- 2025-11-4
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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上野公園の国立科学博物館近くに、”野口英世博士象”が建っているのはご存知ですか!?
野口英世(のぐち ひでよ)と言えば、ちょっと前の千円札の顔だった人物です。
歴史に詳しくない人でも、知らない人がいないくらい有名でしょう。
そんな野口英世の像が、まさかこんな場所に立っていたとは!?
今回は街中で出会える”アート”を称し、銅像「野口英世博士象」の姿を見てみたいと思います。
・・・

銅像が置かれている場所は、上野公園の国立科学博物館近くです。
立地としては非常に良い場所の様に思うでしょう。
ただ如何せん、周辺が木々に覆われているので分かりずらいのです。
上野公園を散歩していれば出会えると思うので、ぜひ”野口英世像”も見逃すことなく観てほしいですね。^^

さて、ご存知の通り”野口英世”は梅毒や黄熱病の研究で大きな功績を残した医師です。
(正確には、医学博士と言った方が正しいかもしれませんが。)
お札の顔に採用されるくらいですから、いかに凄い功績を残したかが分かると思います。
でも調べてると分かりますが、意外と自堕落な面もあったそう。
決して完璧な人間ではなかったというのは、良い意味で”親密感”が湧いてきてしまいますね。
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野口 英世(のぐち ひでよ) 1876年(明治9年)11月9日ー1928年(昭和3年)5月21日 野口は幼少期に大やけどを左手に負います。それがきっかけで、医師に大きな期待と憧れを持ったといいます。でも左手の火傷による後遺症や、痕のコンプレックスもあり医師の道を断念、研究者としての道を歩み始める。 その後、北里柴三郎主宰の伝染病研究所で働き、後に渡米しロックフェラー研究所に移り研究を始める。 1911年(明治44年)梅毒スピロヘータの純粋培養に成功!これによって国際的な評価を受ける。 それから中南米やアフリカへ赴き黄熱病の研究に努めるが、1928年に黄熱病の症状を発症。同じ年の5月21日、病状が悪化し黄熱病によって亡くなる。 |

それでも世界的な功績を残したという意味では、陰では相当な努力や苦労があったのは事実。
それが「野口英世博士象」の建立に至ったわけですから…
ちなみに銅像造立のきっかけは、玉應不三雄(たまおうふみお)氏によるもので、昭和26年(1951年)3月のこの地に造立されたという流れ。
現在でも試験管をかざし実験している姿で立っています。
上野公園に行った際は、見逃さずに会ってほしいものですね。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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