歌川国貞の「七福神寿柱建之図」から解釈! ”寿(壽)”は皆で造るもの!?

寿

 

江戸時代の浮世絵は、時に”洒落っ気”が利いたものがあったりします。

現代風の言い方で言えば、ユーモアや遊び心となるだろうけど、これも”浮世絵”のオモシロさであり醍醐味!!

 

例えば、今回紹介する歌川国貞(三代豊国)の「七福神寿柱建之図」もその一つ。

 

「七福神寿柱建之図」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

「七福神寿柱建之図」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

・国立国会図書館デジタルコレクション ※(Public domain画像)

この「七福神寿柱建之図」は、3枚から構成された浮世絵。

七福神がバラバラになった”寿(壽)”という漢字を組み立てている様子を描いたものです。

現代の”漫画”に近い感じでしょうか。

歌川国貞は後に三代目歌川豊国と称された絵師。

このユーモアたっぷりで洒落っ気の絵から、三代目”を襲名したのも納得ですね!

 

寿(壽)
ちなみにという漢字ですが、これは現在一般的にある”寿(ことぶき)”の旧字体に当たります。

今でも書道などの場面では”壽”が書かれたりしますが、普段僕らが生活する上ではあまり見ない漢字ですよね。

 

 

私の考え
て、私の解釈になりますが…

この「七福神寿柱建之図」が意味している所は、めでたい事は皆で作り上げていくものだ!と。

”幸せ”は自ずとやって来るものじゃなく、自ら進んで皆と共に造るもの!

画風はユーモアたっぷりで洒落っ気があるのに、でも深みのあるメッセージ性が含まれている。

実に深みがある様に思いませんか!?

 

歌川 国貞(うたがわ くにさだ)

天明6年(1786年)生ー元治元年(1865年)

後に三代目歌川豊国と称され、特に美人画や役者絵で名を馳せた絵師。代表作には「」などがあります。

 

 

考として…

「七福神寿柱建之図」を一枚ずつで挙げてみました。

「七福神寿柱建之図(左部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

「七福神寿柱建之図(左部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

・国立国会図書館デジタルコレクション ※(Public domain画像)

 

「七福神寿柱建之図(中央部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

「七福神寿柱建之図(中央部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

・国立国会図書館デジタルコレクション ※(Public domain画像)

 

「七福神寿柱建之図(右部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

「七福神寿柱建之図(右部)」(出版年:1853年)歌川国貞(三代豊国)

・国立国会図書館デジタルコレクション ※(Public domain画像)

この遊び心満載で、洒落っ気たっぷりの浮世絵!

江戸時代には様々な浮世絵師が存在していたけれど、その中にあって国貞が名を遺したのも分かる気がします。

 

西洋画も確かにオモシロイですが、時には”浮世絵”に目を向けるのもイイでしょう。

日本人なら、日本の文化を知るのも大事ですからね!

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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