意味が分かると、より解釈も深まります。 「寒山拾得」を解説!

Two Monk

 

寒山・拾得(かんざん・じっとく)

 

教科書などで2人の僧を描いた「寒山拾得図」を見た人も多いだろうと思います。でもどういった意味なのか?どんな人物なのか?背景について知っている人は、おそらく少ないでしょうね。最近横尾忠則さんが独自の解釈で描いた「寒山百得」で、一躍名が知れ渡る様になった”寒山拾得”。

 

目次

「寒山拾得」は、国宝や重文に指定されているものが多い!?
「寒山拾得」と言ったら、因陀羅が一番知られている?
「寒山・拾得」について解説!
まとめとして、私が思う”寒山拾得”の解釈

せっかくの機会なので、今回は話として取り上げてみようと思ったのです。

 

 

 

寒山・拾得は、国宝や重文に指定されているものが多い!?

鑑賞

実は「寒山拾得」で調べていくと、意外と国宝や重文(重要文化財)の作品が多い事に気が付きます。確かに多くの画家が描いている題材ですし、時代的にもそれなりに古いものが多い。でも理由はこれだけではなさそうですね。

さて寒山拾得は中国の唐の時代に、天台山の国清寺に住んでいたとされる伝説の風狂僧です。伝説上ですから、実在していたかは分からない。でもここで気になる言葉が出てきました。風狂(ふうきょう)という言葉です。風狂は一般的に、常軌を逸した様な、もしくは気が狂ったという意味になると思います。言葉の意味で受け取ってしまうと、決していい意味には思えない。でも中国の禅宗では悟りの境地として肯定的に捉えられている様です。

 

「寒山拾得図」(17世紀、江戸時代)狩野山雪

「寒山拾得図」(17世紀、江戸時代)狩野山雪

仏教(特に禅宗)では規範として考えられているという事でしょうか。実は”寒山拾得”は多くの画家(特に僧侶)によって描かれる事の多い題材です。仏教や道教に深い関りがあるのも、文化財指定される大きな要因なのかもしれないですね。

実は雪舟も「寒山拾得」を題材に描いていますからね。

 

 

 

寒山・拾得と言ったら、因陀羅が一番知られている?

「寒山拾得図」(14世紀、元)因陀羅

「寒山拾得図」(14世紀、元)因陀羅

・35×49.5cm、紙本墨画、東京国立博物館所蔵 ※国宝

”寒山拾得”で一番知られていると言えば、因陀羅(いんだら)の作品だと思います。

ちなみに描いた”因陀羅(Yintuoluo)”ですが、中国の元末頃の高僧と言われています。出生地や没年など不明な点は多いですが、現存している款記(かんき)によると法名は壬梵因(じんぼんいん)で、開封の大光教禅寺に住していたそうです。

 

「東京国立博物館の寒山拾得図 ― 伝説の風狂僧への憧れ ― 」より
現在は国宝に指定され、東京国立博物館に所蔵されています。先日東京国立博物館(トーハク)で「伝説の風狂僧への憧れ」という展覧会名で、「寒山拾得図」が展示されていました。教科書などで目にした作品を、実際にこの目で観れるのは良いものですね。

というか国宝に指定されている作品ですから、コレが初めてという訳ではないですが。それでも国宝と名が付くと、妙に有難味を感じてしまうのは不思議ですね。

 

 

 

寒山・拾得について解説!

解説

て作品を鑑賞するなら、背景の理解は重要!だと思っています。

何も知らないで作品を見るより、何を描いたものなのか?が分かった方が、より深みも増してくるというもの。以前”因陀羅”の「寒山拾得図」を観た時は、正直言って”歴史を感じる書画だな~”としか思わなかった。でも調べたら、なるほど!と言った具合に、より作品への深みも増したものです。

その時は作品を楽しむ上で、背景理解は大事なんだな~とつくづく思ったものでした。

 

