- 2022-6-4
- Artist (画家について), Artwork (芸術作品)
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”カスパー・ダヴィット・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)”
ロマン主義を代表するドイツ人画家と言ったら、真っ先に思い浮かべるのが”フリードリヒ”。
生い立ちを知れば知るほど、作品がより深く見えてしまう画家はいるけれど、今回のフリードリヒもその一人。特にこのフリードリヒについては、幼少期の経験が強く作品に表れている様に思います。元々知ってはいた画家だったけれど、今回改めてじっくりと調べていくと、何とも言えない深みを感じてしまいますね。
ちなみに国立西洋美術館で開催の「自然と人のダイアローグ展」で、フリードリヒの作品が目玉作品として挙げられていたので、今回じっくりと調べてみたのです。
フリードリヒはどんな作品を描く画家? 特徴は!?
”カスパー・ダヴィット・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)”はドイツを代表するロマン主義の画家。時代的には1774年~1840年に活躍した画家です。国は違いますが、イギリスの風景画家ターナー(1775~1851年)とほぼ同時期に生きた画家です。
もちろんロマン主義の画家だけに、作風はターナーに通じる部分がある様に思います。
私的な言葉で例えるなら、廃墟の画家ユベール・ロベールと、静寂の画家ハマスホイの雰囲気を感じさせるターナー風の作品と言った感じでしょうか。この例えが良いかどうかは別として、雰囲気は何となく分かってもらえるかと思います。
・110×171.5cm、カンヴァスに油彩、ベルリン国立美術館所蔵
この「海辺の修道僧」はフリードリヒ30代中頃の作品。カンヴァスの8割を占めている広大な空と海。そして手前にポツンと描かれている1人の修道士。全体的に薄暗く、寂しさや孤独と言った雰囲気が付きまとう作品です。
フリードリヒは風景画を多く描いた画家で、しかもそのほとんどが宗教的な要素が強いのが特徴です。
・96.7×126.9cm、カンヴァスに油彩、ハンブルク美術館所蔵
こちらはフリードリヒを代表する作品「氷海」。凍り付いた海と岩や瓦礫の山。そして傍らには難破しただろう船が描かれています。フリードリヒは風景画を多く描いていますが、その多くにはある共通点があります。背景には廃墟やがれき、墓標や十字架などが描かれている事が多く、静寂や孤独といった言葉がしっくりくる作品が多いのです。
そして人物が描かれる時は決まって後ろ向きの姿だったりと、まるで遠くから眺める様な傍観者的な作品も特徴的です。
ここまでを簡単にまとめると…
・25×31cm、カンヴァスに油彩、エルミタージュ美術館所蔵
フリードリヒの作品は風景画を基本としていて、その多くは瞑想的で、宗教的性格が強いのが特徴。背景は廃墟やがれき、十字架などが描かれ、後ろ向きの孤独な人物が描かれる事が多いのが特徴。
私なりの解釈はこうです!
フリードリヒの作品を見ていくと、どことなく”死”を連想させるのですが、こう思うのは私だけだろうか!?さて、あなたはどう思いますか?
廃墟や墓標といった背景からは人の終わりを読み取ることが出来るし、後ろ向きで描かれている人物からは、傍観者つまりその場の当事者でないとも受け取れる。自分がこの世から離れ、一歩先の”死”を目指している様にも見えてしまう。フリードリヒの作品は確かに神秘的な面もあるけれど、深読みすればするほど”生の終わり”を意識してしまうのです。
それにしてもなぜここまで薄暗い作品が多いのだろう?
