カトリック教会の指導者”ローマ教皇”を、絵画を交えながら解説!

ヨハネ・パウロ2世像

 

2025年4月21日、第266代ローマ教皇フランシスコ”が亡くなってしまいました。

 

芸術をこよなく愛する私としても、さすがにこのニュースには関心が向いてしまいますね。

今回は随所に絵画を交えながら、ローマ教皇について解説していこうと思います。

 

目次

まずは、ローマ教皇について解説!
ローマ教皇から思い浮かべる絵画作品は?
ローマ教皇の存在なくして、今の西洋芸術はありえなかった!?

 

 

 

まずは、ローマ教皇について解説!

ローマ教皇

簡単にはなりますが、”ローマ教皇”について話していこうと思います。

一応最初に言っておきますが、今回はアート好き人間目線からの解説になります。

専門的な人からすれば、”ちょっと違うよ!”と言われる部分があるかもしれませんが、それはご了承くださいね。

 

ローマ教皇とは?

「教皇グレゴリウス9世の教皇勅書の公布」(1511年)ラファエロ・サンティ

「教皇グレゴリウス9世の教皇勅書の公布」(1511年)ラファエロ・サンティ

・バチカン宮殿の「署名の間」にあるフレスコ画

”ローマ教皇”を一言で説明すると、全カトリック信徒の最高指導者になります。

現在世界には12~13億人を超えるカトリック信徒がいると言われていますが、その中の頂点(最高位)に当たる人物になります。

 

ローマの司教、イエス・キリストの代理者、使徒たちのかしらの後継者、普遍教会の最高司教、イタリア首座司教、ローマ管区首都大司教、バチカン市国元首、神のしもべたちのしもべ。

・出典元:「カトリック中央協議会」より

ちなみに「カトリック中央協議会」では、上の様な肩書きが示されていました。

さすがにここまで多く肩書きがあると、理解に苦しむわけで…

バチカン市国の元首(国の代表)で、カトリック教会の最高指導者。この2点だけでも押さえてほしいと思います。

 

「教皇インノケンティウス4世とフランス王ルイ9世との会談」(1773年)ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ

「教皇インノケンティウス4世とフランス王ルイ9世との会談」(1773年)ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ

・カンヴァスに油彩

特に注目すべきは、バチカン市国の元首という点でしょうか。

実はバチカン市国はイタリアのローマ市内にある世界で最も小さい国です。人口だけでみても、1000人にも満たないくらいの数です。

国自体の規模で見ると、そこまで世界への影響力はない様に思いますよね。

でもカトリック教会というくくりで考えると、影響力は計り知れないわけです。

 

世界中に13億人以上のカトリック信徒がいると言われていますから…

仏教や神道が主の日本においても、大々的なニュースになるくらいの人物ですからね。

ローマ教皇の世界への影響力の大きさが分かると思います。

 

ローマ教皇の服装は?

「教皇ピウス7世の肖像」(1805年)ジャック=ルイ・ダヴィッド

「教皇ピウス7世の肖像」(1805年)ジャック=ルイ・ダヴィッド

・86.5×71.5cm、板に油彩、ルーヴル美術館所蔵

さて、教皇の着ている服(司祭服)ですが、一般的には白色”を基調としたものになっています。

ちなみに上の自画像では、”赤色”の服が目立ちますが、これは”モゼッタ(mozzetta)”と呼ばれるケープを羽織っているため。
(※モゼッタ…首から肘までを覆う短いケープの事。)

そして教皇の服で特に特徴的なのが、”カロッタ(イタリア語では”ズケット”)”と呼ばれる円形の小さな帽子です。

地位によって色が違いますが、ローマ教皇は”白色”のカロッタで、枢機卿は”緋色(ひいろ)”の朱色に近い色のカロッタを被るそうです。

 

談になりますが…

私の考え
現在日本ではローマ法王、もしくはローマ教皇の大きく2つの呼び名があります。

よく言われる質問に、どちらが正しいの?と。

これについては「カトリック中央協議会」でも説明されていますが、”教皇”で統一されている様です。

ローマ教皇は指導者的立場なので、教える=””が職務を表わすとして最適とされているからだそう。

 

 

 

歴代のローマ教皇で、私が思い浮かべる絵画作品は?

鑑賞

歴代のローマ教皇から、私が思い浮かべる絵画作品をいくつか挙げていこうと思います。

これまで色々な西洋画を観てきたわけですが、実に多くの教皇の肖像画がありました。(実際に私の目で観た作品もあれば、本やネットなど様々)

今回はアート好きの私による独断で、ローマ教皇の所蔵画を挙げてみようと思います。

というか、多くはルネサンス期の教皇ばかりになってしまいましたが…。^^

 

「ユリウス2世の肖像」(1511年)ラファエロ・サンティ

「ユリウス2世の肖像」(1511年)ラファエロ・サンティ

・108.7×81cm、ポプラ材に油彩、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵

まず挙げるとしたら”ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)”のユリウス2世の肖像になるでしょう!

第216代ローマ教皇”ユリウス2世(Julius Ⅱ)”で、在位期間は1503年~1513年の約10年間。

芸術を愛好していた教皇で知られ、実際に多くの芸術家を支援してきた人物です。

おそらくルネサンスが一躍盛り上がった背景には、ユリウス2世の支援が大きかったのだろうと思っています。

 

「ラオコーン像の発見」(1834-1835年頃)ピエール=ノラスク・ベルジェレ

「ラオコーン像の発見」(1834-1835年頃)ピエール=ノラスク・ベルジェレ

・71×105.5cm、カンヴァスに油彩、個人蔵

ちなみに余談にはなりますが、ユリウス2世在位時に大きな出来事がありました。

1506年、ローマのトラヤヌス浴場付近で「ラオコーン像」が地中から発見されたのです。

ユリウス2世の命によって、像はバチカン美術館に収蔵されましたが、同時に当時の芸術家たちに大きな影響を与えたとか!

