風刺画は圧巻! フランスの画家”オノレ・ドーミエ”について解説!

絵画(ART)

 

白黒のリトグラフ(石版画)は、油彩画に比べて一見”地味”に思えるかもしれない。

でも、オノレ・ドーミエに限っては別物です!

 

今回は印象派や表現主義の先駆的画家とも言われる、フランスの画家オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier)について、代表作を交えながら解説していこうと思います。

 

目次

フランスの画家”オノレ・ドーミエ”について解説!
 …ドーミエの代表作!「三等客車(三等列車)」
 …話題を呼んだ風刺画「ガルガンチュア」

オノレ・ドーミエが描いた作品の数々!

 

 

 

フランスの画家”オノレ・ドーミエ”について解説!

「画家」オノレ・ドーミエ

「画家」オノレ・ドーミエ

・26×34cm、木に油彩

印象派や表現主義の先駆的画家とも言われるオノレ・ドーミエ(Honoré Daumier)ですが、一般的には風刺画で知られている様です。

一般的に白黒で表現されたリトグラフは、鮮やかな油彩に比べて一見地味に見えるかもしれない。

でもオノレ・ドーミエに限っては全くの別物!

日常生活をユーモアに描いた風刺画や、政治や社会を批判する様なものまで…

当時”風刺画”で一躍人気を博したのも納得というもの!

 

オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier) (※Public Domain画像)

オノレ・ドーミエ(Honoré Daumier) (※Public Domain画像)

んなオノレ・ドーミエの生い立ちは…

1808年、マルセイユでガラス職人の子として生まれる。

ドーミエの少年時代、生活は非常に貧しく、自身も弁護士の使い走りや書店で働いていました。

14歳の頃から画家アレクサンドル・ルノワールに師事し、ベリアールという職人から”石版画(リトグラフ)”の技法を学ぶ。

20代前半、風刺新聞『ラ・カリカチュール』や『ル・シャリヴァリ』の創刊者シャルル・フィリポン()から才能を見出され、仕事を得る。

1831年、『ラ・カリカチュール』に掲載した風刺画「ガルガンチュア」で一躍人気を博しますが、同時に”国王への侮辱罪”により、刑に処されます。

 

「ドーミエによる冬のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

「ドーミエによる冬のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

その後も制作活動は続け、300点を超える油彩画、4,000点近くの版画を制作。

また庶民の生活をリアルに描いた「三等列車」や「洗濯女」は、その後の印象派や表現主義を先取りした作品として評価も高く、ドーミエを代表する作品とも言われています。

しかし人気を博したものの、晩年は目の病気を患い失明。

1879年、パリのヴァルモンドワにて亡くなります。

 

ドーミエ(Honoré Daumier) 1808マルセイユー79ヴァルモンドワ

リアリズムと表現主義の先駆的画家。パリに出て、初めは石版画家として出発。政治や社会、習俗の変化を敏感にとらえた風刺画を『ラ・カリカチュール』(シャルル・フィリッポン創刊の風刺新聞)や『ガルガンチュア』(1831年王位についたルイ・フィリップを風刺)に発表し、一世を風靡する。40歳頃から油彩や水彩に力を注ぐようになり、物語や演劇にテーマを求めた作品を多く描いた。舞台の人工照明による光と影の効果を巧みに表現し、印象派の先駆的一人といえる。晩年失明。

・出典元:『西洋絵画作品名辞典』

 

私の考え
て、ドーミエ語る上でポイントとなるのが、”貧しい人々の日常を描いた風俗画”です。

貧しく生きる労働者や庶民の生活を、リアルに生々しく描いた風俗画は圧巻!の一言。

おそらくドーミエ自身、貧しい少年時代を経験したのも大きな理由でしょう。

労働者への共感と鋭い観察眼は、作品制作にも活かされているのだろうと思います。

では、ドーミエの代表作を見ていこうと思います。

 

 

ドーミエの代表作!「三等客車(三等列車)」

「三等列車」(1862-1864年頃)オノレ・ドーミエ

「三等列車」(1862-1864年頃)オノレ・ドーミエ

・65.4×90.2cm、カンヴァスに油彩、メトロポリタン美術館所蔵

まず、代表作として名高いのが三等客車三等列車です。

人で混み合った薄暗い車内の様子と、疲れ切った表情の乗客たち。

三等列車に乗る労働者の貧しい生活をリアルに描いているのが特徴です。

 

「三等列車」(1862年)オノレ・ドーミエ

「三等列車」(1862年)オノレ・ドーミエ

・67×93cm、カンヴァスに油彩、カナダ国立美術館所蔵(オタワ)

現在、同構図の作品が複数点確認されています。
(油彩画は3点、その他水彩やドローイングも残されいます。)

 

 

話題を呼んだ風刺画「ガルガンチュア」

「ガルガンチュア」(1831年)オノレ・ドーミエ

「ガルガンチュア」(1831年)オノレ・ドーミエ

・リトグラフ

そしてドーミエと言えば、風刺画ガルガンチュア(Gargantua)は外せない作品です。

1831年『ラ・カリカチュール』に掲載されたた風刺画で、一世を風靡した話題作だからです。

王座に座る肥えた国王が貧しい国民から税金を吸い込んでいる様子を描いていて、当時の腐敗した政治を揶揄した作品。

もちろん当時の人々からは大ウケだったそうですが…

でも同時に政府によって目を付けられてしまったのです。

結局”国王への侮辱罪”により、禁固6カ月と罰金の刑を科されてしまいました。

 

 

 

オノレ・ドーミエが描いた作品の数々!

