、そして視界の明るさは特にイイと思っています。眼鏡を掛ける私にとっては最適な相棒です。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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コメント

    • サダ
    • 2023年 11月 19日

    コメントありがとうございます。
    版画は多くの人がアッサリ見て終わりって感じですが、あれこそじっくり観てほしいですね。

  1. 2023年 11月 19日

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