今も研究しているかの様! 上野公園に立つ”野口英世博士象”

上野公園の”野口英世博士象”

 

上野公園国立科学博物館近くに、野口英世博士象が建っているのはご存知ですか!?

 

野口英世(のぐち ひでよ)と言えば、ちょっと前の千円札の顔だった人物です。

歴史に詳しくない人でも、知らない人がいないくらい有名でしょう。

 

そんな野口英世の像が、まさかこんな場所に立っていたとは!?

今回は街中で出会える”アート”を称し、銅像「野口英世博士象」の姿を見てみたいと思います。

・・・

 

上野公園の”野口英世博士象”
銅像が置かれている場所は、上野公園の国立科学博物館近くです。

立地としては非常に良い場所の様に思うでしょう。

ただ如何せん、周辺が木々に覆われているので分かりずらいのです。

上野公園を散歩していれば出会えると思うので、ぜひ”野口英世像”も見逃すことなく観てほしいですね。^^

 

上野公園の”野口英世博士象”

て、ご存知の通り”野口英世”は梅毒や黄熱病の研究で大きな功績を残した医師です。
(正確には、医学博士と言った方が正しいかもしれませんが。)

お札の顔に採用されるくらいですから、いかに凄い功績を残したかが分かると思います。

 

でも調べてると分かりますが、意外と自堕落な面もあったそう。

決して完璧な人間ではなかったというのは、良い意味で”親密感”が湧いてきてしまいますね。

上野公園の”野口英世博士象” 上野公園の”野口英世博士象”

 

野口 英世(のぐち ひでよ)

1876年(明治9年)11月9日ー1928年(昭和3年)5月21日

野口は幼少期に大やけどを左手に負います。それがきっかけで、医師に大きな期待と憧れを持ったといいます。でも左手の火傷による後遺症や、痕のコンプレックスもあり医師の道を断念、研究者としての道を歩み始める。

その後、北里柴三郎主宰の伝染病研究所で働き、後に渡米しロックフェラー研究所に移り研究を始める。

1911年(明治44年)梅毒スピロヘータの純粋培養に成功!これによって国際的な評価を受ける。

それから中南米やアフリカへ赴き黄熱病の研究に努めるが、1928年に黄熱病の症状を発症。同じ年の5月21日、病状が悪化し黄熱病によって亡くなる。

 

上野公園の”野口英世博士象”
それでも世界的な功績を残したという意味では、陰では相当な努力や苦労があったのは事実。

それが「野口英世博士象」の建立に至ったわけですから…

ちなみに銅像造立のきっかけは、玉應不三雄(たまおうふみお)氏によるもので、昭和26年(1951年)3月のこの地に造立されたという流れ。

現在でも試験管をかざし実験している姿で立っています。

上野公園に行った際は、見逃さずに会ってほしいものですね。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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