 

「レオ10世と2人の枢機卿」(1518-1519年頃)ラファエロ・サンティ

「レオ10世と2人の枢機卿」(1518-1519年頃)ラファエロ・サンティ

・154×119cm、板に油彩、ウフィツィ美術館所蔵

そしてこちらが、第217代ローマ教皇レオ10世

これもラファエロ・サンティが描いた作品です。

ラファエロやミケランジェロなど名立たる画家のパトロンになった事で知られる教皇。

政治的な面よりも、芸術的な部分での貢献度が大きかったと言われています。

 

「クレメンス7世の肖像」(1531年頃)セバスティアーノ・デル・ピオンボ

「クレメンス7世の肖像」(1531年頃)セバスティアーノ・デル・ピオンボ

・105.4×87.6cm、油彩、J・ポール・ゲティ美術館所蔵

そしてルネサンス期で忘れてはならないのが、第219代ローマ教皇クレメンス7世”。

ミケランジェロに傑作「最後の審判」の制作を依頼した事でも知れる教皇です。

 

「教皇パウルス3世の肖像」(1543年)ティツィアーノ

「教皇パウルス3世の肖像」(1543年)ティツィアーノ

106×85cm、カンヴァスに油彩、カポディモンテ美術館所蔵

これは巨匠”ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)”の作品「パウルス3世」の肖像画です。

パウルス3世は第220代のローマ教皇で、在位期間は1534~1549年まで務めた人物でした。

 

「教皇グレゴリウス13世の肖像」(1586年頃)バルトロメオ・バッサロッティ

「教皇グレゴリウス13世の肖像」(1586年頃)バルトロメオ・バッサロッティ

・102.2×82.3cm、カンヴァスに油彩、ドゥカーレ博物館所蔵

第226代ローマ教皇グレゴリウス13世”の肖像画です。在位期間は1572~1585年まで。

描いた画家は”バルトロメオ・バッサロッティ(Bartolomeo Passarotti)”で、マニエリスム期に活躍したイタリアの画家です。

実はこの教皇は日本とも関りがあり、1585年に天正遣欧使節団が謁見した事でも知られています。

歴史の授業でも習ったと思いますが、伊東マンショや中浦ジュリアンがグレゴリウス13世と会っていたそうです。

意外なところで、日本の歴史ともつながりがあったわけです。

 

「ウルバヌス8世の肖像」(1627年)ピエトロ・ダ・コルトーナ

「ウルバヌス8世の肖像」(1627年)ピエトロ・ダ・コルトーナ

・199×128cm、カンヴァスに油彩、カピトリーノ美術館所蔵

そしてピエトロ・ダ・コルトーナ(Pietro da Cortona)の「ウルバヌス8世の肖像」も記憶に新しいと思います。

最近日本でも展示された作品だからです。

ウルバヌス8世、本名はマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ(Maffeo Vincenzo Barberini)

在位は1623年~1644年までの約20年間でした。

芸術的な貢献度も大きいですが、なりより政治的影響力の高い事で知られるローマ教皇だったと言われています。

 

私の考え
最近はほぼ写真が主の様ですが、一昔前までは肖像画として歴代の教皇たちが残されています。

しかも巨匠など名だたる画家たちが手掛けているのも興味深い!

肖像画が単なる芸術としてではなく、歴史的資料としても大きく担っていたのも分かりますよね。

 

 

 

ローマ教皇の存在なくして、今の西洋芸術はありえなかった!?

ヨハネ・パウロ2世像

これまで西洋芸術をあれこれ観てきた私独自の解釈なりますが…

西洋芸術とローマ教皇は切っても切れない関係にある!?と思っています。

あれこれ話すと長くなりそうなので割愛しますが、西洋芸術において宗教は重要なテーマだからです。

最近は現代アートや印象派などが人気かもしれないけれど、一昔前は”宗教画”の比重はかなり大きかった。

西洋絵画には風景画や歴史画、宗教画、静物画など様々なジャンルがありますが、17世紀~19世紀頃のアカデミーの格付けで宗教画は上位にあったからです。

 

「クレメンス7世の肖像」(1526年頃)セバスティアーノ・デル・ピオンボ

「クレメンス7世の肖像」(1526年頃)セバスティアーノ・デル・ピオンボ

・145×100cm、油彩、カポディモンテ美術館所蔵(イタリア、ナポリ)

それに先ほども触れましたが、ローマ教皇が多くの芸術家を支援してきたという事実もありました。

例えばクレメンス7世は、ミケランジェロに「最後の審判」の制作を依頼した事でも知られる教皇でした。

でも結局のところ、作品が完成したのがクレメンス7世の死後だったのは残念ですが…。

 

「最後の審判」(1536-1541年)ミケランジェロ・ブオナローティ

「最後の審判」(1536-1541年)ミケランジェロ・ブオナローティ

・1370×1200cm、フレスコ画、システィーナ礼拝堂

とにかく名画誕生の裏には、当時のローマ教皇の存在が大きかったというわけです。

そんなわけで、歴代の教皇たちの存在なくして、今の西洋芸術はなかった!と私は思うわけです。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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