「クリスパンとスカパン」(1864年頃)オノレ・ドーミエ

「クリスパンとスカパン」(1864年頃)オノレ・ドーミエ

・61×82cm、カンヴァスに油彩、オルセー美術館所蔵

これは「クリスパンとスカパン」で、ドーミエの代表作に数えられる一枚。

一般的には”風刺画”で有名ですが、油彩画もかなりの数を制作していました。

まずは、ドーミエの油彩画から見ていこうと思います。

 

「タバコを吸う男と飲んだくれの男」(1856-1860年頃)オノレ・ドーミエ

「タバコを吸う男と飲んだくれの男」(1856-1860年頃)オノレ・ドーミエ

・27×34.5cm、パネルに油彩、チューリッヒ美術館所蔵

 

「2人の弁護士」(1856年頃)オノレ・ドーミエ

「2人の弁護士」(1856年頃)オノレ・ドーミエ

・21×27cm、木板に油彩、チューリッヒ美術館(ビュールレ・コレクション)

弁護士を題材とした、構図を変えた複数の作品が残っています。

 

「山中のドン・キホーテ」(1850年頃)オノレ・ドーミエ

「山中のドン・キホーテ」(1850年頃)オノレ・ドーミエ

・39.6×31.2cm、カンヴァスに油彩、アーティゾン美術館所蔵

これはドーミエの代表作の一つ「山中のドン・キホーテ」です。

ドーミエは40歳を過ぎた辺りから、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』を題材にした一連の作品を制作します。

騎士道物語を読み過ぎたあまり、現実と物語の区別が付かなくなり冒険の旅に出るという話です。

 

「ドン・キホーテ」(1868年頃)オノレ・ドーミエ

「ドン・キホーテ」(1868年頃)オノレ・ドーミエ

・51×32cm、カンヴァスに油彩、ノイエ・ピナコテーク所蔵(ミュンヘン)

現在確認できる限りですが、油彩や素描などを含め約30点程が制作されたそうです。

どういった理由でドーミエが『ドン・キホーテ』に夢中になったかは分かりませんが、私の解釈では”ドン・キホーテの生き方を重ね合わせたから!”だろうと思っています。

風刺画家として名を馳せたとはいえ、ドーミエなりに画家としての迷いがあったのかもしれない!?

こうやって考えると、より作品に深みを感じられるかもオモシロイですね。

 

て、ここからはドーミエの風刺画も見ていこうと思います。

「幕を下ろせば、茶番は終わる」(1834年)オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

「幕を下ろせば、茶番は終わる」(1834年)オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

・リトグラフ

オノレ・ドーミエと言えば、多くの人は”風刺画家”というイメージが強いと思います。

事実、リトグラフ作品だけで計4,000点以上(木版画も加えると4,500点以上)という作品数だからです。

その多くは風刺雑誌『ラ・カリカチュール』や『ル・シャリヴァリ』に掲載されたもので、それでも物凄い作品数なのに驚きです。

 

ここでは、ドーミエが描いた風刺画の一部を紹介したいと思います。

・・・

「クリミア戦争を題材にした風刺画」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

「クリミア戦争を題材にした風刺画」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

これはドーミエによる、クリミア戦争を題材にした風刺画です。

クリミア戦争は1853年~1856年にかけてロシア帝国とオスマン帝国、フランス、イギリスの連合軍で起こった戦争。

 

「クリミア戦争を題材にした風刺画」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

「クリミア戦争を題材にした風刺画」オノレ・ドーミエ (※Public Domain画像)

多くの死傷者を出した戦争とはいえ、風刺として表現されると、悲惨さが伝わってこないから不思議です。

逆に風刺画だからこそ、読み手に興味を惹かせるのに一役買っているのかもしれませんが…。

 

「パリに住む人々のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

「パリに住む人々のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

・24.4×27cm、リトグラフ、1853年3月23日発行の風刺雑誌『ル・シャリヴァリ』内の風刺画

 

「パリに住む人々のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

「パリに住む人々のクロッキー」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

・21.8×27cm、リトグラフ、1853年3月30日発行の風刺雑誌『ル・シャリヴァリ』内の風刺画

 

「ジラルダンの葬儀」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

「ジラルダンの葬儀」オノレ・ドーミエ (※WikimediaのPublic Domain画像より)

・25.5×38.5cm、素描、スウェーデン国立美術館所蔵(ストックホルム)

漫画チックでありながら、でも人物の動きや表情はしっかりと表現されている。

ドーミエの観察眼と創造力、そして画力の高さも感じられる一枚です。

 

私の考え
こうやって見ると、ドーミエが当時一世を風靡したのも納得です。

白黒のリトグラフ(石版画)でも、これほど目を惹く作品はなかなか味わえない!

ドーミエの作品は展覧会でも度々目にしますが、私個人の願望としては…

”ドーミエを主役とした大規模展覧会”が開催してほしい!

…そう思った今日この頃でした。

 

 

※ここで扱っているイラストや作品画像はpublic domainなど掲載可能な素材を使用しています。

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