洋画家”佐伯祐三”の代表作と生い立ち

佐伯祐三を解説

 

個人的に”佐伯祐三”は最も好きな洋画家で、初めて彼の作品を観た時は、物凄い衝撃的だったのを覚えています。

なんて洒落たカッコイイ絵を描くのだろう!と。

 

全体的にゴチャゴチャとした感じに見えるのに、でも均整がとれていて非常にオシャレ!広告の文字が入った風景画に至っては、一文字一文字がとてもアーティスティックでカッコイイ!佐伯祐三はパリの風景画を多く描いた事でも知られていますが、どれもが洒落ていてカッコよく、実は佐伯ってフランス人なのでは?と思ったりもします。つくづく佐伯の画風とパリとの相性がイイのが分かります。

 

今回はそんな佐伯の代表作や魅力、生い立ちについて話していこうと思います。

 

 

洋画家”佐伯祐三”の代表作

Painting Art

佐伯祐三の代表作と言ったら、現在アーティゾン美術館に所蔵されている「テラスの広告」になると思います。個人的にも好きな作品で、佐伯の鋭さと特徴が1枚に凝縮されていると思っています。

 

「テラスの広告」(1927年)佐伯祐三

「テラスの広告」(1927年)佐伯祐三

・51.5×63.4cm、カンヴァスに油彩、アーティゾン美術館所蔵

一見すると、荒々しくごちゃごちゃ感のある広告の文字。でも非常に繊細で線1本1本がオシャレに見えてしまうのは私だけだろうか?この何とも言えないオシャレさとアーティスティックさが佐伯の最大の魅力だろうと思っています。

「テラスの広告」は、1927年に2回目の渡仏時に描かれた作品。佐伯祐三の最高潮時の出来だろうと思っています。佐伯本人もパリに長期滞在したいという思いがあっての渡仏だった事もあって、この絵を見る度に、佐伯の覚悟的な思いが感じられて仕方がないわけです。

 

「郵便配達夫」(1928年)佐伯祐三

「郵便配達夫」(1928年)佐伯祐三

・80.8×65.0cm、カンヴァスに油彩、大阪中之島美術館所蔵

これは1928年に制作された佐伯祐三の晩年時の作品「郵便配達夫」。左寄りに傾いた角ばった感じの人物画と、後ろにはアルファベットの広告が印象的です。それに荒々しいタッチと線の描写は、佐伯らしさが存分に表現されていると思います。佐伯と言えば、風景画家としてのイメージが強いだけに、この人物画は佐伯の中では珍しい感じがします。でも不思議な事に、人物画でありながら風景画にも見えてしまうのは、私だけだろうか??

佐伯祐三は1928年に病気と精神的な病もあって亡くなったと言われています。繊細で精神的弱さとは対照的に、筆の荒々しい大胆なタッチはまるでゴッホの画風にも通じる部分があります。この対照的とも言える作風も、佐伯祐三の魅力かもしれないですね。

ちなみに、「郵便配達夫」は2023年の展覧会「佐伯祐三展」で展示される予定です。個人的に楽しみにしているので、ぜひ機会のある人は行って見るとイイと思います。

佐伯祐三 自画像としての風景

(東京開催)
・会期:2023年1月21日(土)~4月2日(日)まで
・場所:東京ステーションギャラリーにて

(大阪開催)
・会期:2023年4月15日(土)~6月25日(日)まで
・場所:大阪中之島美術館にて

 

 

洋画家”佐伯祐三”の生い立ちと作品

ZOOM

佐伯祐三は30歳という短命だった事から、画家としての人生で言ったらほんの5~6年という短さ。仕方がないと言えば仕方がないわけですが、もし、もっと長生きしていれば、一体どれほどの作品を残したのだろう?といつも残念に思ったりもします。

先ほど代表作の時でも触れましたが、個人的に佐伯祐三はゴッホとも似ているというか、ダブって見えてしまう時があります。でも生い立ちの面では正反対という印象です。では、佐伯祐三の生い立ちを追っていこうと思います。

 

(生い立ち・略歴)

1898年(明治31年)…
大阪府西成群中津村(現、大阪市北区中津)の光徳寺で生まれる。
中学時代に赤松麟作の洋画研究所に通い、その後に川端画学校に、そして東京美術学校西洋画科に入学。在学中に米子と結婚し、卒業後に渡仏。

ここまでの生い立ちを見ると、順調に画家として人生を歩んでいる様に見えます。そして結婚し、フランスに渡るという流れ。当時エコール・ド・パリという、つまりフランスのパリで活動した画家が多くいました。この佐伯祐三もその一人だったわけです。

