ゴッホとゴーギャンの2

東京都美術館で開催の「ゴッホとゴーギャン展」

アルル後のゴッホとゴーギャン

 

それでは
『ゴッホとゴーギャン展』の後半へと行きます。

最終章になると、
アルルを後にしたゴッホとゴーギャンの互いの話になってきます。

 

実はこのアルルを去った後、
互いの作風がまた変化してきた感じにも見えます。

特に私の中にあるゴッホと、ゴーギャンのイメージが、
この5章頃の登場する絵が一番イメージに近いと思います。

 

このゴッホの絵『刈り入れをする人々の麦畑』

「刈り入れをする人のいる麦畑」(1889年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「刈り入れをする人のいる麦畑」(1889年)ファン・ゴッホ
所蔵:ファン・ゴッホ美術館 ※public domain

 

そして

「渓谷」(1889年)フィンセント・ファン・ゴッホ

「渓谷」(1889年)フィンセント・ファン・ゴッホ
所蔵:クレラー=ミュラー美術館 ※public domain

 

ゴッホらしい厚塗りで力強く大胆さがありますが、
さらに追加すると

全体的にうねりと、躍動感”があるのです。

一歩間違うと、
ちょっと異様な光景にも見えるのですが。

 

実はこの時期ゴッホは療養所で過ごしていたのです。

精神的に病んでいた頃なのです。

ある意味精神的に過敏になっていたのかもしれないですね。

そう思うと、
このうねる様な躍動感は、
ゴッホが感じ取った印象そのままって事なのかもしれません。

 

それとは対照的で、
ゴーギャンはタヒチへと旅立っています。

精神的には落ち着いていて、
どれも平穏というか穏やかな絵が多いのです。

「タヒチの3人」(1899年)ポール・ゴーギャン

「タヒチの3人」(1899年)ポール・ゴーギャン
所蔵:スコットランド国立美術館 ※public domain

 

このタヒチのテーマにした絵は、
これまで何度も見てきてとても馴染みある感じです。

ゴーギャンらしい平面的な絵。

そして原住民などをテーマに描いているせいか、

より素朴な感じが出来ていると思います。

 

やっぱり思いますが、
原住民の暮らしを描いた絵は、
ゴーギャンの作風と合っていたのかもしれないですね。

 

東京都美術館で開催の「ゴッホとゴーギャン展」

それにしても実に対照的です。

アルルでの生活も互いの絵画論で衝突し、
もちろん描いていた絵も対照的だったゴッホとゴーギャン。

そしてアルルの生活後も
まったく違った人生を歩んでいったのです。

精神的に荒れ歪んでいたゴッホと、
比較的安定していて穏やかだったゴーギャン
(ゴッホに比べて評価が低かったり、生活面では離婚などもありましたが…)

 

そんなアルル後の2人の違いは、
絵を見ても感じる事でもあるんですよね~。

私の中で印象派は
画家の受けた印象を絵にしたもの”という解釈です。

その後のゴッホには、
異様なくらいの躍動感や歪み”が感じられるのです。

対してゴーギャンには、
多少の変化はあるにせよ精神的な安定がある感じがします。

 

「ゴッホとゴーギャン展」の図録
※「ゴッホとゴーギャン展」の図録(裏表の絵柄)

そういう意味では、
描いた絵に互いの内面が現れていたのかもしれないですね。

そう思うと
2人とも印象派の画家なんだな~と思ったのでした。
(ポスト印象派の画家ですが)

・・・

東京都美術館で開催の「ゴッホとゴーギャン展」

こんな感じで
実にアッという間の『ゴッホとゴーギャン展』でした。

 

絵を見て感動!
そういえば私的に
これってもしや!?”っておもう発見!がありました。

それは確か3章辺りからだと思いますが、
作品が展示している壁の色が黄色だったのです。

なぜ”もしや!?”って思ったかと言えば、

ゴッホとゴーギャンの生活した家が”黄色い家”だったからです。

 

考え…・思い…
もしかしてこの黄色い家にちなんで、
壁の色を黄色に統一したのかな??って思ったのですが…、

さて、
真相はどうなのだろう??

 

そんな疑問も残しながら、
東京都美術館を後にした私なのでした。

 

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