東京駅で”東洋のロダン”と呼ばれた朝倉文夫の彫刻作品が見れる!?

東京駅を見守る「井上勝像」

 

東京駅丸の内駅前広場に、”東洋のロダン”と呼ばれた朝倉文夫の彫刻作品があるって知ってました??

 

銅像名は「井上勝」で、日本の鉄道の父と呼ばれた人物。見る方角によっては、まるで東京駅を見守る形で立っています。今私たちが当たり前に利用している鉄道は、井上勝の存在なくしてあり得ないって事!そんな人物の銅像を制作したのが、日本を代表する”朝倉文夫(あさくらふみお)”という彫刻家です。

 

東京駅丸の内側に立っている朝倉文夫の銅像「井上勝像」

東京駅を頻繁に利用する人なら、この銅像の存在は知っていたかもしれませんね。ちょうど新丸ビルの真正面に立っているので、ショッピングの途中で見かける事もあるかと思います。実は私もこの銅像の存在は知ってはいたけれど、まさかあの朝倉文夫の作品とは気付かなかった。美術好きなのに関わらず、これまで何となく通り過ぎていた自分が恥ずかしいというか、何というか…。

言い訳をするわけではないですが、それだけ「井上勝像」が東京駅の街並みに溶け込んでいたって事でしょうか。朝倉文夫の彫刻作品は、岡本太郎の様に目を惹く派手さやインパクトはないかもしれない。でも存在感はしっかりとあって、まるで今にも動き出しそうな、そんなリアルさが魅力だと思っています。この「井上勝像」も、まさにそんな感じです。

 

東京駅丸の内側に立っている朝倉文夫の銅像「井上勝像」

朝倉文夫の銅像「井上勝像」の下の解説文 東京駅丸の内側(2023年)

朝倉文夫といえば、代表作は重要文化財にもなっている『墓守』があります。つい最近まで東京国立近代美術館の「重要文化財の秘密展」でも展示されていたので、見た方も多いと思います。

それに意外と穴場?かもしれませんが、日暮里駅の近くには「朝倉文夫彫塑館」という自宅兼アトリエの記念館もあったりします。元々朝倉文夫は大分生まれなのですが、東京との繋がりは深いわけですね。この「彫塑館」は、アトリエだっただけあって作品も観れます。それに何よりも雰囲気が物凄くイイ!!行った事のない人は、ぜひ一度足を運んでほしいと思います。

 

て、ここで今回挙げた「井上勝」について、簡単ですが解説したいと思います。

井上勝 1843年(天保14年)生ー1910年(明治43年)没

1871年(明治4年)、鉱山寮鉱山頭と鉄道寮鉄道頭を兼任。翌年の明治5年には鉄道頭専任となる。

1872年9月12日の新橋~横浜間の鉄道開業に尽力。その後は阪神エリアの鉄道建設にも取り掛かります。1874年(明治7年)神戸~大阪間が、1877年(明治10年)大阪~京都間の鉄道開通にも大きく貢献する。以降も鉄道発展に寄与し、明治23年に鉄道庁長官に就任。日本の鉄道発展に大きく貢献した事から、「日本の鉄道の父」と称されるようになる。

 

東京駅丸の内側に立っている朝倉文夫の銅像「井上勝像」

とにかく、この「井上勝像」が朝倉文夫による作品だと分かった事は、私にとってイイ発見だったかな~と思います。

 

今後東京駅を降りる際は、ちょっと足を止めて見てみるのもイイかも!?今にも動き出しそうなリアルな造り!街中で「東洋のロダン」と呼ばれた彫刻家の作品を鑑賞できるわけですから!

 

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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