「クレオパトラとエジプトの王妃展」を観て ~ 感想 ~

東京国立博物館(平成館)

~「クレオパトラとエジプトの王妃展」~ 

 

行ってきた感想を
ザックりと話したいと思います。

実は今展の主役はおそらく”クレオパトラ”なんだろうけど、
個人的には”ハトシェプスト”も見所の一つなのです。

 

なぜかって言うと…

古代エジプト展の図録集
 ※ハトシェプスト(「古代エジプト展」の図録集より) ※参考に掲載

実は昨年に東京都美術館にて
「古代エジプト展」が開催したばかりだからです。

 

その時の「古代エジプト展」では、
王妃”ハトシェプスト”がメインに取り上げられていました。

ハトシェプストは今展でも数点展示されていましたが、

さすがに一度見て知っているだけに、
妙に馴染みがあるのです。

もちろんこの”ハトシェプスト”も、
女性でありながら大王となり国を治めた人物です。

しかも”男装”までしたそうです。

 

その証拠に…

この撮影スポットにあった置物を見ると分かりますが

ハトシェプスト(撮影スポットの置物)
これを見ると頭には王を象徴する”頭巾”をかぶり、
口の下には伸びた””の様なものを付けています。

大王として”男装”していたのがわかります。

 

今展の展示物を見ると分かりますが、

当時の古代エジプトでは、

女性でありながら国を治めたり政治に関わっていた人は多数いるのです。

このハトシェプストもその一人です。

 

考え…・思い…

この点から私なりに推測できる事は…

古代エジプトでは男女間の差はそこまでなかったのかもしれないのです。

とはいえ男装までしたって事は、
やっぱり権力も力も男性の方が上だったのかもしれませんね。

ハトシェプストが男装までしたのは、

男性という性別の力を少しでも利用しよういう意図があったのかも??

 

それにハトシェプストは、
他に文化や建築にもかなり功績を残しています。

 

例えばこれです。

ハトシェプスト女王葬祭殿
ハトシェプスト女王葬祭殿(public domain使用)

これは歴史的に見てもものすごい技術だそうです。

こんな風に葬祭殿や交易も積極的に行った人で、
古代エジプトの時代で最も国を反映させた女性の大王だったとも言われているのです。

 

 

それと対照的なのが、

…”クレオパトラ”です。

女性としての性別を利用したのかな?
って思う生き方をした人物だと思うのです。

クレオパトラ(看板)
※クレオパトラ(プトレマイオス朝時代、前1世紀中頃)

現在残っているモノで
クレオパトラ本人と確証のあるものは少ないそうです。

ここでは数点展示されていましたが、
今では絶世の美女と言われているけど、
この事からも女性らしい服装を着ていたのかもしれないのです。

 

美しい声と巧みな話術。

当時の権力者を魅了し愛人となったケースもあったそうです。

その相手の一人が当時ローマの英雄とまで言われたカエサルだったのです。

その後カエサルが亡くなった後に
ローマ帝国を支配していた権力者アントニウスとも仲良くなり恋仲になったそうで、
次々と当時の権力者を魅了したのです。

だから”絶世の美女”と言われる所以なのかも??

 クレオパトラとエジプトの王妃展(特別ガイド)

結局最後はクレオパトラは毒蛇に噛まれて亡くなるのですが
(自殺?だった様です。)

ある意味女性らしさを武器に生き抜いた女性に見えます。

 

こう見ると…、

ハトシェプストとクレオパトラが対照的にみえますね!

 

こんな風に
ハトシェプストとクレオパトラを比較して見ても面白いと思います。

 

そして今展のメイン…

この「ティイのレリーフ

ティイのレリーフ(新聞より)
アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ

この女性は王妃”ティィ”です。

元々ファラオの王妃になる資格はない立場だったそうですが、
アメンヘテプ3世に愛され後々に王妃になったのです。

だから”王に愛され国を支えた『ザ・王母』
というキャッチフレーズが付けられているんでしょうね。

ちなみにこの新聞に大々的に載っているのが「ティイのレリーフ」で、
これは110年前に発見されたものだそうですが
その後埋もれてしまいそのままになっていた。

それがつい最近の発掘調査でまた姿を現したというレリーフだそうです。

早稲田大学の発掘隊の貢献が大きい様で、
これがその映像になっています。

 

こんな風に「クレオパトラとエジプトの王妃展」は

古代エジプトを代表する王妃をテーマにそれぞれ違った王妃姿が見れます。

クレオパトラとエジプトの王妃展(チラシ)

それにチラシを見ても分かる様に、
当時の装飾品や小物なども結構あります。

 

またここで私的な見所は!

古代エジプトは日本の時代でいうと、
ちょうど縄文時代の頃に当ります。

縄文時代は網目模様の土器がまず思い浮かぶと思いますが、
その時の日本の文化と比べると…

もの凄い技術力と高い文明があったのが分かります。

こういった装飾品を一人で作るって事は、
まず不可能に近いと思うのです。

 

考え…・思い…

これは私なりの推測ですが…

おそらく技術学校なる施設があって

職人の養成学校なるモノがあったのかもしれない。

 

そう思いながら

物や装飾品を見るとよりオモシロいと思います。

 

クレオパトラとエジプトの王妃展(看板)

こんな風に当時の生活ぶりが垣間見れるので、

この辺を押さえて見ると面白いかもしれませんね!!

 

 

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