 

1924年(大正13年)…
フランス滞在時、里見勝蔵の紹介でフォービズムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねる。この時ヴラマンクから”このアカデミック!”と指摘され、画風が変化し始めます。またこの頃に、モーリス・ユトリロの抒情的(じょじょうてき)作風にも影響を受けたと言われています。
※抒情的…感情や気持ちがあふれる様。

”アカデミック”、つまり伝統的で形式的という意味になるのですが、佐伯の画風が真面目過ぎる!個性が足りない!とヴラマンクから指摘されたわけです。これが佐伯の画風が変化していく大きな分岐点になったのです。

 

1925年(大正14年)…
サロン・ドートンヌで作品「靴屋(コルドヌリ)」が入選します。

「靴屋(コルドヌリ)」(1925年)佐伯祐三

「靴屋(コルドヌリ)」(1925年)佐伯祐三

・72.5×59.0cm、カンヴァスに油彩、アーティゾン美術館所蔵

佐伯祐三のアトリエの近くにあった靴屋を描いた作品。現在”靴屋”をテーマにした作品は3点確認されていますが、その内の1点はサロン・ドートンヌで入選しました。

 

1926年…
持病の理由もあって帰国。そして「1930年協会」の結成に参加しますが、日本の風景と自身の画風との違和感から渡仏を熱望する様になります。

この頃に「下落合風景」と「滞船」シリーズの作品を制作。

「下落合風景」(1926年)佐伯祐三

「下落合風景」(1926年)佐伯祐三

・50.0×60.5cm、カンヴァスに油彩、和歌山県立近代美術館所蔵

 

1927年…
佐伯祐三、2度目の渡仏。制作意欲がより増し、これまで以上に表現主義的傾向が強くなります。
※表現主義…主観的で、画家の内面を作品に反映させようとした画風。

この頃に佐伯祐三は代表作「ガス灯と広告」や「テラスの広告」、それから「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」などを制作する。

「ガス灯と広告」(1927年)佐伯祐三

「ガス灯と広告」(1927年)佐伯祐三

・65.0×100.0cm、カンヴァスに油彩、東京国立近代美術館所蔵

個人的に、この2度目の渡仏が佐伯にとっての最高潮期だったと思っています。佐伯自身、病気や健康状態についてある程度認識していたと思うからです。これが最後のチャンスかもしれない!そういった覚悟を抱いてフランスに渡ったのでは?と思うのです。

 

1928年(昭和3年)…
持病の結核と精神的病によって、8月16日に亡くなる。(享年30歳)
晩年に描かれた作品には「モランの風景」や「サン・タンヌ教会」、「郵便配達夫」、「黄色いレストラン」などがあります。

「サン・タンヌ教会」(1928年)佐伯祐三

「サン・タンヌ教会」(1928年)佐伯祐三

・72.5×59.7cm、カンヴァスに油彩、三重県立美術館

 

「黄色いレストラン」(1928年)佐伯祐三

「黄色いレストラン」(1928年)佐伯祐三

・73.0×60.8cm、カンヴァスに油彩、大阪中之島美術館

 

現在、佐伯祐三の墓は大阪にある生家”光徳寺”と、東京千代田区の心法寺にあります。

日本で佐伯祐三の作品を抱えている美術館は、東京国立近代美術館や大阪中之島美術館、和歌山県立近代美術館などがあります。特に大阪中之島美術館は、約60点ほどを所有し、日本で最も多く抱えています。

2023年には「佐伯祐三展」が大阪の中之島美術館で開催しますが、まさになるべくしてなったという感じでしょうか!

 

佐伯祐三 自画像としての風景

(東京開催)・2023年1月21日(土)~4月2日(日)まで、東京ステーションギャラリーにて

(大阪開催)・2023年4月15日(土)~6月25日(日)まで、大阪中之島美術館にて

 

 

ここでCheck!
私が思う佐伯祐三の魅力!

佐伯の画風はゴッホとダブる部分が多い印象で、それが魅力の一つでもあると思っています。そしてもう1つ注目したいのは、佐伯の画風の謎について。実は生い立ちについて調べていくと、妻”米子”が加筆をしていたという説も浮上してきます。ゴッホの死の真相もそうですが、佐伯祐三の画風の謎もまた興味深いと思いませんか?私の信条として、”画家の背景を知ると、より作品が味わい深くなる”というのがあります。佐伯祐三という画家についても、多少の背景は知ってほしいと思います。実際に作品を見ると、より深く味わえると思うので、ぜひ参考に!!

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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