- 2025-8-31
- Enjoy This (観てほしい絵画展)
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幕末期の土佐、つまり現在でいう高知県になるわけですが、”金蔵(絵金)”という天才絵師がいました。
正式な名としては、弘瀬金蔵と言った方が正しいかもしれませんね。
今回は土佐の絵師”金蔵”について、私なりに解説していこうと思います。
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【 目次 】 |
2025年にサントリー美術館で「絵金」展が開催!

私が絵師”金蔵(絵金さん)”の存在を知ったのは、数年前といった感じです。
2023年に大阪のあべのハルカスで展覧会が開催されたのがきっかけでした。
当時は「へ~、こんな絵師も居たんだ!!」と思ったわけですが、さすがにその時は詳しく調べることなく現在に至ってしまった。

「蝶花形名歌島台」絵金(弘瀬 金蔵)
・162.3×177.0cm、2曲1隻屏風・紙本彩色 、香南市赤岡町本町二区所蔵
それが2025年の9月に、サントリー美術館で展覧会が開催する!と知り、早速調べてみたというわけです。
これは私の実体験からくる持論になりますが、画家について知らないで見るよりも、知ってから観た方がより深く楽しめる!と思っています。
せっかく展覧会に行くわけですから、最大限に楽しみたいですからね!!
というわけで今回の解説を参考に、ぜひ足を運んで観てほしいと思います。
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【 「幕末土佐の天才絵師 絵金」展の開催概要 】 ・開催日:2025年9月10日(水)~11月3日(月・祝) |
土佐の天才絵師”金蔵”について解説!

いざ絵師”金蔵”について調べてみたものの、私が愛用する辞書には載っていなかったのです。
そこまで有名という感じではなさそうです。
地元の土佐(高知県)で知られた画家といった感じでしょうか。

「花衣いろは縁起 鷲」絵金(弘瀬 金蔵)
・162.3×177.2cm、2曲1隻屏風・紙本彩色 、香南市赤岡町本町二区所蔵
というわけで、ネット上で調べた情報などを元に、私なりに簡単に解説しようと思います。
弘瀬 金蔵(ひろせ きんぞう)
1812年(文化9年)ー1876年(明治9年)、通称”絵金さん”とも呼ばれ、主に土佐で浮世絵師として活躍。
1812年(文化9年)、髪結い職人の家で生まれる。
幼少期より絵の才能を認められ、早くして江戸に遊学し土佐藩御用絵師”前村洞和”に師事。それから”林洞意”と名乗り、高知へ帰郷する。
33歳の頃、贋作の疑いをかけられ狩野派を破門される。
その後は赤岡(現在の高知県香南市赤岡町)に移り住み、名を”金蔵”と名乗る。
芝居絵や絵馬、提灯絵など数多くの作品を描き、町絵師”絵金”の愛称で親しまれるようになる。
1876年(明治9年)、享年65歳で亡くなる。

「浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森」絵金(弘瀬 金蔵)
・169.0×182.0cm、2曲1隻屏風・紙本彩色 、香南市赤岡町本町一区所蔵
詳しくは分からないけれど、当時金蔵は多くの弟子を抱えたと言われていました。
現在”絵金派”と呼ばれる形で、約200点余りの作品が高知県に残されているそうです。
ここまでの解説からも分かる通り、金蔵は地元高知県では名の知れた絵師だったというわけです。
若くして才能を認められただけに、もし狩野派で大成していたら…
もしかしたら、日本中で知られた絵師になっていたかもしれないですね。

「伊達競阿国戯場 累」絵金(弘瀬 金蔵)
・162.3×176.5cm、2曲1隻屏風・紙本彩色 、香南市赤岡町本町二区所蔵
そんな天才絵師”金蔵”の作品が、東京で見れるわけですから、ぜひ足を運んで観たい!そう思うわけです。
金蔵の作品はなかなか見る機会がないですから、貴重な作品との出会いが待っているかも!?そう思うと期待大!だと思いませんか!?^^
興味のある方は、サントリー美術館に行ってみるのもイイかと思います。
※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。
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