寒山・拾得(かんざん・じっとく) Hanshan Shide

中国、唐末頃、天台山国清寺に住んでいたという二人の隠者。寒山は文殊(もんじゅ)菩薩の、拾得は普賢(ふげん)菩薩の化身ともいう。『寒山集』などの詩集や説話が流布し、主として禅宗絵画の画題とされた。破布、 蓬髪(ほうはつ)の二人が笑ったり、詩を吟じたりする姿、あるいは経典を持つ寒山と箒(ほうき)を持つ拾得などを双幅または同一画面に描く。豊干(ぶかん)と虎を加えて4者が眠る図を四睡図という。寒山・拾得図は北宋時代に始まるとされ、南宋ー元時代に流行し、梁楷(りょうかい)、牧谿(もっけい)、顔輝(がんこう)因陀羅(いんだら)などが描いており、日本では可翁(かおう)、伝周文、明兆(みんちょう)、霊彩、海北友松(かいほうゆうしょう)、狩野派、曽我蕭白などの作品が知られる。

・出典元:『新潮 世界美術辞典』

 

寒山・拾得は伝説上の二人の隠者、つまり宗教者や僧侶を指したりします。上の解説にもありますが、寒山は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身とも言われていて、一般的に経典(巻物)を持っている姿で知られています。対して拾得は普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身で、を持っている姿で描かれる事が多い。

 

「寒山拾得図」(17世紀、江戸時代)狩野山雪

「寒山拾得図」(17世紀、江戸時代)狩野山雪

・墨画、真正極楽寺所蔵 ※重要文化財

そして共に共通する部分は、髪は伸びきってボサボサ、服はボロボロという有り様。上の解説の一文にもありますが破布、 蓬髪(ほうはつ)の二人が笑ったり、詩を吟じたりする姿は、まさに人物の特徴を表現していると思います。
蓬髪(ほうはつ)は、よもぎの様に伸び、乱れた頭髪を意味する言葉。

見た目はよく言えば仙人、悪く言えば乞食という例えになるでしょうか。そんな二人が笑ったり、詩を吟じたり…。まさしく”風狂僧”という言葉がピッタシですね。それでも仏教では悟りの境地に達した僧とも言われるわけです。

 

「寒山拾得図」(15世紀、室町時代)伝周文筆 / 春屋宗園賛

「寒山拾得図」(15世紀、室町時代)伝周文筆 / 春屋宗園賛

・99.6×36.9cm、紙本墨画、東京国立博物館所蔵 ※重要文化財

ここまで簡単に”寒山拾得”の説明をしましたが、これだけでも寒山拾得の作品がより深みを増してくるのでは??

 

 

 

 

まとめとして、私が思う”寒山拾得”の解釈

考え

現代では四字熟語的に扱われる事もある様ですが、私が思う寒山拾得の解釈としては…、人は見た目で判断してはいけないという教訓的な意味合いで捉えています。そして「寒山拾得図」を観ていくと、ふと今の自分が馬鹿らしく思えてきたりします。

本来人生って自分が楽しむためのものなら、外見や見た目にこだわる必要ってないんじゃないの?と。そういった意味でも、「寒山拾得」は僕らに、気楽な生き方を教えてくれている感じがするわけです。これもある意味道教や仏教に通じる部分があると思いませんか?

 

「豊干禅師」(19世紀、明治時代)河鍋暁斎 ※「東京国立博物館の寒山拾得図 ― 伝説の風狂僧への憧れ ― 」にて
「豊干禅師」(19世紀、明治時代)河鍋暁斎 ※「東京国立博物館の寒山拾得図 ― 伝説の風狂僧への憧れ ― 」にて

ちょっとした意味や背景を知るだけで、より作品が深みを増してくる。今回”寒山拾得”の話をしてみましたが、これをきっかけに実際にトーハクに行って観るのもイイと思います。

 

東京国立博物館で開催の「横尾忠則 寒山百得」展より
東京国立博物館の寒山拾得図 ― 伝説の風狂僧への憧れ ―
東京国立博物館の本館にて、2023年9月12日~11月5日(日)まで開催。作品は時期によって展示替えがあります。

また同時に『横尾忠則 寒山百得』展も開催しています。ぜひこの機会に!

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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