実はフリードリヒの作風は自身の生い立ちが影響していると言われています。幼少期に直面した度重なる家族の死が、その後の人生や作風に大きな影響を与えます。フリードリヒの生い立ちを知れば知るほど、作品には”死”が付きまとって止まないのです。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの生い立ちと作品
フリードリヒの作品は、彼の生い立ちが色濃く出ていると言います。特に幼少期の辛い経験、家族の死がその後の人生や作風に大きな影響を与えています。
フリードリヒ(Caspar David Friedrich)1774年ー1840年
…ドイツ・ロマン派の代表的画家。コペンハーゲンの美術アカデミーに学ぶ。1798年以降ドレスデンに定住し同地でL・ティークやノヴァリスらロマン主義作家と交流するとともにF・ケルスティングやC・ダール、Gカールスらから影響を受けた。1801‐1802年にグライフスヴァルト、リューゲン島に滞在、ルンゲと知り合う。以後たびたび故郷やハルツ山地等を訪れる。初めは緻密な自然観察に基づく地誌的風景素描やセピア素描を制作していたが、07年に油彩画に転じた。10年ベルリン美術アカデミー会員、16年ドレスデン美術アカデミー会員。没後急速に忘れ去られ、20世紀になって再発見された。彼の芸術の基本をなすのは風景で、それに主観を投影させて象徴的形象世界を現出。瞑想的・宗教的性格の強い彼の作品の多くは、前景と後景が対極的に対比され、背景には廃墟、十字架、墓標、枯れた樹木、後ろ向きの孤独な人物などがシルエットとして浮かび上がっている。
※「西洋絵画作品名辞典」より
フリードリヒは1774年に、バルト海沿岸に位置するグライフスヴァルト(当時はスウェーデン領)で、10人兄弟の6番目(4男)で生まれます。しかしフリードリヒは幼少期に兄弟の死に直面します。
・フリードリヒ7歳の時、母ソフィー(Sophie)が死去。
・その数年後エリザベス(Elisabeth)、1791年には2番目の妹マリア(Maria)が亡くなる。
・1787年(フリードリヒ13歳の時)、スケート遊びをしていた際に、溺れそうになったフリードリヒを助けようとした弟が溺死。
幼少期の辛い経験と家族の度重なる死が、フリードリヒの作品にも大きな影響を及ぼしていると言われています。この辛い経験を頭に入れながら、年代ごとに作品を見ていこうと思います。
・61.5×80cm、カンヴァスに油彩、ドレスデン国立絵画館所蔵
フリードリヒの1つ目の転機が1807年頃と言われています。それまで素描が中心だった作品から、油絵へとシフトしていきます。自身の主観が投影されたかの様な、そんな意味深い作品も多く描かれる様になります。
・115×110.5cm、カンヴァスに油彩、ドレスデン国立絵画館所蔵
神の象徴の沈みゆく太陽によって照らされる十字架。そして十字架によって照り返されている大地。この「山上の十字架」はベーメンのテッチェン城礼拝堂に飾るために制作された祭壇画です。さて、この作品は多くの論争を巻き起こした事でも知られています。1808年に枢密顧問官ラムドールがこの作品を強く批判。これに対してフェルディナント・ハルトマンやゲールハルト・ファン・キューゲルゲンらが反発するという論争が起こります。俗にいう”ラムドール論争”と呼ばれる出来事です。
フリードリヒの作品は深く考えさせられるのが多いのですが、この出来事はまさに解釈によって起こった論争だったのです。
・108×170cm、カンヴァスに油彩、ベルリン国立美術館所蔵
・33×45cm、カンヴァスに油彩、カッペンベルク城美術館所蔵(ドルトムント)
・22×30cm、カンヴァスに油彩、フォルクヴァング美術館所蔵(ドイツのエッセン)
フリードリヒが44歳頃に描いた作品。実は1818年にフリードリヒは19歳年下の女性と結婚しますが、ここに描かれている後ろ姿は結婚した女性カロリーネだと言われています。日の光を全身で受け止める後ろ姿の女性。先ほどの「山上の十字架」と照らし合せて解釈すれば、日の光を受け止める後ろ姿の女性が、太陽に照らされるキリストの様にも見えてきませんか?
フリードリヒにとって、カロリーナという女性はある意味救いの存在だったのかもしれないですね。
・74.8×94.8cm、カンヴァスに油彩、ハンブルク美術館所蔵
・35×44cm、カンヴァスに油彩、ドレスデン国立絵画館所蔵
・93×73cm、カンヴァスに油彩、ヴァイマル城美術館所蔵
・55×71cm、カンヴァスに油彩、ベルリン国立美術館所蔵
・135×170cm、カンヴァスに油彩、ベルリン国立美術館所蔵
ベルヒテスガーデン(町)のシンボル的になっているヴァッツマン山。ドイツで3番目に高い山です。
人間の力では到底及ばない様な…
この頃の作品は自然の広大さを思わせる海や山の風景画が多い印象です。
・73.5×102.5cm、カンヴァスに油彩、ドレスデン国立絵画館所蔵
薄暗い大地と光に満ちた空。対照的な光の効果が絶妙です。
・72.5×94cm、カンヴァスに油彩、ライプツィヒ美術館所蔵
1835年に描いたフリードリヒ61歳の頃の作品。様々な年齢層の5人の人物と、後ろには5艘の船。年代に応じた人生航路を暗示している作品です。
実は1835年にフリードリヒは脳卒中で倒れ、後遺症もあって油絵から退いていきます。この頃がフリードリヒの油絵晩年期の作品と言った感じでしょうか。
そして1840年にフリードリヒは亡くなります。没後フリードリヒは忘れされていきますが、20世紀なり再評価されます。
宗教画要素がある風景画が多く、神秘的で静寂に満ちたフリードリヒの風景画。そして自身の主観を投影した作品は、まさに私たち様々な解釈をもたらしてくれます。1枚の作品が与えてくれる様々な解釈。これはフリードリヒの醍醐味でもあって、最大の魅力!ぜひ美術館で味わってほしいポイントだと思うのです。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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